第29話 私のお弁当が一番おいしい!



 ――――――



「今日も、ごちそうさま」


「はい、お粗末様です」


 ……夜七時をちょっと過ぎた頃。部屋のインターホンが鳴る。

 もはや日常の一部となったそれは、自然と俺の心臓を高鳴らせる。確認しなくても、相手が誰だかわかる。


 玄関の扉を開けると、そこには詩乃さんの姿。

 お互いに「こんばんは」と挨拶を交わして、詩乃さんを部屋に上げて……彼女から、弁当箱を受け取る。それが、先ほどのやり取り。


「わ、今日も完食してくれたんですね。ありがとうございます」


「ふふん、当然だよ。甲斐くんのお弁当すごくおいしいし。

 というか、お礼を言うのは私の方だよ?」


 そして詩乃さんから弁当箱を受け取り、中が空になっていることに嬉しさを覚える。

 自分が作ったものを、残さず食べてもらえる。この嬉しさは、詩乃さんと弁当のやり取りをするようになって初めて知った。


 自分以外の人に、俺が作った弁当を渡す。それを食べてもらい、さらには残らずに全部食べてもらえるのだ。

 作り甲斐があるというものだ。まあ、弁当自体は昨晩の詰め合わせだけどね。


「それで、今日は……」


「今日は野菜炒めです。ちょっといい肉が安かったので、それも加えて」


「おぉお」


 すでにフライパンには、肉と野菜が入れられジュージューと音を立てている。

 肉を先に炒め、火が通りにくい野菜を順に入れていく。肉より先に野菜を炒めると、水分が出てしまうからな。何事にも順番がある。


 表面を固めて、旨味や肉汁を逃がさないように肉を先に炒めるのだ。

 野菜の種類は、玉ねぎ、キャベツ、にんじん、もやし、と……そこにごま油、塩コショウを投入。


 だんだん、香ばしいいいにおいが漂ってくる。


「んー、いい香り」


 どうやら詩乃さんも、それを感じ取ってくれているらしい。

 俺の横から、フライパンの中を覗き込むようにしているのだが……


「し、詩乃さん。横にいられると、その……」


「あ、ごめん気が散っちゃうよね。じゃあ、あっちで待ってるね」


「はい。テレビは適当に見といていいんで」


 詩乃さんは、広間に戻りソファーに座る。

 それからテレビをつけ、面白そうな番組がないかチャンネルを変えていく。


 ……正直な話、詩乃さんが隣にいると集中できない。

 だって、普段の詩乃さんでも隣に立っているだけで緊張してしまうのに、今の詩乃さんは風呂上がりの姿なのだ。


 ラフなティシャツと短パンという格好に、乾かしてはきたんだろうがしっとりと濡れた髪。

 これを意識するなという方が無理だ。


「そうだ、甲斐くん! バイトの面接受かったんだよね! おめでとう」


 テレビのチャンネルを変えつつ、ふと思い出したかのように詩乃さんが話しかけてくる。

 それは先ほど、俺が送ったメッセージの内容に対するものだ。


 バイトの面接から三日が過ぎた今日、バイトの面接の合否連絡が来たのだ。

 その結果を、先ほど詩乃さんに連絡しておいた。


 気にしてくれていたし、一応な。


「えぇ、ありがとうございます」


 焦げ目がつかないよう、火の調節をしながら野菜炒めを完成させ、皿に移していく。

 さらに、インスタントではあるが味噌汁も用意。あとは白飯と……


 うん、出来上がり。


「とりあえず、今週末から入ることになりました。午前から午後にかけてなので、晩飯は今まで通り食べられますよ」


 いつ、どの時間にバイトに行くのかの説明をしながら、テーブルに料理を並べていく。

 同時に詩乃さんは、冷蔵庫から俺の分のお茶と、自分のビールを取り出した。


 もう慣れたもんだ、この動きも。


「そっかぁ、ならこれからも一緒に食べられるんだね! でも……もし私のことを気にして、夜に入らないんだったら……」


「いえ、今は夜は人数が足りてるらしいので。それに俺も、いきなり夜はキツイかなと」


 会話を続けつつ、食事の準備を終え……俺と詩乃さんは、慣れた動きで対面に座る。

 それから手を合わせ、「いただきます」と挨拶をして、食事を開始する。


「ん〜、やっぱり甲斐くんの作る料理最高〜」


「あはは、ありがとうございます」


 やっぱり、嬉しい。

 頰に手を当て、頰を緩めて、声と表情で表現してくれている……おいしい、と。


 すげー嬉しい。


「火加減もちょうどいいし、お肉も柔らか〜い。お野菜も、不思議と箸が止まらない」


「いい肉ですからね。焼きすぎると台無しになりますけど、そこは任せてくださいよ」


 これは素材の味がいいからだ……と謙遜する。ここで天狗になってはいけない、控えてこそだ。

 そりゃあ、俺の料理の腕はなかなかだと思うけど? だからって満足したりはしないさ。


「はぁー、これも明日のお弁当に入るんだと思うと、今から楽しみで仕方ないよ。甲斐くんのお弁当、会社の子にもすごく評判なんだよ?」


「か、会社の人にですか?」


 そうか……弁当を広げれば、それは当然他の人の目に入るよな。一緒に食べる人もいればなおさら。

 評判がいいのか、俺の弁当は……


「うん。いつもだいたい、私含めて三人で食べるんだけどね。こう言っちゃなんだけど、私のお弁当が一番おいしい!

 ……あ、甲斐くんの作ってくれたお弁当がね!」


 自分が食べているのが一番おいしいと、ちょっと鼻を高くしてドヤ顔している詩乃さん……新鮮な姿でかわええ。

 まるで自分のことのように感じてくれているのか。


 しかし、三人で昼食を取っているのか……俺たちと同じだな。


「ただ、二人には……お弁当は、私が作ったものってウソついちゃってるのが、ちょっと引っかかっててねぇ」


 詩乃さんには、弁当は自分で作ったことにしてくれと言ってある。

 家族でもない、隣に住んでいる年下の男が作ったものなど、詩乃さんの評価を下げかねないと感じたからだ。


 これは、考えすぎかもしれない。けれど……


「詩乃さんがウソをつくのが嫌なら、無理にとはいいませんよ」


 詩乃さんに無理を強いてまで、ウソをつかせるつもりもない。


「嫌というか……甲斐くんの手柄を取ることになっちゃって、いいのかなって」


 困ったように、詩乃さんは笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る