第4話 聖女は山を越える

 エレーヌはブロワ侯爵が王様となって王国と王朝を打ち立てた後も戦場で活躍していた。

 しかし、聖女の力を補充する手段が女性の経血から、戦場で倒れた将兵から流れ出た血に変わっていた。そうしなければ連戦に耐えられないからであった。

 戦場で狂気じみた行動がみられるようになったのもこの時期辺りからであった。レーヌは軍人の鑑であると信じていて、手放しで称賛していた。

「このままでは、エレーヌは壊れてしまう」

 戦友の中で唯一の女性軍人であるミレイヌは危惧していた。



「最近、煩わしい月のモノが来なくなった」

 エレーヌは嬉しそうに言った。それを聞いたミレイヌは愕然とした。

「エレーヌ。貴女は戦場に長く居過ぎだ。その為に月のモノが途絶えたのだ。心身が悲鳴を上げているぞ⁉」

「そんな事はない。私はミレイヌより若いし、戦場に立っている期間は短い」

「こういうのは個人差がある!すべてを私を基準にするな!」

 ミレイヌは反論する。エレーヌが言っている事は事実だが、正確ではなかった。ミレイヌはエレーヌの一つ年上に過ぎないし、戦場にいる日にちは大差なかった。



 幟槍の聖女の名声は日に日に高くなっていた。戦乱に絶望していた民草は、うら若き乙女の救世主に希望を抱く。それは味方の軍人達も役人達もそうだった。



 しかし、その真逆の者もいた。敵国はもちろんだが、ブロワ王もそこに含まれていた。自分を王様にしてくれた聖女を危険視するようになっていた。

「予を国王にする力があるのであれば、聖女が王となる日も来るのではないか?」

 最初は妄想からの自問自答であったが、次第に妄信へと進化した。その機知を上手く汲み取る人間も存在した。そして彼等は王に入れ知恵をする。


「聖女は危険」



 しかし、そんな状況をブロワ王の宿敵が知らぬ訳がなかった。

「これでは切り札が無くなってしまう」

 クロウ枢機卿は危惧した。



 その頃レーヌがブロワ王と意見が対立して左遷されてしまった。レーヌが率いていた軍団は分割されてしまい、エレーヌの配下は、当初から率いていた千五百人規模の部隊になってしまった。エレーヌは戦友達と離れ離れになってしまった。

「これからは、自分一人で戦わなくてはいけない」

 エレーヌは気負い込む。部下達は転属せずに残ったのでそこは安心した。


「彼等は普通の人間である。傷つけば血が流れ、弾が当たれば普通に死ぬ」


 エレーヌは常に補給に重きを置き、戦闘は自ら先頭に立って兵力の消耗を抑える事にした。参謀と副官をはじめ将校団は、このような自己犠牲で成り立つエレーヌの方針を心配していた。

「このままでは、聖女様が壊れてしまう」


 イルグランド軍を海に追い落とした聖女軍団は転戦による再編成の為、王都に帰還を命じられた。

「これは好機」

 参謀はある人物にツテを頼って手紙をしたためた。


 軍団は王都の目抜き通りを凱旋行進をしてブロワ王の威信を高め民衆を鼓舞する。


 路地裏のとある酒場。

「パレードに出なくて大丈夫なのかい?」

「それは、貴方様もでしょう?」

「ハハハ。確かにそうであるな」

 二人の男はひそひそと密談する。


 再編成され六千人規模になった聖女軍団は南に向かう。この時は戦闘には参加せずに王都に帰還した。血は吸い上げたけれど。しかし、この遠征でエレーヌはこれまでになかった心身の不調をきたすようになった。参謀は再びクロウ枢機卿に書状を出した。

「こちらも準備が整った。彼女を連れて来るように」


 エレーヌは参謀の紹介でクロウ枢機卿による魔導診察を受けた。

「聖女様。聖女の力が弱まっておりますぞ」

 医者でもあるクロウ枢機卿の言葉にエレーヌは心底驚いた。そして、エレーヌはそんな事はないと実例を挙げて反論する。しかし、クロウ枢機卿は静かに論破した。

「…そう言われると思っておりました。今の聖女の力は、不浄の血を吸った為に起きている狂化という暴走なのです」

「不浄の血…?…不浄の血…。以前、仕えていた領主様からそれと同じ事を言われた事があります」

 不浄の血。その言葉に反応したエレーヌはうつむく。

「聖女にとって不浄の血は、人間の血そのものなのです。しかし、女性の経血は、新しき生命を宿す為に生み出された原理によるものなので、清浄の血となります。よって聖女の力は、清浄の血で賄わなければなりません」

「………」

 エレーヌは、ガクッとうなだれて反論する気力も根拠も失った。クロウ枢機卿はそんなエレーヌに提案した。

「正しく治療をすれば、聖女の力も本来の力を取り戻し、もっと、力も安定する筈です」

「猊下は聖女の力に詳しいのですか?」

「力そのものは、聖女個人によって違うのでそちらの方はあまり詳しくはないのですが、聖女の歴史には、私の右に出る者はいないと自負しております」

「クロウ猊下は、聖女研究の第一人者でもあります」

 参謀が解説した。


 治療は、女性の経血を浄化魔法で取り込んで聖女の力を清浄して聖女の力は使わない事。だった。


 それ以外には、エレーヌの月のモノが元通りになる事が一つの目安とされた。心身の酷使によりホルモン分泌のバランスが崩れて聖女の力が変質して狂化しやすくなるとも指摘を受けたからだった。


 具体的な治療方針はクロウ枢機卿から丁寧に示された。王都は女性の人口も多いので基本方針を守っていれば、それだけ回復に要する時間は短縮できるだろうとも説明を受けていた。

 そして、エレーヌは例に漏れず、“月のモノお悩み相談所”を開いた。

 軍務は副官や参謀をはじめとする将校団に任せてエレーヌはに専念する。女性達の噂はすぐに広まって出だしは順調だった。


「う~ん。あまり順調とは言えないなぁ」


 狂化の進度が思っていたよりも深くかつその期間が長かった事が要因とされた。


「集まって来る女性の数云々というよりも、倒れた将兵の数や住民の数がそれだけ多いという事だな」


 クロウ枢機卿は冷静に分析する。軍団の規模は、倍以上の二万人体制に一気に増やされる事になったので、再編成を利用してエレーヌの治療は続けられる事になった。ところが、ロタリア方面の政治情勢はそれを許さなかった。ブロワ王は軍に軍団動員を命令。十万を超える大軍団は三個軍団に分れて進発、ロタリアとの国境を接するモブラシに向かった。さらに第二陣として二個軍団八万も移動を始めた。聖女軍団は再編中だった為この時点では動員予備にも指定されていなかった。


 が、いざ戦端が開かれるとブロワ軍は劣勢に立たされた。ブロワ王は聖女軍団に出動を命じる。参謀は出動命令を拒否しようとしたが、エレーヌに制止される。

「大元帥閣下!聖女様は治療の継続が必要であります!」

「なんだと?」

「待って。すみません大元帥閣下。部隊は、ご命令の通りに出動いたします。ただ、私は軍団の最後尾に位置したいと思います」

「よかろう…軍団は予定通りに出動し行軍順序も変更しない。エレーヌ。君は兵站部隊と行動せよ。軍団との連絡は絶やさぬように」

「ありがとうございます」


 聖女軍団は王都を進発した。エレーヌは大元帥閣下の配慮で兵站部隊と行動していた。


 しかし、ロタリアではブロワ軍は苦戦を強いられていて前線部隊の士気が大幅に低下し敗走していた。聖女軍団の援護で壊滅だけは避けられたが、ブロワ王国はロタリアでの影響力を丸ごと失った。遠征軍司令官は、全責任を到着が遅れたエレーヌに押し付けた。ブロワ王は激怒し、エレーヌの逮捕を命じる。エレーヌは軍務怠慢の罪で逮捕されて監獄に投獄されてしまった。


 聖女の投獄はフリア地方に激震が走る。各地でブロワ王にたいする反発が巻き起こり一気に世情不安定となってしまった。

「これでは、聖女が処刑されかねない」

 クロウ枢機卿は危惧した。


 遂に、左遷されて不満を持っていたレーヌが反乱を起こした。


「ここが潮時だ」


 クロウ枢機卿はエレーヌの脱獄を決断する。そもそも、聖女は不老不死なのだ。だが、聖女の力が減衰し狂化が治癒できない現状では、普通の人間と同じく簡単に死んでしまうかもしれなかった。それだけでなく、聖女の力を取り違えたフリアに聖女を扱う資格はないとすら判断していた。


「山を越させる」


 亡命させる事を計画する。クロウ枢機卿は根回しを始めた。


 エレーヌは治療自体を認められていたので、投獄といっても実際には監獄の外に護送されて外に出る事が多かった。大概は貴族の屋敷に赴いて浄化魔法をかけて女性の経血を吸収するものであったから原則として男性は立ち会えなかった。クロウ枢機卿はそこを利用した。帰りの護送はゴーレムを利用する。ゴーレムは友人の錬金術師に依頼してある。脱出の段取りもついていた。


 結構当日早朝。錬金術師が黒魔術を行っているとの守旧派による告発により逮捕されてしまった。それだけでなく、自身にも黒い影が忍び寄っている事を知る。さらに追い打ちをかけるニュースが入って来た。

 エレーヌの処刑が決まったのだ。


「クソ」


 身動きが取れなくなったクロウ枢機卿は歯ぎしりをするしかなかった。が、偶然地方での視察である人物を見かけた。



 処刑当日。


 凱旋大広場に火刑の準備が整えられた。エレーヌは鎖で縛られて火刑台に立たされる。法官が罪状を読み上げ、処刑執行人が火を点けようとした時、騎乗の武装集団が銃をぶっ放した。辺りは騒然とする。

「静かにしろ‼」

 再び男らの発砲があり、静粛にさせられる。

「その処刑は、無効なり‼」

 馬に乗った一人の男が大声で叫ぶ。

「この処刑はブロワ王の勅命ですぞ⁉」

 法官はその男に反論する。

「黙れ!その勅命自体が無効なのである!」

「何ですと⁉」

「これを読め!」

 男は丸めて封印された書類を法官に差し出す。法官は封印を解き、書面を何度も確認する。

「これは…然り」

 法官は書類を男に返却する。

「処刑は中止。勅命の無効を宣言し、聖女を釈放せよ!」

 法官は大声で刑吏達に命令する。刑吏達は混乱した。

「早く火を消せよ」

 処刑執行人は抵抗する。

「俺が消してやる」

 処刑執行人は別の男にたいまつを持っていた見腕を切り落とし、水魔法で生成した水をかけて火を消す。

「お前の死刑は俺様が執行してやる」

 男は処刑執行人の額をピストルで撃ち抜いた。

「早く、鎖を外せよ!」

 刑吏は、他の男達にせっつかれてエレーヌの鎖を外し、解放する。

「エレーヌ。乗れ」

 エレーヌは馬に乗せられ、男達と共にその場を去った。



 男達は王都の郊外で一息つく。

「エレーヌ。無事でよかった」

 男達はフードを外す。

「我が代父!」

 声で何となく気が付いていたが、エレーヌは思わず涙した。

「すまない。私が軽率にも、神に願いを祈ってしまったばかりに…」

 神父は握り拳を作りながら、エレーヌに頭を垂れて謝罪する。

「我が代父……どうか、頭を上げてください」

「エレーヌ…」

 頭を上げた神父は涙を流していた。

「私は…この世界に召喚された事について、そんなには負の感情を抱いてはいません。むしろ、前の世界にいた時より遥かに活躍できた。ただ、聖女というものがどういうものなのか、みんな、私自身も含めてよく分かっていなかったのではないかと思います。しかも、私の場合は、種類が今までとは違っていたようですし」

 エレーヌは微笑みながら言った。可愛く若返った。だって、金髪碧眼美少女だよ。胸も大きくなったし、魔法も使える。そして、発言を続ける。

「ただ、私が思うに、不幸だったのは、聖女の力を戦争の道具にして権力の為に為政者に搾取される隙を与えてしまった事ですね。それは、異世界の事が分からないからという事だけでなく、私が政治や軍事に無関心だった事。そして聖女が何たる事なのかをしっかり認識していなかった事だと思います」

 私は自分の考えを人前で喋った。

「聖女様…」

「みんな、揃ったか?」

 最後に領主達が現れた。

「領主様?」

「エレーヌには後で説明する。今はブロワ王の勢力圏からの離脱を優先する」



 エレーヌは雪が降る前にケルプス山脈を越えてスイザン都市連邦に亡命する事になった。戦乱が続くフリアではエレーヌの治療はできないと領主が判断したからだ。エレーヌのケルプス越えは、神父の傭兵時代の同僚や部下だった人達が手引きをしてくれた。フリア側の関所は反ブロワ勢力が抑えていたので無事に通過する。

「…これをお渡しするよう、仰せつかっております」

 フリアの関所まで道案内をしてくれた傭兵はまず二通の書簡を手渡す。エレーヌは中身を確認する。その書簡は領主が発行した身元保証状だった。

「聖女様は、冒険者登録をされており、本来なら白金銘板を提示すれば問題ないのですが、ブロワ王国から異端手配が為されており、移動に制約が生じております」

「分かったわ」

「それからこれも」

 路銀が入った革袋一つと別の書状を二つ受け取る。

「革袋には中銀貨100枚が入っております。この書状は今後の身の振り方について書かれており、こちらの書状は、とある教会の司教にお見せくだされ」

「ありがとう」

「では、お達者で」


 エレーヌはスイザン都市連邦の関所に向かった。


                                 つづく

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