第2話 山羊乳のカボチャ煮込み
レダの出身地であるティーエ村はかつての人魔の領境に位置していた。最後の異種戦争からもう400年余りの歳月が過ぎ去り、国と国、人と人との交流は大きな川の流れとなって、その
──それでも歴史は、今もずっとこの地に佇んでいる。
旅立つ前、レダは父親から人族側の土地へ向かうことを強く勧められていた。
「そっちには一つ街があるからな。料理も美味しいのがたくさんあると思うぞ。例えば──」
父アーネストはそんな話をしていたが、彼が言っていたその街こそは、先の大戦で人族が築き上げた最前線の要塞なのだった。
レダが歩いている道は、石畳でこそないものの草を抜いて綺麗にならされ、馬車も小型のものなら通れるようになっている。大樹という森の中心から離れたこの辺りでは高さ数メートルの低木がほとんどで、そのため日当たりも良く、土の道は白く乾いてブーツに薄い
陽の光が和らいでもう少しすれば空が染まってくるだろうという時間に、レダは父親が言っていた丁字路にたどり着いた。
「意外と整ってるんだ」
辺りは広めに木を
ここを右折すれば
「街までは馬車で2日、魔族の方は1ヶ月。これはお父さんの言うとおりにするのがいいかなあ」
地図に書かれたことが伝えているのは、あくまで馬車での移動。つまり単なる距離だけでなく、道の勾配やぬかるみといった要素もあるから、身一つで歩き旅をする自分にはそのまま当てはまらない。しかし、それにしても2日と1ヶ月では差が開きすぎ、そして実のところ、その「距離以外の要素」は15倍という差をさらに大きくしていた。
地図の空いているところには「出没する魔物の一覧は逆側の柱に」と書かれている。隣を見ると確かにそちらの柱にも板が打ち付けてあって、歩き近づいて見れば、そこにはそれぞれの道で遭遇するかもしれない魔物の名前が記してある。空白のクリスティーエ村と、ラビットやらワームやらの名前が数個しかない人族側と、そしてその二つに挟まれて、旧魔族領へと至る道のリストはつらつらと長かった。
運が良ければ──あるいは悪ければ──
「──私、S級冒険者か何かなのかな」
父親の言っていたことが記憶から引っ張りだされて、レダはそう独りごちる。
劣位竜は街が一つ滅ぶような魔物。まちがっても、16歳のハーフエルフが一人で闘うような相手ではない。そのくらいのことはレダも知っている。そして父親も、レダとは違って村の外によく出かけていたのだ。この魔物リストのことは見たことがあるはず。
けれども父アーネストは、自分にこう言っていた。
「そっちには一つ街があるからな。料理も美味しいのがたくさんあると思うぞ。例えば──」
一体どうして、自分の娘が人族側の街ではなく魔族側に行くかもしれないなんて心配をしたのだろう。挙げられた料理──街で食べられると言われた料理──のいくつかは、レダでも分かるくらい名前が間違っていた。
「ふふ、山羊乳のカボチャ煮込みって。逆なら分かるけど」
そのぐちゃぐちゃ具合が、心中の様子そのものだったのかも知れない。
私が旅に出るって聞いて意外と慌ててたのかなと、レダは自分の目元をぬぐいながら笑った。
東屋の隣に作られた石の井戸。木の角材を組んだ屋根がついていて、中に葉っぱや虫が入らないようになっている。屋根の柱を伝って、その途中まで
レダは少し興味が湧いて、髪が水につかないように気をつけながら、井戸のへりに片手をついてそっと中を覗いてみた。屋根が光を弱めているからか、井戸の中は
レダは、その小さな光を閉じ込めた宝石の黒の中に、ただ一つ、何か透明に、淡く白っぽいものを見つけた。
「あれは──魔石?」
「そやで」
独り言に返事。
井戸から飛び退いたレダはしかし、たちまち魔法の杖を下ろして肩を垂れる。
ため息をついたレダに、ロバを連れた背の高い男が言った。
「その魔石に【
「──それは知らなかったかも。教えてくれてありがとう、シオナーハさん」
村で何度も見たことのある、馴染みの顔。
驚かさないでよ、と付け加えたレダに、シオナーハと呼ばれた男は狐目を細めて一礼した。
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