いろいろいろ

異端者

『いろいろいろ』本文

 妻が実家に帰って、残された私は荷物の整理を始めた。

 仕方がない――そう自分に言い聞かせる。

 私は無造作にダンボール箱の中に荷物を放り込んでいく。

 独りで暮らすには、このマンションは広すぎる。もっと家賃の安い、手ごろな広さのアパートに引っ越すつもりだ。

 思えば、昔から妻は気の多いところがあった。だが、それをあえて見ないようにしてきた。最近妙に化粧等に凝って色気づいてきたと思ったらこれだ。

 離婚しようと思った原因は、妻の浮気だった。証拠も掴んだし、慰謝料も請求できた……が、しなかった。それをする気にならない程、疲れていた。仕事も忙しかったし、いろいろありすぎた。

 結果として、離婚届に名前を書かせ、財産分与は無しというだけにした。

 その離婚届もまだ出していない。テーブルの上だ。

 ――そもそもが、合うはずがなかったのだ。

 私は荷物を放り込みながら思った。

 妻と知り合ったのは社会人になってからだが、それまでの経歴も聞いたことはあった。

 私は内向的、妻は外向的だった。

 学生時代に私は絵を描き、妻はバレーボールをしていた。

 社会人になってからも私は仕事を終えると自宅で読書にふけり、妻は友人たちと飲み歩いた。


 そんな風に接点がないともいえる私たちが出会ったのは、友人に誘われて渋々参加した飲み会だった。皆が次々にジョッキを空にしていく中、私は自分のペースでゆっくりと飲んでいた。

「ねえ、楽しんでる?」

 余程つまらなさそうに見えたのか、妻、いや妻になる彼女はそう声を掛けてきた。

「まあ、そこそこは……」

「何よ! それ?」

 彼女はわざとらしく怒った顔をした。

「あんまり飲み過ぎると、つまみの味が分からなくなるからね」

 私は少し困ったように答えた。

「こんな安い店では、もともと大したつまみなんて出ないでしょ?」

「それはそれは、ごもっとも……」

 私は苦笑しながら言った。確かに彼女の言う通りだ。

 その後、酔って足取りがおぼつかなくなった彼女を私が送っていくことになった。

 その間も、ろれつの回らない舌で彼女はよく喋った。

「何よ……送り狼にでも、なるの?」

「まさか……ちゃんと家まで送るさ」

「ちょっと……真面目に、答えないでよ」

 そう言ってしなだれかかってくる彼女はどこか色っぽかった。

 それ以降、彼女の方から連絡が来るようになった。連絡先を交換していなかったが、友人に聞いたそうだった。

 それから、結婚までは案外早かった。

 彼女の実家に挨拶に行くと、彼女の両親は「こんな真面目な人と結婚してくれるのなら」と喜んでくれた。

 その後、ささやかな式を挙げて結婚した。あの時に私を誘った友人はもちろん呼んだ。


 それなのに……離婚する意思を義両親に伝えに行くのは、正直気が重かった。彼らは妻の方に非があると最初から聞いていたのか、最後まで親切丁寧な対応をしてくれた。

「良くしてくれたのに、本当に申し訳ない」

 彼らに責任がある訳でもないのに頭を下げる様子を見るのは、こちらが悪者になったような気がして辛かった。

 物思いに耽りながら、私は一枚のキャンバスを手に取った。

 懐かしい……学生時代に描いた油絵だ。妻は私の絵が好きだと言ってくれた。読書と絵描きとの、静かな趣味しかない私を好きだと言ってくれた。

 浮気がバレた後も、何度もやり直せないかと言っていた。私が嫌いになった訳ではない、ほんの気まぐれだったのだ、と。

 だが、元々正反対の私たちが上手くいくはずはなかったのだ。

 そういえば、私は緑色が好きだったが、妻は赤色が好きだった。一番遠い真逆の色だ。だから、合うはずがなかったのだ……。

 よく赤の反対は青のようにいわれるが、それは正確ではない。色相環といわれる色の表では、赤の真逆は緑、もっと正確には青緑である。

 私はキャンバスの絵を見た。秋の森を描いた絵だ。そこには、色付いた紅葉もみじと常緑樹が一緒に描かれていた。

 そうか。そうだったな。しばらく描いていないので忘れていた――私は一人で納得した。

 赤と緑は補色。正反対であるからこそ互いを引き立て合う色でもあった。

 反対だからこそ輝けるものもある。真逆の組み合わせでもそれが間違いとは限らない。

 ――もう一度だけ、妻と話をしてみよう。

 私は荷物を床に置くと、スマホを手に取った。

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