第39話 かゆいところはありませんかー



「んっ……はぁ、ぁうん……はっ、気持ちいい……」


「変な声出すな」


 現在俺は、姉ちゃんの背中に日焼け止めクリームを塗っている。

 日焼け止めを女の人の背中に塗る……これだけの字面ならば、なんとうらやましいものだろう。事故に見せかけてむふふな展開を考えちゃったりする。


 しかし、相手は実の姉。そんな邪な気持ちなどあるはずもない。

 しかも、ただ日焼け止めを塗っているだけなのに、姉ちゃんは妙に色っぽい声を出していた。絶対わざとだ。


「なぁに? もしかしてお姉ちゃんの甘美な声に興奮しちゃったぁ? うふ、弟なのにイケない子ねぇ」


「クリーム頭からぶっかけていいか?」


「やだもう、ぶっかけるだなんて」


 俺の冷ややかな視線と声に気づいているのかいないのか、姉ちゃんはぽっと頬を赤らめた。

 なに言ってんだこの姉は! しまいにはクリームの容器でぶん殴るぞ!?


 はぁ、俺は詩乃さんさんの背中に日焼け止めを塗りたかったのに。

 いや、決して邪な気持ちはありませんよ。ありませんとも。


 だが、残念ながらその役目は俺ではない。ふと、隣を見る。


「お姉ちゃん、どう?」


「んふ~、気持ちいいよぉ」


「へへ、かゆいところはありませんかー」


 詩乃さんの白い背中に、小さな手が置かれている。

 そして、クリームを塗りこんでいるのだ。ぺたぺた、とまるで子供のような手が。


 それもそのはず。まるでどころか、詩乃さんに日焼け止めを塗っているのは築野さんの妹なのだ。

 愛らしい小さな子供が、詩乃さんの背中に一生懸命日焼け止めを塗っている。詩乃さんはデレデレだ。


 俺も、見ている分にはすごく癒されるから、うらやましいという気持ちすら湧かない。なんだその台詞、かわいいかよ。


「……」


 いや、やっぱうらやましいわ。


 さっきまでは、パーカーを着て肌を隠していた詩乃さん。それは防壁とも言えるだろう。だからか日焼け止めを塗る話になった時に、詩乃さんは一旦は拒否した。

 自分はパーカーを着ているから必要ない、と。


 しかし……



『お姉ちゃん、ひやけどめぬらないの……?』



 瞳を潤ませた小さな女の子……築野さんの妹の前に、あっさりとその防壁は陥落した。

 今ではパーカーを脱ぎ、肌をさらして背中を妹ちゃんに任せている。


 残念ながら、そそくさとうつぶせになってしまったため正面から見ることは、できなかった。

 だが、後ろからでもわかる。ビキニのように、背中が空いているタイプ……普段は絶対に見ることのない詩乃さんの背中。眩しいぜ。


「ごめんねぇ、こんなことさせちゃってぇ」


「いえ、その子が自分から言ったことですから」


 寝転がる詩乃さんのその隣では、築野さんが体育座りをして答えていた。

 築野さんはすでに日焼け止めは塗り終わったようだ。


 ちなみに弟くんは、浮き輪を抱えて今か今かと走り出す勢い。

 それでも一人で走り出さないのは、偉いけどな。


「その節は、騙すようなこと言っちゃってごめんねぇ」


「い、いえ、気にしてませんから」


 詩乃さんと築野さんの間に流れていた『お姉さん問題』の誤解は、どうやら解けたようだ。

 誤解と言っても、勝手に詩乃さんが言ったことを修正しただけだが。


 だましだまされたといって、それで二人の仲が悪くなるわけではない。

 むしろ、年の差を感じさせないほどに仲良くなっている。この短時間で。


 これが圧倒的コミュ力の差……それとも、単に同性だからだろうか。


「ほーら甲斐、力弱くなってんぞ。もっと強く」


「マッサージしてんじゃないんだから力はいらないでしょ」


「いけずー」


 ったく、相変わらず自由だなぁ。

 ともかく、これで塗り終えた……と。


「ねえねえ、前も……」


「やらん、自分でやれ」


「ぶーぶー」


 あとは自分で濡れるし、自分でやってくれ。


 俺は日焼け止めの容器を姉ちゃんに投げ渡す。

 すると、弟くんが近くに寄ってきた。


「お兄ちゃんも、日焼け止め塗らないと!」


「あー……そうだな」


 俺は大丈夫だと思うが、小さい子もいる手前断るわけにもいかないか。

 姉ちゃんが終わったら借りよう。


「それにしても、一人で待てて偉いなー」


「お兄ちゃんとの約束だから!」


「約束……」


 弟くん、なんてまっすぐな目をしているんだ。夏の暑さとともに溶けてしまいそうだ。


 それにしても、約束とは……なんだっけか。

 俺は別にたいしたことは言ってないし。


「はぁー……!」


 なぜ弟くんは、まるで尊敬のまなざしを向けるように俺のことを見るのだろうか。


 ……もしかして、以前会った時に俺はなんか言ったのか?

 あの時は妹ちゃんを助けるのに必死で、助けた後もなに言ったかよく覚えてないんだよな。偉そうなこと言ってないだろうな?


「さて、みんな日焼け止め塗り終わったし行きますか」


「あ、俺まだ」


「ちょっとー、遅いよ」


 誰のせいだ誰の。姉ちゃんを待ってたんだよ。


「って詩乃、せっかく日焼け止め塗ったんだし、もうパーカー着ないの!」


「あぁ、そんな!」


 日焼け止めを塗り終え、それでもパーカーを着ようとしてた詩乃さんだったが、姉ちゃんにパーカーを奪われる。

 追いはぎかよ……でも姉ちゃんグッジョブ!


 身を隠すものがなくなり、ついに詩乃さんは水着姿を披露することになる。

 その姿を見た俺は……


「……」


 思わず、見惚れてしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る