第19話 好きぃ、えへへへ



 ……その日の晩。



 プシュッ……



「んぐっ……んぐっ……っ、ぷはぁ! かーっ、やっぱ仕事終わりのビールは格別だわー!」


 部屋に小気味いい音が響く。共に食卓を囲み、俺の正面の席に座っている詩乃さんは、缶ビールを豪快に飲んでいく。

 聞いているこっちが気持ちよくなるくらいの豪快っぷりに、普段の詩乃さんの姿はどこにもない。


 仕事終わりに、俺の部屋に通い食事をする。

 それが決まってから、数日が経った。


「それに、甲斐くんの料理もおいしいし! んー、このもやし炒めさいっこう!」


「はは、それはどうも」


 高校入学から三ヶ月……たった三ヶ月だったと言える、俺の静かで平穏な暮らしは。

 まさかそこからたった数日で、これほどまでに生活スタイルが変貌するとは。


 驚きはあるが、嫌ではない。

 確かに、これまでの十何年分の詩乃さん像がたった数日で崩されたのは、俺の中でとてつもない変化だ。


 だがそれは、結果として詩乃さんとの距離を縮めるに至った。

 俺がこれまで見てきた詩乃さんは、いわば外面だ。彼女の本性を知り、ひどく驚いたが……

 だからって、それで彼女への熱が冷めるわけでもなく。


「あー、おいしー! しぁわせー!」


「……」


 俺の作った料理を頬張り、とろけるような表情を見せてくれると、どうしようもなく胸の奥が熱くなる。


「んんぐっ……っ、くはぁ!」


「……」


 こんなだらしない一面を見せられても、今ではかわいらしくすら思ってしまう。いや、無条件に全部受け止めるわけではないけども。

 重症だな、こりゃ。


「あれー、どうしたの甲斐くん。食べないの?」


「あぁ、いえ……ちょっと、考え事をしてただけです」


「考え事ぉ?」


「詩乃さん、俺の前でももう隠さずに飲むようになったなぁって」


 俺の手元にある料理があまり減ってないのを見てか、詩乃さんが指摘する。

 お酒を飲んでいるというのに、よく見ている人だ。


 若干呂律が回っていないが、それでもまだ本格的に酔ってはいなさそうだな。

 俺が詩乃さんの食べっぷりと飲みっぷりを観察していたことには、気付いていなさそうだ。


「あー……まあ、もう見られちゃったしねぇ」


「あの日はすごかったですもんね」


「言わないでぇっ」


 詩乃さんは元々、俺の前ではお酒は飲まないようにしていたという。

 俺への悪影響を考えて……とのことだったようだが。


 それは、俺の部屋に酔っ払い突撃してきたあの日に、すべて壊れた。


「あんなぁ、だらしない姿ぁ、見られちゃってぇ……っ、だったらぁ、もういっかなぁって、そう思ってぇ……!」


「思っちゃいましたかぁ」


 どうやら詩乃さんの中では、あの姿を見られた時点で『もういっかぁ』と思ってしまったらしい。

 さすがにあの姿を見せて、取り繕えるとは思わなかったらしい。


 約束をして俺の部屋で食べることになった初日。

 詩乃さんは自分の部屋からいくつか缶ビールを持ってきて、俺の冷蔵庫に保存していたのだ。


 なぜそんなことをするか? 手間が省けるからだ。

 まさか俺が缶ビールを買うわけにもいかないし、詩乃さんのもいちいち自分の部屋に取りに戻るのは面倒だから。


「それに、誰かと一緒に、気兼ねなくお酒飲めるっていうのが……嬉しくてぇ」


「姉ちゃんと二人で飲んでたんじゃないんですか」


「最近はそんな機会も減ってさぁ」


 ゴクゴク……と中身を飲んでいき、空になった缶ビールをテーブルの上に置く。

 以前は姉ちゃんと二人で飲んでいたようだが、最近はそうでもないらしい。


 時間を合わせるのが難しいのか。だから、一人で飲む時間が増える。

 誰かと一緒に飲むのは、また素敵な時間なのだろう。たとえ俺が飲めなくても。


「それにぃ、甲斐くんはおつまみも作ってくれてぇ、好きぃ、えへへへ……」


「っ……」


 こ、この人は……恥ずかしげもなく、そんなことを……!


 いや、好きというのはおつまみを作ってくれる『行為』がであり、おつまみを作る『俺』が好きという意味ではない。というかおつまみが好きなだけだ!

 勘違いするなよ、俺!


「あぁ……もう、なくなっちゃったぁ。うへへ、じゃあもう一本……」


「だめです。今日はこれでおしまい」


「えー」


 テーブルに突っ伏し、空の缶ビールを転がして遊んでいた詩乃さんが、席を立とうとする。

 しかし俺は、それを止める。もしこれが、トイレに行きたいという理由ならば止めるなんて鬼畜な真似はしない。


 詩乃さんの目的が、冷蔵庫……次なる缶ビールにあったからだ。


「決めましたよね。缶ビールは一日三本。もう三本飲んだんだし、今日はこれで終わりです」


「えぇー、そんなぁ。いいじゃん、明日休みなんだよー?」


「休みでもだめです」


 詩乃さんはまだビールを飲みたいようだが……それは絶対に、だめだ。

 というのも、俺と詩乃さんの間で取り決めしたことの一つが、一日に飲んでいい缶ビールの本数だ。


 まあ、ほぼ俺が一方的に決めたようなものだが。


「詩乃さんは約束を破るんですか?」


「あぅ……」


 晩ご飯の際、飲んでいい限界の本数は三本まで。それ以上はアウトだ。

 これは、詩乃さんの健康管理も兼ねている。酒ばかり飲んでいては、体に悪い。


 というか、本数を決めているのなら冷蔵庫に入れておくビールの本数も決めておけばいいのでは?

 今更な疑問があった。


「本当なら、三本でも多いなって思ってるんです。でも、詩乃さん前は五本とか飲んでいたって言うから……しかも本数を決めてるわけではないから日によって数が変わるし。ただ、いきなり減らしすぎるのも、それはそれで危ないかなと。

 だから、徐々に数を減らしていきましょうね」


「ヤダーッ、飲みたいぃ! ねぇねぇ、あと一本、一本だけだから。先っちょだけだから」


「意味わかんないこと言ってもだめです」


 詩乃さんは酔うと、子供のようにもなる。

 酔っ払い突撃のときもそうだったが、その後も酔っ払い観察をして、泣き上戸、絡み酒、子供返りなどあることがわかった。種類豊富だ。


 三本でこれなのだから、五本とか飲ませたらどうなるのだろう。

 怖いから飲ませないのも本音ではある。一人のときどうしてたんだ。


 本数を減らし、そして一日に飲む本数をちゃんと決めておく。

 細かいが、大切なことだ。


「ぶー、ケチー」


「水ならいくらでも飲んでいいですよ。はい」


「あうあー、味がしないー」


 不服そうにしながらも、ちびちびと水を飲んでいく詩乃さん。

 なんだかんだ言いつつも……俺に隠れて自分の部屋でお酒を飲んでいたりはしていない。


 そのあたり、やっぱり真面目だよなぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る