第26話 一緒に海、行ってみない?



「うわぁー、今ってこんなに水着が揃ってるんだー!」


「……」


 俺は今なぜか、詩乃さんと一緒に水着コーナーにいる。

 時期も時期だし、水着を取り扱っている店も多い。なので、水着があることに疑問はない。


 なぜ、詩乃さんと一緒にこんなところにいるんだろう? 俺は果たして、ここにいていいのだろうか?


「あの、詩乃さん……?」


「いやぁ、社会人になってからなかなか、プールや海に行く機会なんてないから、水着売り場なんて毎年スルーしてたよ。でも、見てみるといいもんだねぇ。

 ……って、甲斐くんどうかした?」


「いや、その……俺はここにいていいんでしょうか?」


「? あはは、甲斐くんったらそんなこと気にして、かわいいなぁ。下着売り場ってわけじゃないんだし、大丈夫大丈夫」


 水着を見て目を輝かせている詩乃さんは、俺の疑問にあっさりと答えた。そりゃ、水着売り場なんて誰でも入っていいだろうけど……

 女性もののコーナーだと、なんか周りの目が痛いんです!


 って、俺が気にしすぎなだけなのか? しかも、詩乃さんにかわいいと言われてしまった。

 こんなことを気にするような男だから、いつまでも男として見てもらえないんじゃないのか?


「わぁー、はは!」


「……詩乃さん、プールか海に行く予定でもあるんですか?」


 目を輝かせている詩乃さんは、年上なのにかわいいと感じる。しかしそれを直視するのもなんだかやらしいので、視線をそらしつつ俺は聞いた。

 さっきは、行く機会なんてないと行っていたが……


 これほどのはしゃぎよう。なにか予定でもあるのかと、思ってしまう。

 もしそうなら、誰と……


「うーん、今のところはないけど……」


 俺の問いに、詩乃さんは人差し指を顎に当てて考える素振りをする。

 人差し指を顎に当てるのは、詩乃さんが考え事をする時の癖のようなものだ。


 その答えは、予定はないとのものだった。ほっと一息。

 ただ水着が見たかっただけ……なのか。物珍しいから、つい目が移ってしまったと?


 俺がそう考えていると、詩乃さんはその目を俺に向けた。ふと、視線が交じり心臓が高鳴る。


「なんなら、一緒に行く? 海」


「……はい?」


 詩乃さんは、最近良く浮かべるいたずらっ子のような笑みで……そう、告げたのだ。

 一瞬、なにを言われたのか気づかなかった。間の抜けた声が出てしまったのは、仕方のないことだと大目に見てほしい。


 それよりも……俺はようやく、詩乃さんがなにを言ったのか、理解することができた。

 それを踏まえて、もう一度……


「今……なんて?」


 詩乃さんがなんて言ったのか、聞き返してしまう。

 だってそうだろう。これは、俺が勝手にイメージした妄想なのではないか……そう思ってしまうのだ。


 けれど、俺のそんな思いとは裏腹に……


「一緒に海、行ってみない?」


 と、先ほどと同じ内容の言葉を口にしたのだ。

 その内容に、俺は開いた口が塞がらない。


 海、海、海……詩乃さんと、海、だと!?

 なんだそれは。なんのご褒美だそれは!?


「お、俺と、う、海……?」


「ふふ、うん。なんかすごい動揺してない?」


 これまで、海に行った記憶はある。そのときは、姉ちゃんはもちろん詩乃さんも一緒だった……気がする。

 だが、当時は二人とも確か女子高生……つまり、俺は小学生のガキだったわけだ。


 それを最後に、詩乃さんと海には来ていない。大学生、社会人と、時間が取れなくなっていったからだ。

 なので、詩乃さんとの海の思い出は小学生時代が最後……正直、当時のことはあんま覚えてない!


 昔のことなので覚えていないというのもあるが、あの頃の俺は一丁前に恥ずかしがって詩乃さんの水着姿をあんまり見ていなかった。

 なんてもったいないことをしたんだろうな。


「えっと、嫌、かな?」


 答えず固まったままの俺に、詩乃さんが不安そうな表情を向ける。なんかデジャヴ!

 嫌か、だって? そんなこと……あるはずがない!


 だって……だってさ。女の人と、憧れの人と二人きりで海だよ!?

 そんなの、絶対行きたいに決まってる!


「い、行きたいです!」


「そっか、よかったぁ。なら、楓も誘って三人で行こうよ」


「……」


 ……悪気は、ないんだろうな。うん。

 今回も俺が、二人きりだと勝手に勘違いしていただけ。詩乃さんはなにも悪くない。


 でも、姉ちゃんかぁ……

 なんだろうな、姉ちゃんの水着姿を想像したら途端に気分が沈んじゃったぞ?


「ワァー、タノシミダナァ」


「だよねー! あ、でも私最近ちょっとお腹が……っ、な、なんでもない!」


 近くの水着を手に取り、自分に合わせていた詩乃さんだが……ふと、なにかをぼそっと言った。直後、なんでもないと言ったけど。

 よく聞こえなかったな。まあ、なんでもないならいっか?


 とにかく、姉ちゃん付きではあるが詩乃さんと海に行くことに!?

 やばい、めちゃくちゃ楽しみだ。


 でも、どうして急に海に行きたいなんて言い出したんだ……?


「俺は嬉しいですけど、急にどうしたんですか?」


「いやぁ、せっかく甲斐くんも高校生になったんだし、高校生と言えば海! だよ!」


 ……高校生と言えば海。そういうもんだろうか?

 しかも、それは詩乃さんは俺のために海を考案してくれたということか?


「それに、私もたまには、童心に帰って遊びたいしね」


「遊び……」


「そ。一人で海なんて虚しいし、この年になると友達を誘おうにもなかなかね。

 ……ううん。なにかきっかけがないと、わざわざ海に行こうって思えないんだよ。学生の頃はそんなんじゃなかったのになー」


 どこか寂しそうに笑う詩乃さんは、初めて見る表情をしていた。

 それから、詩乃さんは俺の眼前に指を突き出した。親指を突き立て、ぐっと拳を握っている。


「で、そのきっかけが、甲斐くん」


「お、俺ですか?」


「そ。弟みたいに思ってる甲斐くんの、初めての高校の夏! 楽しい思い出にできたらなって!」


 きっかけが俺……というのは、喜んでいいのかどうか。それに、やっぱり弟としてしか見られてないか。

 でも、詩乃さんが俺のために考えてくれているのは、とても嬉しい。


 俺に微笑むその表情が、弟のような存在に向けるものじゃなくて、いつか別の……詩乃さんにとって、大切なものに向ける表情になってくれれば、いいな。


「じゃー、楓と今度水着買いに来よ!」


 詩乃さんはスマホを取り出し、姉ちゃんにメッセージを打っていく。


 今日、水着を買うわけじゃないのか……

 がっかりしたような、心の準備ができていないから安心したような。複雑な気分だ。



 ――――――



 第三章はここまでです。登場人物も増え、わちゃわちゃしてきましたね。甲斐に想いを寄せるクラスメイトの存在、そして詩乃さんとのデート……盛り上がってまいりましたね。

 次回から、第四章 めぐる気持ちが始まります。

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