それぞれ戦いに必要なのは

いあ、いあ、はすたぁ 黄の御子よ いあ、いあ、はすたぁ 肉の枝よ 我ら導きたまえ いあ、いあ、 はすたぁ くふあやく ぶるぐとむ あい、あい、はすたぁ 肉に祝福を


 カルトの祈りがすぐ側で聞き取れる、そしてその祈りが近かづく程にトリの体は硬直しついに痙攣を始めた。トリの体は激しくのたうち、口からは吐瀉物が撒き散らされ廃倉庫の広い空間には水音が響く。


 センはトリの痙攣する体を抑え、吐瀉物を掻き出し呼吸を確保する。ぬるりとした吐瀉物の質感がセンの指先を滑り、熱した剃刀に裂かれたような鋭い痛みが指先を刺す。

 トリの喉の奥からは排水溝に巻き付いた髪の毛のような複数の細い触手が這い出し、肉の触手はセンの指先に食い込んだ。センに絡みついた触手は不快な熱を帯びながら、肉に食い込みゆっくりと虫のように痛みと共に這い上がってくる。


 ぽたっぽたっと生温かい雫が手から零れ落ち、不快な悪寒が滴り落ちる血液を逆流し、血管へと流れ込む。


 前にもこんなことがあったような、そうだ、あれは暑い夏の頃だった気がする。ぼんやりとして記憶がはっきりしないが、まだ見習いの頃の話だ、聖母への信心業として教会の庭を整備するというものがあった。


 見慣れた教会の質素だが美しく機能性がある庭だ、白い石造りの花壇には白バラにアロエ、カモミールにベラドンナ、意味のある花やよく使う薬草が植えられていた。いつものように時間通りに支度を整え姉妹たちと庭に出る、伸びすぎた樹形を整え雑草をむしりゴミを集めて捨てると、必要な分だけ薬草を摘み取り籠に入れ院内で加工する。


 庭園の整備の過程で土いじりをするものだから、触手のような黒い虫に出会うこともあったはずだ、そのような虫は処分する、それは神聖なる乙女の花園を荒らす虫であり、エデンの園を蝕む悪しき蛇、見習いとはいえ悪魔祓いだ、悪しき者を遠ざけるそういうものなのだと思っていた。


 ただ今回は違った、土の中から這い出したその虫は鎌首をもたげ、こちらに頭を向ける。目と呼べるような物なのかはわからないが、確かに目が合いその虫が語りかけてくる。


「汝の敵を愛せ」


 酷く歪んだ音が脳内に響くと立っていられない程の頭痛がセンを地面に押しつぶした、自然と虫と目線の高さが合う。

 

「我は黒き湖の羊飼いにして黄衣の賢者、怖れるな、見よ我の大きな喜びをお前に伝える。今日ここに大いなる者、お前たちの救い主が誕生する、祝福せよ」


 激しい吐き気がセンを襲い口からは、吐瀉物と黒い触手が吐き出された。


「「祝福せよ」」


 複数の声が聞こえ視界がぼやける、呼吸も上手く出来ず思考が遠くなる。意識が消え去るその時に左手に熱された鉄を押し付けられたような痛みが走り、熱が体の芯を通り脳内に言葉と火が灯る。


『悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい』


 センの左手にはロザリオが深々と突き刺さっていた、滲む血を握りしめ自らの口から触手を引き抜き答えを示す。


「私達の戦いは、血肉に対するものでは無く、もろもろの支配と、権威と、やみの夜の主権者、“また天上にいる闇の霊に対する戦いである。” 信仰を穢す不浄の者よ、天上の闇の霊よ去れ!」


 光と活力が満ち溢れると、のたうつ黒き虫も、整備された教会の庭も全てが消え失せ、もとの廃工場内に視界は戻ってきていた。トリの口から巻き付く触手はセンの肩口まで伸びてきている。


「なに、ぼーっとしてんの!?」


 マホの声でセンは我に返るとトリの口から触手を勢い良く引き抜く、苦しそうなトリの声と水音が滴るる。引き抜いた触手に緋色の炎が燃え上り焼き尽くした、緋色の炎はセンの服に僅かに残って燻っている。


「あーあ、一張羅が台無しだ」


 センは残った炎で煙草に火を付けると、残り火を叩き消す。


「助かったんだから、文句言わないでよ」


 不機嫌そうなマホの背後からコンクリートの上を複数の靴音が叩く音が聞こえる、自らの神を讃美する邪教の祈りを唱えながら、邪神の威光を示すかのように。天上の月は満ち、星は禍々しく地上に魔の到来を告げる。


 センは徐々に迫ってくる集団を見渡すと血で濡れたロザリオを首にかけ、懐から取り出したバンテージを手に巻き付ける。


「天使の軍勢を名乗るにしては小汚い集団だね」


「なにいってんの?」


「主の意思を感じた」


「へーそう……、聞こえない私にはシスター様からのありがたい説教はあったり、したりするの?」


「そんな退屈そうな顔をしないでよマホ、可愛い顔が台無しだよ」


「ひぇーなによそれ、ちょっと機嫌良さそうだけど、この状況見えてるのかな?」


「見えてるよ、なんならここ最近で一番冴えてる」


「はぁーどうしてこうなった……、んでカミサマはなんて?」


「あいつらをぶっ飛ばせってさ」


「へー、カミサマいいこと言うじゃん」


 マホは杖を振ると闇の中から分厚い革装本の本を取り出し開くと何かを唱える、すると本が独りでに捲られ目的の頁でピタリと止まる。


「我は汝、以下省略! 来たれ、アイム!」


 緋色の炎が渦巻き地面には魔法陣が炎で書かれると、炎の中から尾が蛇の巨大な黒猫それも立派なデブ猫が現れた。炎は一息にデブ猫に吸い込まれ、たちまち消えると、床に魔法陣の焦げ跡を残すのみだ。黒猫はマホを一瞥すると、聡明そうな男性の声をその喉から発する。


「これはこれはマホ様、此度はどのような内容で? 灯りに、失せ物、他人の秘密なんなりと……ううッ!?臭い!? 憎きブタ共の下僕の匂いと……これは、驚いた悪魔も驚く外道共の臭いでは有りませんか、鼻が曲がってしまいそうです」


 大きな黒猫はあまりの臭気に、巨大を踊らすようにもんどりをうつと、鼻をひくひくさせたままトリとセンそして邪教徒を眺め目をカートゥーンのように白黒させている、しかしマホはデブ猫のリアクションを無視した。


「今回は火が欲しいんだよね」 


「バーベキューですか、ここは海辺ですし良いですね」


「焼きすぎないようにできる? レアのレアぐらいで」


「私はカリッカリッのウェルダンが好みなのですが……仕方ありませんね、やるだけはやってみましょう」


「焼いていいのは、あの邪教徒達だけね。トリとセンには、なんの手も出さないこと」 


「私からしたら、皆邪教徒ですがね」


 デブ猫は毛づくろいをしながら手足を舐める。


「聞けるの?聞けないの?」


 マホの銀の指輪がはめられた指と鋭い視線がアイムの心の臓を射すくめるように刺す。


「わかりました聞きますよ、まったく最近お祖母様によく似てきましたね」


「魔女との契約により命じます」


「わかりました、わかりましたってば。もう、そういう厄介な所ばかり似てきておられる」


 アイムはマホの呪文の詠唱を遮ると肩を竦め渋々とマホの言う事を聞く素振りを見せる。途中センに煽り返されたアイムがキシャーと猫のように威嚇していたが、悲しいかな契約で手が出せないのだ。


 邪教徒の輪が三人を囲み、最も無防備なトリに向かって手を伸ばすと、緋色の炎に包まれた。炎は連鎖するように繋がり、ぐるりと邪教徒の輪をそのまま火の輪に変える。炎に苦しむ邪教徒がトリに掴み掛かろうとするがセンに阻まれ蹴り飛ばされていく、センの体は燃えておらず熱も感じてはいないようだ。


「ふむふむ、バーベキューコンロの代わりぐらいにはなれましたかね。このような楽な仕事で有れば何時でもお呼びください、ではではマホ様このあたりで〜」


「まだまだだよアイムちゃん、メインディッシュが残ってるもん」


 マホの言葉を合図にしたように、耳障りな音を掻き鳴らすと、廃工場の天井をぶち破りビアーキーが無軌道にアイムに突っ込んで来た。 アイムは器用に二足で立ち上がるとビアーキーを前足でしっかりと受け止め、相撲のように四つに組む形になる。蛇頭の尾が威嚇するが、相対するビアーキーの瞳からは何も変化を読み取ることができなかった。


「マホ様、火で邪教徒を焼くという御命令は遂行しました故に、この臭い肉バッタとの戦いは契約外なのでは?」


 両手が塞がった状態でどうやっているのか、鼻を摘んだような声をアイムは出す、この悪魔どうにかして帰ろうとしている。


「こいつは……ちょっと大きいけど、アイムからしたら皆邪教徒なんでしょ、自分で言ってたじゃん?」


「そういえば……言いましたね」


「ね、つまり焼き残しがあるじゃん? ちゃんと働いてくれないと困るよ君ー」


「それに、そいつがここに残って動いてるってことはまだボスがいるはずだよ」


 センは火が消えて動かなくなった邪教徒の生存を確認しつつ声を掛ける。アイムは少し考えると、はぁーとため息をつく。


 アイムはため息で吐き出した分の息を吸い込むと、毒霧のように勢い良く吹き付ける、息はそのまま炎となり火炎放射がビアーキーの顔を炙ると耳の中を引っ掻くような甲高い悲鳴が木霊する。

 その悲鳴を黙らせるようにアイムは上手投げの要領でビアーキーを地面に転がした、ウェイト差は歴然である。辺りには廃タイヤの上で肉を焼いた様な嫌な臭いが漂っていた。


 地面に引きずり倒されたビアーキーは、腹部から嫌な音を立て飛び立とうとする。アイムは見逃さずビアーキーの頭に、体重をかけたネコパンを打ち込むと地面に叩きつけた、何かが砕ける音が廃工場に響き、ぬらめく黒褐色の体液が跳ねた顔でアイムはマホ達の方を一瞥する。


「この肉バッタはもう虫の息ですな、元々虫ですけど。それとこれはサービスなのですが、そのボスさんは、もう近くにいらっしゃるみたいですよ、具体的にはあの辺りに」


 アイムの蛇尾がある方向を指すと、そこにはフード付きの黄土色のコートを身にまとった人物が、マホが持つのと同じ様な魔導書を持って立っていた。顔は暗くてよく見え無いが、闇のような触手が蠢いているわけではなく普通の顔のように見える。

 

「あのグリモワールは同業者さんかな、でもボスを張るにしてはちょっと安っぽ過ぎない?」


「まぁ甘く見積もって二流でしょうなぁ」


「邪教徒が持つにしてはアンマッチだけどね、二刀流なんてあり得るの?」


 センの疑問に答えるように、男は魔導書の呪文を読むと焼かれた邪教徒達が再び動き出し、廃工場の外からも少数だが邪教徒がゆっくり向かってきているのが見える。

 追加で男が別の頁の呪文を読み、首に下げた石笛をホォーっと吹くと。ビアーキーの腹が再びけたたましく不快な音を立て、男の影から伸びる不快な力が虫の息だったビアーキーに活力を与える、アイムの手を押し退けるほどの活力を。



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