第4話 はい、あーん



 俺の視線の動きに気づいた姉ちゃんもまた、視線を移動させる。すると、そこに見知った人物がいることに気づく。

 自分の居場所を報せるために、姉ちゃんは手をブンブンと振る。

 恥ずかしいが、さっきのことを思えばもう大差ない。


 姉ちゃんに気づいた彼女は、くすっと笑うようにしてから足を進めた。

 コツコツ、とヒールの音が、床を叩く。


「お待たせ、楓ちゃん、甲斐くん」


 そして、俺たちの前に立った人物……花野咲 詩乃はなのさき しのさんは、やんわりと微笑んだ。


「いやあ、昼前には終わるはずだった仕事が長引いちゃってね。ごめんごめん」


「気にしないで。まだ始まってないし。ね」


「お、おう」


 俺の入学祝いに駆けつけてくれた詩乃さんは、遅れて来たことを謝罪した。

 だけど、姉ちゃんの言うようにまだ始まってもいないわけだし……それに、遅れたからって責めるつもりはない。


 こうしてわざわざ来てくれただけで、俺は嬉しいのだ。

 仕事が長引いたという言葉通り、スーツを着用している。わざわざ、仕事終わりに駆けつけてくれたのだ。


「急遽仕事が入っちゃって、参っちゃうよもう。

 ……ところで、なんかさっきからこの席に視線を感じるんだけど……」


「あはは……なんででしょうね」


 この席に集まる視線……それが姉ちゃんのせいだということを、俺は知っている。

 まさかあんな大騒ぎがあったなど、詩乃さんは知るよしもない。


「ま、とりあえず座りなって。ほら甲斐、詰めた詰めた」


「あぁ……って、え?」


 姉ちゃんに言われるがまま、俺は席の奥へと移動する。が、ここで疑問を覚えた。

 この席は、四人掛けのソファーだ。俺と姉ちゃんは対面に座っていて、もう一人が座るならどちらかの隣に座るしかない。


 だけど、姉ちゃんがわざわざ俺に、席を詰めろと言ったということは……


「ありがとー甲斐くん。失礼しまーす」


「!」


 姉ちゃんの隣ではなく、俺の隣に詩乃さんが座るということだ。

 その考えに気付いた時には、すでに詩乃さんは俺の隣に腰を下ろしていた。


 ソファーにかかる重みが増す。

 隣に、詩乃さんが座っている……その事実に、俺の心臓はどうしようもなく高鳴っていた。


 ど、どうしよう……心臓の音、聞こえてしまってないだろうか。

 ていうか、なんだかいいにおいがするような……


「んじゃ、詩乃はなんにする?」


「そうだなぁ」


 そんな俺の気持ちを知るよしもなく……いや知られたらまずいんだけど……詩乃さんは、姉ちゃんと一緒にタッチパネルを覗き込んでいる。

 メニュー表を眺め、うーんと少し考えて……


「じゃあ、このオムライス定食に……」


 と、まさかの俺と同じものを注文しようとした。


「お、甲斐とお揃い?」


「え、甲斐くんもオムライス定食にしたの?」


「は、はい」


 姉ちゃんの指摘に、詩乃さんはきょとんとした表情を浮かべた。

 それから俺の顔をちらっと見て、再びメニューへ視線を向ける。


 そして、またもうーんと考えて……


「なら私は、ハンバーグ定食にしようかな」


「えっ」


 その言葉に、たまらず俺は声を漏らしていた。

 でも、だってそうだろう。俺と一緒の品を頼むことになるから、自分が注文するものを変える。

 これはつまり、そういうことだ。


 そんな俺の気持ちに気付いたのか、詩乃さんは俺を見て小さく微笑んだ。


「どっちにしようか悩んでたから、気にしないで」


「でも……」


「その代わり、オムライス一口ちょうだいね」


 またも、え……という言葉が出てしまうその前に、詩乃さんはハンバーグ定食を注文した。

 一口くれって……それ、どういう……? ……いや、言葉通りの意味しかないだろうけど。


 ま、まあ詩乃さんも悩んでいたのだから、一口あげるくらい、なんてことはないが。


「しっかし、時間が巡るのは早いねぇ。甲斐くんと初めて会った時なんか、まだこんなに小さかったのに。

 今や高校生なんて。立派になって」


「いや年寄りか」


「高校生から見たら社会人なんて年寄りみたいなもんじゃんー」


「そんなことないですよっ」


 俺の顔を見て、感慨深そうにつぶやく詩乃さん。そんな詩乃さんにツッコむ姉ちゃんに、詩乃さんは肩を竦め、俺は首を振って答える。

 確かに、俺にとっては詩乃さんは大人だが……年寄りだなんて、思っていない。


 それを聞いた詩乃さんは「ありがとー」と柔らかな笑顔を向けてくれる。

 その笑顔が見たくて、嬉しくて、俺の心臓は高鳴る。


 ……それからしばらくして、三人の注文した料理が運ばれてくる。

 俺はオムライス定食、詩乃さんはハンバーグ定食。ちなみに姉ちゃんは、ラーメンと半チャーハンのセットだ。


「わ、おいしそー。いただきまーす」


 運ばれてきた料理を見て、それぞれ頬を緩ませる。

 それから「いただきます」と続けて口にしてから、各々一口目を食べた。


 うん、おいしい。なんていうか、安心する味だ。

 このまま一気に食べ進めたくなってしまうが……


 ……さて、一口目を食べたことで、先ほどの約束を果たさなければならない。なんたって、そこにはごまかせない理由がある。


「えっと……ど、どうぞ」


「わーい、じゃあいただくね?」


 視線を感じたのだ。

 ハンバーグを食べていた詩乃さんだったが、俺のオムライスを見てねだる目を向けてきていたのだ。

 これが計算でなくて天然なのだから、恐ろしい。


 俺は皿を詩乃さんの方へ寄せ、オムライスを差し出す。

 詩乃さんは、オムライスをスプーンで掬い、食べた。……自分が使っていたスプーンで。


 それだけではない。


「はい、あーん」


「!?」


 詩乃さんは、自分のハンバーグをスプーンに乗せ、俺の口元へと差し出してきた。

 それがなにを意味するか……というか、彼女自身がそれを言っている。


 これは、噂でしか聞いたことがない。『あーん』というやつだ。


「え、えっと?」


「私だけオムライスを貰っておいて、フェアじゃないじゃない?

 だから、あーん」


「なん……だと……」

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