第7話 おいかけっこ

「如何ですか?」

「うん! 満足!」


 これ程までに満たされたことはない。悪魔ちゃんに成っても、どことなく抱いていた不安が、今は一切ない。この面倒臭い考え方を捩じ伏せるほどの成功体験だった。

 ボクは満面の笑みでカザりに微笑むと、彼女は嬉しそうにレンズを回しながら、懐から赤いカプセル剤を取り出した。


「こちらをどうぞ」

「これは?」


 無言でレンズを回した。このくらいの速度だったら基本的に彼女は微笑みを示している。カプセル剤を飲んで契約を結んだ。このカプセル剤を飲むことで、ボクの体に変化が訪れる。

 詳しくは知らないけど、悪魔は契約の代償で何かを得る。恐らくカザりはボクが起こすことに対する興味心や、起こしたことによるカザりの感情の変化を好んでいる。このカプセル剤はそれに伴うものだと思う。

 となると、個性のその先、ボクがさらに求めることに対応するための新しい契約。


「いただきます」


 カプセル剤を受け取って飲み込む。

 するとボクの体が発光し始めた。光は次第に分かれていき、ボクの体から外へと逃げていく。嫌な予感がし、体を見るとボクが身に纏っていたドレスが、元の服装に戻っている。

 咄嗟にカザりの方を見ると、カザりはパチパチと手を叩きながら、じっとボクの方を見ていた。


「これは?」

「契約満了です。お疲れ様でした」

「契約満了? そんなこと」

「言ってませんよ?」


 あっという間にボクの体は元の姿に戻ってしまった。


「間接的には言いましたが、この契約は個性の貸し付けです」

「そして、契約の効力は貴方が満足するまで」

「そんなこと言ってない。不当じゃん」

「私、悪魔ですからねぇ」


 カザりは初めてボクと会った時と同じように、ボクの体の境界を手で覆った。グッと顔を近付け、三つのレンズでボクを見つめる。

「不満ですよねぇ。でも、飾り物は着けるものであり、外すものです」

「外さなければ、それは飾りではなく身体の一部」

「元があるからこそ、飾りなんですよ?」

 レンズに映ったボクの顔は酷く地味で何の取り柄もなかった。あの時、持て囃された完全無欠な悪魔ちゃんはどこにも居ない。


「私のことは忘れることです。夢が覚めただけなんですから」

「元の何の取り柄もない、何の価値もない、無個性な自分に戻るだけ」

「それだけなんですから」


 カザりはそれだけ言って、ボクに向かって手を振った。縋りつこうと、彼女の足を抱きしめようとした瞬間、彼女の体は無数の蝶になって消えた。


「ど、どうしよう」


 大人数の足音が聞こえる。ガヤガヤと声が聞こえ、内容まではわからないがきっと警察だろう。扉には鎖が巻かれていることを確認したが、鎖は消滅していた。逃げ道を確認するけど、多分、全ての扉の外に警察が待っている。

 中の状況がわからないようにと、三脚で立てられたカメラを倒し、落ちたカメラも、その三脚を何度も叩きつけて破壊する。そして、入口近くの物陰に隠れた。

 中の状況が見えないことが関係してるのか、スタジオに大勢がバタバタと突入してきた。荒々しい声で何かを叫んでいる。必死に息を潜めて、相手の様子を観察する。恐らく第一陣と思しき人達が入りきったあと、第二陣、第三陣が間を縫うように中に入ってきた。

 スタジオ内に誰も居ないことが予想外だったのか、警察たちはざわめいた後、スタジオセットの裏などを探し始めた。ここに居れるのも時間の問題だろう。

 前まで、悪魔ちゃんになるまでのボクはどんなことをしていたのかを考える。悪魔ちゃんになって、ずっと警察に逮捕されるリスクを考えずに活動出来た。だからこそ、前のボクがやっていた目立たない活動の仕方をすっかり忘れてしまっている。

 確か指紋を残さないとか、痕跡を残さないとか、そんなことだった気がする。でも、そんなの事を起こす前のことで、事を起こしたあとの今は意味がない心がけだ。そもそも、見つかったら捕まればいいと思っていた。

 だけど、今のボクは変わってしまった。こんなところで捕まりたくない。個性の味を知ってしまったから、無個性で堕ちたくない。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 警察をビビらせて少しでも隙を作るために、大声を上げながら外へと出ていく。予想よりも警察たちのどよめきは大きく、上手い具合に逃げ出すことが出来た。見える範囲で一番近い階段へと走っていく。

 上か下か、迷っている暇はない。直感だけで下層へと降りていくが、下からドタドタと警察が登ってきた。引き返そうと上を見ると上からも警察が降りてきている。


「――――――!」


 彼らが何かを言っているが脳が処理してくれない。

 捕まりたくない。捕まりたくない。なら、この手で、


「ツイてるじゃんか」


 手にはナイフが握られていた。悪魔ちゃんとして生きてきた証拠、ボクの相棒がここにある。

 ボクは人を殺したことがない。ボクのやってきたことを殺人と言う人が居るけど、ボクは殺したことがない。ボクにとって殺しは命を奪い取る。つまりは自分のために行う能動的な生命活動の停止だが、ボクはこれまで自分のために人を終わらせてきたわけではない。

 でも、これからするのは初めての殺人だ。ボクが逃げるために、相手を殺す。

 ナイフを腕の影に隠して、相手の動きを待つ。大柄な警官がボクを抑え込もうとした瞬間、


「死ねッ!」

 と叫び、ナイフを相手の腹に向かって振り抜いた。しかし、ナイフは相手に刺さることなく、霧となって消えた。


「――――!」


 警察が何かを話している。

 ボクは終わる。終わるけど、ボクは確かに成し遂げた。自分がやりたいこと、個性を手に入れること、個性に名を残すようなことを出来た。

 待って、ボクにとって命を停める行為は自分の個性を保つためのものだったのか? なら、ボクはずっと殺人をしていたのか?

 いや、まさか、そんなわけ、あるはずないよね。

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