最終話 大切な人



 ――――――



 俺からの犬のぬいぐるみのプレゼントに、詩乃さんは驚いた様子だ。


「ど、どうして……」


「詩乃さん、それ欲しがってたでしょ。それくらいわかりますよ」


 詩乃さんは、このぬいぐるみが欲しいくらいに好みなのだと。

 ずっと詩乃さんを見ていた俺には、それくらいわかる。あのときはごまかそうとしていても、そんなの通用しない。


 それがわかったから、俺はあのとき決意した。

 今の俺に、このぬいぐるみを買うことはできない。ならば、バイト代を貯めて……このぬいぐるみを買おう、と。


 まあ、あの時点ではバイトの面接が終わった段階で、受かるかどうかも分からなかったんだけど。


「……」


「えっと……もしかして迷惑、でしたか?」


 黙ったままぬいぐるみを見つめている詩乃さんに、俺はミスったかなと感じていた。

 あのときは、ぬいぐるみプレゼントはナイスアイディアと思ったのだが……


 ……よくよく考えれば、こんなでかいぬいぐるみ、置き場所に困るのではないのだろうか。

 それに、ぬいぐるみのプレゼントなんて気持ち悪いのではないか……?


 買う前まではまったく感じなかった不安に、急に襲われる。

 そうだ、それを欲しいと思うのと、プレゼントされたいのかじゃ、また別の話……


「そんなことない!」


 ……しかし、俺の心中を襲う不安を否定するように、詩乃さんが叫んだ。

 両手で持っていたぬいぐるみを、そっと自分の胸元にかき抱くようにして……ぎゅっと力を込めた。


「そんなこと、ないよ。……すっごく、嬉しい」


 口元を隠すようにぬいぐるみを抱き、俺を見つめる姿は上目がちだ。

 なんとも破壊力のあるその姿に、俺は胸が高鳴るのを感じていた。


 決して、派手に喜んでいるわけではない。だけど、詩乃さんの姿はそれがどうしようもなく喜んでいる、ということはわかる。

 こんなにも喜んでもらえたなら、プレゼントしてよかった。


「でも、これ……結構高かったんじゃ、なかったっけ……」


「そこはまあ、バイトもしてますし……えぇ今日が、初給料日だったんです。ですから、それで買ったんです」


 詩乃さんはハッとしたように、俺を見た。

 俺がバイトを始めたことや、もう約一ヶ月が経ったこと。そして、バイトの初任給で買ったものだと、詩乃さんは理解した。


「そ、そんな大切なものを私なんかに使っちゃったの!?」


 初任給……それはある意味特別な意味を持つものだろう。それを自分に使ったのかと、詩乃さんは驚いている。

 でも……だからこそ、だ。


「大切だからこそ、最初は詩乃さんになにかプレゼントしたいなって思ってたんですよ」


「……!」


 だから俺は、素直な気持ちを伝えた。それを受けて、詩乃さんは目を見開き、口を閉じて黙ってしまい……


 少しの会話のあと、ついには顔全体をぬいぐるみに押し付けるようにして、隠してしまった。

 なにか、まずいことを言ってしまっただろうか?


 それから、なんとなく声をかけるタイミングが見つからず数秒……体感だともっと長い。突然気まずい沈黙が流れた。

 しかし、沈黙が破られるのもまた、突然だった。


「っ、んぐっ、んぐ……!」


「あ」


 ぬいぐるみから顔を離した詩乃さんが、缶ビールを手に取りその中身を一気に飲み干したのだ。

 そのせいだろうか、その顔は赤く染まっている。耳まで赤い。


 あんなに一気に飲んでしまって、また酔っ払ってしまわないだろうか。

 そんな俺の心配をよそに、詩乃さんは顔を赤くしたまま、俺のことをじっと見ていた。


「あの、し、詩乃さん?」


「わ、わらしの方がか、稼いでるのに……こ、こんなことなら、先に買っとくんだったよ。大事なバイト代を使うなんて、まったく。甲斐くんはまったく」


 じっと見られていたかと思えば、俺がバイト代を使ってぬいぐるみを買ったことに対して物申したいことがあったようで。

 ぶつぶつと、文句……ではないだろうが、愚痴のようなものを漏らしている。


 やっぱり選択肢ミスったかな……と、そんなことを考え始めたとき……


「…………ありがとう、ね」


 ふいっと顔をそらして……まるで恥ずかしそうに、言葉を漏らした。

 それがなんに対するお礼なのか、考えるまでもない。


 そして、顔が赤い理由はお酒じゃなくて……きっと……


「はい、どういたしまして」


「……!

 か、甲斐くん! お酒! おかわり!」


「はいはい」


 なんだかその様子がおかしくて、自然と顔が緩んでしまう。

 まったく。お礼を言うのに素直になれないから、酒の力を借りたってわけか。しかも愚痴のついでみたいな感じで。


 詩乃さんの要求を受け、俺は立ち上がり、冷蔵庫へと向かう。

 冷蔵庫を開けば、高校生の一人暮らしには本来あるべきではないもの……数本の缶ビールが、常備されている。


「はい詩乃さん。飲み過ぎそうになったら、止めますからね」


「わかってる〜」


 缶ビールを手渡し、それを受け取った詩乃さんはにひひと笑った。


 高校に入学して、俺の生活スタイルはすっかり変わってしまった。

 憧れだった女性と、隣部屋の生活。それだけでも幸せだったのに、それがまさかこんなことになるとは。夢にも思わなかった。


 当初は困惑したけど……今はわりと、受け入れている。だって、楽しいから。


「っぷはぁ! あぁ〜、今日はなんだかいい日だなぁ〜!」


 俺が渡したぬいぐるみの頭を撫でながら、缶ビール片手に詩乃さんが笑っている。


 とんでもない酔っ払いではあるけど、やっぱり……好きな人が笑っている姿というのは、嬉しい。この笑顔を独り占めしたい、なんて感情さえ出てくる。

 このまま詩乃さんの胃袋を掴みに掴んで、離れられなくしてやろうか。なんて。


 この先も、きっと退屈はしないんだろうな。この、隣の部屋のOLが俺の部屋で宅飲みしている生活は。



 ―――完―――



 あとがきへ続きます。

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