第28話 明日もお仕事頑張ってください
『彼氏に弁当を作ってもらって、弁当を食べてると彼氏の顔を思い出しちゃう、それでにやけちゃう……
そんな顔をしている!』
なっちゃんの言葉に、私はひどく動揺してしまった。
それは、彼氏という単語にびっくりしたからだろうか。それとも……
お弁当を作ってくれた甲斐くんのことを、彼氏と連想して頭の中に思い浮かべてしまったからだろうか。
「……」
このお弁当は、甲斐くんが作ってくれたもの。そしてこのお弁当を食べているとき、私はとても幸せそうな顔をしていたみたいだ。
なっちゃんの言葉は大げさにしても……そんなに私、顔に出ていたかな。
実際に、甲斐くんの料理はおいしい。お弁当にしたら作り立てよりは味は落ちるものの、それでもおいしいことに変わりはない。
いや、甲斐くんのことだ。時間が経っていることも考えてのラインナップな気がしないこともない。
おいしいものを食べれば、幸せな顔になるのは当然のこと。
うん、私はさっきの、彼氏って言葉にただびっくりしちゃって動揺しただけだ。
「……そもそも私、彼氏いたことないし」
ぎゃいぎゃいと言い争っているなっちゃんとかなちゃんを横目に、私は小さくつぶやいた。
彼氏というものは、そもそも私にはいない……いたこともない。
学生時代は、とか過去形ではなく、過去と現在において……だ。
ただ、この年にもなって彼氏が一人もいなかったというのは、なんだか恥ずかしいので……
『えー、彼氏? 今はいないよー、いないいない』
甲斐くんにファミレスで彼氏の有無を聞かれたとき、こう答えてしまった。
そう、これは私のように恋人が現在までいなかった人にとって、魔法のような言葉だ。
単純に、彼氏はいたことない、と答えるのは簡単だ。でもそれだと、恥ずかしい。
「……」
学生時代、私は別にモテないわけじゃなかった。はずだ。
楓が言うには、クラスの中では結構かわいいほうだったし……成績もよかったから、みんなから注目されていた。
でも……告白は、されたことなかったなぁ。あれ? やっぱモテなかったのか?
自分から告白なんて、できるはずもないし。恋人なんていたことがない。
だから、"今は"を付ける。こうすることで、あたかも『以前付き合っていた人はいたけど今はフリーよ』という意味になるのだ。
あぁ、言葉ってなんて素晴らしいんだろう。
「それにしてもさぁ……ちょっと憧れるよねー、彼氏に弁当作ってもらうってさ」
どうやらかなちゃんに言いたいことをぶつけ切ったらしいなっちゃんは、戻ってくるなりそんなことを口にする。
まだ続けるのか、彼氏の話。
……って、なっちゃんは今まで彼氏いなかったって公言してるし、別に隠してるわけじゃないんだよね。
いや、私も周りに隠してるわけじゃないんだけどさ……恥ずかしいとか、考えすぎだったかな。
それとも、甲斐くんには大人の女性としての余裕を見せたかったから、"今は"なんて言っちゃったのかな。
これはあれか……見栄、ってやつだな。それも、安っぽい見栄だ。
「憧れる、ですか?」
「そうそう。だってさー、大好きな彼氏が、自分のために早起きして弁当を作ってくれるわけじゃん? それってさー、すごくよくない?」
「そんなもんですかね……でも、女ならやっぱり男の人に作ってあげるべきでは?」
「かぁーっ、古いねぇ
ちなみに私は、私のために彼氏が弁当作ってくれる工程にすげー萌えるタイプ」
「知りませんよ。
二人の会話を聞きながら、私は水筒に注いでいたお茶を飲む。
自分のためにお弁当を作ってくれる……か。
甲斐くんは彼氏、じゃないけど。私のためにお弁当作ってくれるのは、本当に感謝している。
もちろん、自分の分のお弁当のついでっていうのはわかってるんだけど……
『はい、詩乃さん。明日もお仕事頑張ってください』
前日、甲斐くんから晩ご飯の残りを詰めたお弁当箱をもらう。
そのときに、いつも声をかけてくれる。明日も頑張って、と。
その瞬間が、私は好きだ。お弁当を食べる瞬間も、もちろん好きだけど……
甲斐くんがお弁当箱を渡してくれて、笑顔を浮かべて、声をかけてくれて。
たまに手が触れ合ったりなんかもして。
その瞬間が、好きだ。その瞬間、なんだか胸の奥がぽかぽかする感覚がある。
「あー、またその顔!」
「え?」
ビシッ、となっちゃんに指を差され、私は困惑する。
けれど、今度はかなちゃんもうんうんとうなずいている。
「まぁた幸せそうな顔してたよ。誰のこと考えてたのかなー?」
「も、もしかして……お、男、ですか!?」
「ちっ……」
違う、ととっさに口にしそうになったが……思い浮かべていたのは、確かに男の子のことだったのでその先の言葉が出てこない。
でも、この流れで黙っちゃったら……
「まさか、彼氏でもできたのかなぁん?」
ほらこうなっちゃう!
「ち、違うから。彼氏じゃないから」
「ほほう、彼氏じゃあない? でも男であることは否定しないんだ?」
「もう、上げ足取らないの!」
まったく、なっちゃんったらすぐに私のことをからかうんだから。
こういう風に、積極的に話しかけてくれるのは……嫌いじゃないけど。
かなちゃんも、おとなしいけどわりと言いたいことは言う子だ。
会社の中でも、特に仲の良い二人だ。
「にしても、前までは食堂や購買で済ませてた詩乃が、いつの間にかこんな弁当を作れるようになってたなんて」
「ま、まあ、自炊した方が、や、安上がりだしぃ?」
あぁ、これ楓ちゃんに指摘されたことだ。自炊した方が安上がりだよって。
私も、すっかり流されちゃってる。
「料理は苦手って言ってた気がするけど」
「い、いっぱい練習したからね!」
「そっかぁ。
あ、そうだ。そんなに料理上達したならさ、今度私にも料理教えてよ! なんか自分だけ置いていかれてるのも癪だしさー」
「え、まあいいけ、ど……え? ん?」
なんだ、今流れでとんでもない話にならなかったか?
そして私、流れでうんと答えなかったか?
「いや、今のは……」
「あ、そろそろ休憩終わっちゃいますよ」
「やっべ、急げ!」
「ちょっとぉ!?」
以前までは、そこまで楽しいと感じることのなかったお昼の時間……それは、甲斐くんにお弁当を作ってもらってから一変した。
おいしいものを食べて、それをおいしそうだと言ってもらえて……すごく、充実しているのだ。
まさか、酔っぱらってとんでもないことをしてしまった結果が、こんなことになるとは考えもしなかったな。
とんでもない迷惑をかけてしまったのに、私に良くしてくれる……素敵な男の子。彼の顔を思い浮かべて、私は小さく呟いた。
「ありがとね、甲斐くん」
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