第35話 胸の奥がきゅっとなる
――――――
当時、キャンプ場に遊びに来ていた私と、弟妹。それにお母さん。
近くに川があって、私は弟妹を連れて川で遊んでいた。いや、お母さんに内緒で遊びに行ったのだ。
お母さんは電話をしていて、私たちには遠くには行かないように言っていた。
でも当時の私は、お母さんの目を盗んで弟妹を連れて川に行ったのだ。
中学生の私は、もう大人だから弟妹の面倒くらい見れる……なんて考えていた。
今思い返せば、なんて軽はずみな行動だったのだろう。浅はかな考えだったのだろう。
川で遊んではしゃぐ弟妹を見るのが、嬉しかった。
でも……
『おねえちゃーん!』
少し目を離した隙に、妹が川に流されてしまったのだ。
川は、小学生低学年の妹でも足がつくくらいの浅瀬だ。でも、足を滑らせ、運悪く川の流れに巻き込まれてしまった。
気づいたときには、私を呼ぶ妹が流されていて……必死に追いかけようとしたけど、川の流れにさらわれる妹に追いつくことができなかった。
『うぇええええん!』
泣きじゃくる妹が流されていく。私の頭はパニック状態で、体は思ったように動かないし心臓は張り裂けそうだし、絶望の底に叩き落されたようだった。
伸ばした手は届かなくて、妹が遠くへ行ってしまう感覚に潰されそうだった。
泣いてる場合じゃないのに、視界が滲んで、妹の姿が霞んでいって、そして……
『え……』
バシャン、と大きな音がした。誰かが、川に飛び込んだのだ。
すでに、浅瀬とは言えないほど深くなっていたのだろう。だから、飛び込んでも問題なかったのだと思う。
いや、多分そんな計算はしていなかった。ただなんの躊躇もなく、"彼"は飛び込んだのだ。
そして、流されていく妹を追いかけるように泳ぎ、その小さな手を取った。
そのまま"彼"は泣きじゃくる妹を片手で抱き寄せ、流されないようにもう片方の手で岩場を掴んだ。
『ほら、もう大丈夫だ。頑張ったな』
陸地に引き上げられ、それでも妹は"彼"の胸の中で泣いていた。
そんな妹の頭を、"彼"は優しく撫でていた。
私は側に駆け寄り、妹を助けてくれた恩人の顔を見ようとした……
『お兄ちゃん、ありがとう!』
『!』
けれど、そこに声が響く。それは、弟の声だった。妹を助けてくれたことに対する、お礼。
それを聞いて、私は恥ずかしくなった。なにをやっているのだ私は。いの一番にお礼を言うべきは、私なのに。
遅れて私は、頭を下げた。
『あの、妹を助けていただいて、ありがとうございました!』
『え? あぁ、まあ当然のことをしたまでですよ。頭を上げてください』
『でも……あなたは、妹の命の恩人です! 本当にありがとうございます!』
『い、命って、そんな大げさですよ』
"彼"は私のお礼を、当然のことをしたまでだと言って、受け取った。
当然のこと……それを聞いて、私は胸の奥がきゅっとなるのを感じた。
なんで、見ず知らずの他人のために、ここまで必死になれるのだろう。一歩間違えれば、自分も流されていたかもしれないのに。自分と変わらないくらいの男の子なのに。
すごい勇気と、そして優しさを持った男の子だと、感じた。
『……っ』
なんだろう、この気持ちは。なんだろう、この温かさは。
妹を助けてもらって。妹の命の恩人で。
妹は、私にとって宝物だ。私の宝物を、守ってくれた。感謝しても、しきれない。
『あの、なにかお礼を……』
『いやそんな、本当にたいしたことはないですから。それより、もう妹ちゃんから目を離しちゃだめですよ?』
『ぐすっ……お兄ちゃん、ありあと……』
『はは、うん、どういたしまして。お礼って言うなら、この子のお礼だけで充分ですよ』
あんまりしつこいと、迷惑に思われるかもしれない。
でも、私たちの恩人に、このままなにもせずに去らせるわけにはいかない。
『でも……』
『甲斐ー、なにしてんのー』
『あ、姉ちゃんだ。じゃ、俺行くんで。
じゃあね』
『あっ……』
『ぐすっ。ばいばいー、ありがとーお兄ちゃん!』
なんとかお礼をしたい。そう食い下がる私だったけど、"彼"はおそらく"彼"を呼ぶ声に反応して、行ってしまった。
"かい"……それは、名前だろうか。それが、"彼"の名前だろうか。
その後、事態を知ったお母さんが大泣きして、私たちを抱きしめてくれた。
ごめんね、目を離してごめんねと謝っていたけど……弟妹を連れて行ったのは、私だ。私は怒られなきゃいけない。
だから、正直に話した。そしたら、小突かれた。
『…………かい、か』
それから、妹の恩人の名前を心に刻んで……探してお礼をしようと思った。
でも、手がかりはなにもない。名前と、私と同い年くらいだろうってことだけだ。あとお姉さんがいること。
出会ったのがキャンプ場だったから、どこに住んでいるかもわからない。近所なのか、遠出して来ていたのか。
このまま、"彼"を見つけることもできず、日々を過ごしていくのか……そう思っていた……
『おぉい
『あんたねぇ……まーた強引に相手を巻き込んだんでしょ。てか、友達を確保とは言わないわよ。相手も迷惑してるって』
『んなことねーよ。なー、甲斐』
『うん、俺は歓迎だよ』
『え……』
……それは、突然の出来事だった。運命の時は、高校に入学した後。
幼なじみの
こいつとは小中と同じクラスで、高校も同じ……しかも同じクラスになるなんて。早速億劫な気持ちが芽生えていた。
でも、そんな気持ちは……空光が連れてきた、友達の存在の前にかき消えた。"かい"……その名前に、私は視線を向けた。
その名前は……その声は……その顔は……
あの、ときの……?
『どうも、白鳥 甲斐です。って、改めて自己紹介となると恥ずいな』
『まー勘弁してくれ。こいつはクラスメイトの自己紹介中なんか上の空だったみたいだからな。
……って、おい浪?』
かい……かい……もしかして?
私の心臓は、ドクンと跳ねた。そして、本能が告げた……"この人"だって。
奇跡っていうものがあるなら、これがまさしく奇跡なんだろうと思う。
二年前、妹を助けてくれた恩人が。私の宝物を守ってくれた人が。そこにいる。
どうやら、白鳥は私の顔は覚えていないようだった。それはそうだ、あの状況じゃ妹を助けるのに精一杯で、私の顔なんてよく見てないだろう。
でも、私はよく覚えている。
あの時の、出来事を。
――――――
『甲斐ー、なにしてんのー』
『あ、姉ちゃんだ。じゃ、俺行くんで』
二年前に出会った、白鳥姉弟。まあお姉さんの方は遠目に一方的に見ただけだけど。
……あのときのお姉さんが、詩乃さんって呼ばれてたあの人なんだろうか?
でも、あのときは姉ちゃん呼びで、今は詩乃さんって呼んでた……白鳥って、お姉さん二人いるのかしら。
やっぱり、複雑な関係なのかな。
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