同じだけど同じじゃない
水円 岳
☆
夕暮れの編集部。忙しい出稿が終わったから定時上がりのメンバーが多い中、チーフはいつものようにどっかりデスクの前に陣取り、原稿を凝視してる。ただ……珍しく手が動いていない。その上とんでもなく不機嫌だ。触らぬ神に祟りなしと言いたいところだけど、わたしはどうしても突っ込んでしまう。
「チーフ、なにかトラブルがあったんですか?」
「まあな」
原稿の上に赤鉛筆をぽいっと放ったチーフが、ぶるぶるっと首を振るなりでっかい溜息を吐いた。
「はあああっ! 俺も長いこと記者稼業をやってるが、こんな間抜けなヘマは初めて見たよ」
「ヘ、ヘマ?」
ぎょっとする。
「もしかして、出稿後にとんでもない間違いが見つかったとか?」
「……」
鬼のような形相をしているチーフは、口を固く結んで何も言わない。相当ヤバい事態のようだ。わたしがおろおろし始めたら、何を浮き足立ってるんだと言わんばかりにじろりと睨まれた。
「岡田さん。色ってのは、本当に厄介なんだよ」
「も、もしかして。図版の色合わせに問題がっ?」
「まあ、落ち着け」
チーフが空いてた回転椅子を力任せに引き寄せると、座面をぽんぽんと平手で叩いた。こっちに来て座れということなんだろう。覚悟……しないとならない。へっぴり腰で椅子に座ったら、チーフが般若顔のままこっちを向いた。
「ちょい、謎をかける」
「え……と。なぞ、ですか」
「そう。同じだが同じじゃない。意味することがわかるか?」
「……」
さっぱりわからない。チーフが出してるカードは二枚だけだ。
色は厄介だ。
同じだが同じじゃない。
「降参ですー」
「情けないな。もうちょい頭を使え」
チーフが手元にあった雑紙の裏に『好色』と書いた。その紙をわたしに向かって突き出す。
「俺が説明しなくても意味はわかるだろ」
「もちろんです」
「じゃあ、これは?」
今度は『好みの色』と書かれている。
チーフが言わんとすることの輪郭がうっすらと見えてきた。
「これ……」
「別にすけべえでもなんでもない。有名人へのインタビューでもよくある質問だよ。好きな色。好みの色。そうだろ?」
「ええ」
「じゃあ、色好み、は?」
「あ!」
それは最初の『好色』と同じだ。うわ……。
「かなが差別化を手伝ってくれるだけましさ。全く同じで、なおかつ意味が違う。そういうのがあるんだ。たとえば」
「はい!」
「じんじとひとごと。だいじとおおごと。字は同じだぜ?」
「う……うう」
「つまりそういうややこしい字句を使う場合は、きっちり用心して使用法を吟味しないとだめってことさ。そして、色にもそういうのがあるんだよ。えらく厄介なんだ」
さっきの好色は同じではなかったから識別できた。識別できないケースってのがあるの?
「あの、チーフ。何か例を」
「ぐうたらだな。ちゃんと自力で探せ。まあ、一つだけ例を挙げるか」
さっきの『好色』の下に、今度は『水色』と書き足された。
「ええー? これは一個だけでしょう。みずいろですよね」
「阿呆。あとで辞典を調べとけ!」
速攻で雷が落ちた。うう。
「お茶を
「知らなかった……」
「ポピュラーな『黄色』だってそうだ。普通は『きいろ』と読むが『黄色ブドウ球菌』の場合は?」
「う。『おうしょく』ですね」
「意味は変わらないよ。でも読み方が変わる。厄介だろ?」
チーフがさらさらと漢字を書き足す。
「灰色は音読みされない。そのままはいいろ、茶色は音訓混じりでちゃいろだ。かいしょく、ちゃしょくにはならないだろ?」
「そうですね」
「じゃあ」
チーフがさらさらと書く。『灰褐色』か。
「かいかっしょく、ですね」
「そう。今度は訓が混じらない。じゃあ、あかちゃいろ、せきかっしょくは? 色としては変わらないはずだぜ?」
「ぐええっ」
「俺らは、そういう読み分けを一々意識しないんだ。各字の繋がりをセットで覚えたり、コンテクストに照らし合わせて判断する。その分、色の持つ多様性の厄介さに鈍感になってるんだよ。さらに、こんな例もある」
あ、金色。
「そっか。きんいろとこんじき、意味は……」
「同じに見えて、微妙に違う。イメージも使われるケースもだ。古語だときんしょくという読み方もある。一色。いっしょく、いっしき、ひといろなんてのもそうだ」
「ひ……」
段々と色の世界が怖くなってきた。
「まだあるぞ。字も読み方も全く同じなのに、真逆の使われ方をする色もある」
「えっ?」
「色目、さ。とてもよいお色目ですねと服を褒めたかと思えば、俺の女に色目を使いやがったなと凄まれる」
「……。全然意識してなかったです」
「しっかり意識してくれ。記者なんざもともと色物だ。否応なく色事に絡む上に、色気のない記事じゃ客を取れん。ショックで色を失われても困るし、つまらんことで色を
「色々勉強不足でした……」
と。そこではたと意識が原点に戻った。
「てか、チーフ。出稿しちゃってますけど、大丈夫なんですか?」
「ああ、出色の出来とは言えないが、そっちはなんとかなるだろ」
「じゃあ、なにがまずかったんですか?」
「読者プレゼント用に田中先生のサイン入り色紙を用意する。俺は編集会議でちゃんとそう言ったはずだ」
思わず両腕で頭を抱え込んでしまった。
「買い出しに行ったのは大村くんですよね」
「あの野郎、いろがみ買ってどうするんだっ! くそったれがあっ!」
【 了 】
同じだけど同じじゃない 水円 岳 @mizomer
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