第三章 憧れの女性と初めてのこと

第15話 間接キスになっちゃうじゃん……



 ……高校入学を機に、一人暮らしを始める。

 これが世間的には多い方なのか少ない方なのか、俺にはわからない。わからないが、俺は一人暮らしを始めた側の人間だ。


 俺白鳥 甲斐しらとり かいは、この度高校入学を果たし、アパートの一室で一人暮らしを始めた。

 さらに隣の部屋には、姉の友人である花野咲 詩乃はなのさき しのさんが住んでいる。


 俺にとって憧れの女性だが、向こうからしたら俺は友人の弟……実際に詩乃さんだって、よくて弟としか思っていないだろう。

 しかも、隣同士とはいえ頻繁に会うわけではない。お互いの関係性は、変わらぬまま……


 ……そのはず、だった。



『私のために、毎日味噌汁を作ってくれない?』



 あの一言をきっかけに……俺たちの関係性は、変わった。

 その言葉通り、詩乃さんは毎日俺の部屋に食事をしに来るようになった。


 それにあたって、俺たちにはいくつか決めることがあった。

 それは…………


「おー、今日の弁当もうまそうじゃん、甲斐!」


「へ……」


「おいおい、なにぼーっとしてんだよ? あまりの空腹に意識が飛んでたのか?」


 ここ数日の出来事を思い出していた俺に、声がかけられた。

 それは、正面の席に座っている男子生徒……空光 空也からみつ くうやのものであった。


 髪を金色に染め、耳にはピアスまでしている。見るからに不良だ……と俺は、第一印象から関わらないようにしていた。

 それがいつの間にか、昼飯を一緒に食べるほどの仲になっているのだから、不思議だ。


 ここは学校。学び舎の中の一室……俺のクラスだ。

 今は昼休憩時で、みなそれぞれを過ごしている。教室で弁当を食べる、購買に買いに行く、食堂で食べに行く……等々。


「あのねぇ、白鳥があんたみたいに食い意地張ってるわけないじゃない」


「いや、食い意地とかは関係ねえだろ!」


 俺は、教室で弁当を食べている側の人間だ。

 ここにいる空光、そして……


「どうだか。さっきから白鳥のお弁当見つめていやらしい」


「そこまで言う!?」


 築野 浪つくの なみさんと一緒に。

 彼女の睨みつけるような視線が、空光を刺す。ぷいっと顔をそらすと、短めにしてある赤茶色のポニーテールが揺れる。


 この二人、どうやら幼なじみらしい。気兼ねない関係だ。

 幼なじみと言えば俺と詩乃さんもそうと言えるのだろうが、年が九つも離れている……こんな風に、同じ教室で話すことはない。


 昼は、この三人で食べる。いつからかのお決まりのようになっていた。

 とはいえ、三人が三人とも弁当なわけではない。


「いやあ、でもその唐揚げマジうまそうだよなぁ。よだれ出て来たわ」


「えっと……一つ、いる?」


「マジ!? じゃあ遠慮なく!」


 俺の弁当をじっと見てくる空光に、俺は弁当箱の中にあった唐揚げを箸でつまみ、差し出す。

 それを空光は、ぱくっと食べるのだ。


 頬を緩ませもぐもぐと食べている姿は、胸の中があたたかくなる。いい笑顔だ。

 空光は最初は怖かったのだが、付き合ってみると気のいい奴だとわかった。


「んー、うめー! お返しにこれかじってってくれよ!」


「じゃ、遠慮なく」


 お返しにと、空光は手に持っていたサンドウィッチを差し出してくる。

 俺はその端に、かじりつく。


 空光はだいたいが購買でなにか買ってきて、ここで食べている。

 だから、手作り弁当が恋しいのだろう。


「ん、どうかした築野さん」


「へ!? いや、なんでも!?」


 ふと、築野さんからの視線を感じた。

 俺が問うと、彼女はわかりやすく顔をそらしてしまったが……


 ……クラスの中で、彼女は四、五番目にかわいい、という評価だ。というのも、男子たちがそう話しているのを聞いてしまった。

 本人は、その評価を知らないようだが……


 あまりそういうのは、よくないと思うんだがな。

 しかも、順位がその、微妙だ。


 まあ、知っていてなにもしていない俺が、なにを言える立場でもない。その評価も、個人の自由だと言い張られてしまえばそれ以上はなにも言えない。


「ただ、白鳥のお弁当おいしそうだなって……

 ……あと、空光うらやましい……」


「はは、ありがとう。ただ、最後なんて?」


「! な、なんでもない!」


 築野さんも弁当持参だが、女子においしそうと言われるのはやはり気分がいいものだ。築野さんのもおいしそうだが。

 もしかして築野さんも、おかずが欲しいのだろうか。


 あり得るな。彼女、ちょっと素直になれなさそうなところがあるし。

 それに他の人の弁当って、輝いて見えるし。


「築野さんも、なにかおかずいる? ほら、この卵焼きとか」


「え、本当に…………いや、やっぱりいい」


 俺の申し出に、築野さんは素早い動きでこちらを見た。

 よほど興奮でもしているのか、目をキラキラさせ頬を赤くして、箸で摘まんだおかずを見ていたが……とたんに落ち着いてしまった。


 スン……といった擬音がつきそうなほどの落ち着きよう。なんだよう、そんなに表情変わったら怖いんだけど。


「だって今あ、あーんしてもらったら……空光なんかと間接キスになっちゃうじゃん……」


「?」


「あぁでも、おかず貰うだけなら自分の箸で取れば……でも断った手前やっぱり欲しいなんて私こそ食い意地張ってると思われる……そもそも白鳥なんでナチュラルにあーんしようとしてくるのよぉ……!」


「なにをぶつぶつ言ってんだ?」


 なにやらぶつぶつ言い始めた築野さん。今彼女の中でなにが起こっているのだろう。

 こういうときは、下手に刺激しない方がいいのだ。落ち着くまでそっとしておこう。


「それにしても、ここ最近の甲斐の弁当は、前よりもうまそうに見えるよな。てか実際にうまいし!」


「そ、それはどうも……ったく、そんなおだててもなにも出ねえぞ。今度はウインナーやる」


「俺お前のそういうちょろいところもところ嫌いじゃないぜ」


 再びおかずを空光に差し出しつつ、俺は改めて自分の弁当箱を見た。

 そこには……確かに以前より豪華と言うか、気合の入ったラインナップ、味付けになったおかずが並んでいる。


 それには、理由がある……


「なにか、理由でもあんのか?」


「まあ……やっぱり食事は気合い入れてなんぼだよなってこと」


「?」


 それは……弁当に気合いが入ってしまう出来事が、ここ最近で起こったからに他ならない。

 言うまでもなく、詩乃さんの存在だ。

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