第5話 甲斐くんの方が安心できるかな



 まさかの、詩乃さんからのあーんタイム。


 俺のオムライスを食べたから、自分のハンバーグを分ける……それは、なるほど理解できる内容だった。

 だけど、まさか『あーん』をされるなんて思わない。

 しかも、自分の食べていたスプーンのままで。


 これはつまり、このまま食べたら間接キスをするということになるわけで……!?


「? どうかした?」


「い、いえ……」


 当の詩乃さんは、きょとんとした様子で首を傾げている。

 気にしていないのか。気にしている俺が変なのか?


 ……そうだ、詩乃さんは社会人だ。社会人ともなれば、間接キス程度で慌てることはしないのだろう。

 ここで渋っていたら、ヘタレだと思われてしまう!


 ええい、俺も男だ! 男は度胸! 間接キスがなんだ!


「い、いただきます……!」


 覚悟を決めて俺は、ハンバーグの乗っているスプーンを口に含む。

 ハンバーグを口の中へ迎え、スプーンから口を、顔を離す。


 もぐもぐと咀嚼。肉が柔らかいことはわかるが……

 正直……


「どう?」


「お、おいしいです……」


 味はあまり、わからなかった。

 味わうような余裕が、今の俺にはなかった。


「はむはむ……ごっくん。

 お二人さん、ちょっと話があるんだよね」


「! な、なにかな」


 ふと、声をかけられる。それは、姉ちゃんのものだ。

 そうだ、正面には姉ちゃんが座ってるんだ。今のやりとり見られていたのか、恥ずかしすぎる!


 だけど姉ちゃんは、特に気にした様子もなく、話を続ける。


「うん。甲斐はこの度高校生になるわけじゃん?

 だからさ……これを機に一人暮らし、してみない?」


 話があると、そう言った姉ちゃんの言葉は……突然のことで。

 先ほどまでピンク色になっていた脳内が、一気に回転を始めていた。


「一人……」


「暮らし?」


 俺と詩乃さんは、同じように疑問に思ったはずだ。

 その疑問に対し、姉ちゃんは「そ」とうなずいた。


「詩乃も知ってるでしょ、ウチは両親が海外出張行ってて、甲斐と二人で暮らしてるの」


「えぇ」


 姉ちゃんの言葉に、詩乃さんはうなずいた。

 そう、俺と姉ちゃんには今、両親がいない。その理由は、海外へ出張に行っているからだ。


 元々、父さんは単身での出張が多かった。だが数年前から、海外への出張に行っているのだ。

 姉ちゃんは大学生だったし、俺はまだ小さかった。俺の世話は自分が見るという姉ちゃんに任せて、両親は二人で海外に行ったのだ。


 現在は、アパートの一室で俺と姉ちゃんは二人暮らしをしている。


「でも、せっかく高校生になったんだからさ。男たるもの、一人暮らしは経験していたほうがいいんじゃないかなーって」


「男たるものって……性別は関係ないでしょ」


「なはは、まあね。

 でも甲斐、一人暮らしに興味あるんでしょ。お姉ちゃんは知ってるんだからね」


 にやり、と笑って、姉ちゃんは俺を見た。

 その言葉が図星で、俺は言葉に詰まってしまう。


 姉ちゃんの言葉は、的確に俺の心を見抜いていた。

 実際に俺は、一人暮らしをしてみたいと思っている。憧れはあるのだ。


「なるほど。まあそこは二人の問題だから、私は口出しはしないけど。

 でも、わざわざ私がいる時に話したってことは、私にも関係あることなの?」


 姉ちゃんの話を聞いて、詩乃さんが眉をひそめた。

 話の内容は理解したが、しかし自分がこの話に関係があるのか、分からない様子だ。


 俺だって分からない。


「実はさ、詩乃の部屋の隣空いてるって話してたの、思い出して。そこに甲斐を住まわせるのはどうかなって。

 つまり、詩乃の隣の部屋」


「!」


 この場に詩乃さんを呼んだ理由……それを聞いて、俺は驚いた。

 一人暮らしをしてみてはという話もそうだが、暮らす先が詩乃さんの隣の部屋だって?


 なにもかもがいきなりのことで、頭が着いていかない。


「アタシとしても、甲斐の気持ちは汲んであげたいけど、いきなりたった一人でってのも不安じゃない?

 だから、近くに詩乃がいてくれればなってね」


「なるほどね」


 姉ちゃんの考えは、一応は理解できる。それが俺のためを思ってだということも。

 だけど……


「いや、でも……今の部屋の隣だって、空いてるだろ?」


「あんたねえ、それだと意味ないでしょうが」


 ごもっともな意見に、俺は黙る。

 せっかく一人暮らしをしようというのに、姉ちゃんの隣の部屋に住む……これでは確かにあまり意味がない。


「けど……」


「なによあんた、もしかして詩乃の隣の部屋嫌なの?」


「!」


「そ、そうなの甲斐くん?」


 俺が渋った様子を見せていたせいだろう、姉ちゃんから思いもしなかった指摘。

 それは、半ば俺をからかうためのものだとういうのはわかる。が……


 それを聞いた詩乃さんは、今の言葉を真に受けてしまっている。

 これはいけない。


「ち、違う! 違います! 嫌なんてことは……」


「本当? よかったぁ」


 焦って否定する俺に、詩乃さんは安心した笑顔を見せる。

 ほっとした様子だが、本当にほっとしたのは俺の方だ。詩乃さんの隣の部屋が嫌だなんて、そんな勘違いをされてはたまったものではない。


 嫌なわけ、ない。むしろ逆だ。ただ、緊張しているのだ。

 だって、憧れの人と隣同士の部屋なんて……意識するなという方が、無理だ。


「けど……詩乃さんは、その、いいんですか?」


「ん? もちろん。

 むしろ知らない人より、甲斐くんの方が安心できるかな」


 ……それは、裏のない言葉だった。

 こんなことで嬉しくなってしまう自分が、恥ずかしい。


「ま、そういうことだから。

 詩乃もこいつのこと、こき使っていいからねー」


「おい姉」


「ふふ。力仕事があれば、お願いしちゃうかもね? なーんて」


「任せてください!」


「おい弟」


 一通り話がまとまったところで、姉ちゃんは満足そうに笑った。

 それから、携帯電話を取り出して画面を確認。どうやら着信が来ていたらしく、折り返す。


 それから呼び出されたのか、それとも呼び出したのかはわからない。

 そのまま姉ちゃんは誰かと電話をしたあと、先に店を出て行ってしまった。


 一応自分の分のお金は置いていったようなので、そこだけは安心した。

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