同じだけど同じじゃない

水円 岳

 夕暮れの編集部。忙しい出稿が終わったから定時上がりのメンバーが多い中、チーフはいつものようにどっかりデスクの前に陣取り、原稿を凝視してる。ただ……珍しく手が動いていない。その上とんでもなく不機嫌だ。触らぬ神に祟りなしと言いたいところだけど、わたしはどうしても突っ込んでしまう。


「チーフ、なにかトラブルがあったんですか?」

「まあな」


 原稿の上に赤鉛筆をぽいっと放ったチーフが、ぶるぶるっと首を振るなりでっかい溜息を吐いた。


「はあああっ! 俺も長いこと記者稼業をやってるが、こんな間抜けなヘマは初めて見たよ」

「ヘ、ヘマ?」


 ぎょっとする。


「もしかして、出稿後にとんでもない間違いが見つかったとか?」

「……」


 鬼のような形相をしているチーフは、口を固く結んで何も言わない。相当ヤバい事態のようだ。わたしがおろおろし始めたら、何を浮き足立ってるんだと言わんばかりにじろりと睨まれた。


「岡田さん。色ってのは、本当に厄介なんだよ」

「も、もしかして。図版の色合わせに問題がっ?」

「まあ、落ち着け」


 チーフが空いてた回転椅子を力任せに引き寄せると、座面をぽんぽんと平手で叩いた。こっちに来て座れということなんだろう。覚悟……しないとならない。へっぴり腰で椅子に座ったら、チーフが般若顔のままこっちを向いた。


「ちょい、謎をかける」

「え……と。なぞ、ですか」

「そう。同じだが同じじゃない。意味することがわかるか?」

「……」


 さっぱりわからない。チーフが出してるカードは二枚だけだ。

 色は厄介だ。

 同じだが同じじゃない。


「降参ですー」

「情けないな。もうちょい頭を使え」


 チーフが手元にあった雑紙の裏に『好色』と書いた。その紙をわたしに向かって突き出す。


「俺が説明しなくても意味はわかるだろ」

「もちろんです」

「じゃあ、これは?」


 今度は『好みの色』と書かれている。

 チーフが言わんとすることの輪郭がうっすらと見えてきた。


「これ……」

「別にすけべえでもなんでもない。有名人へのインタビューでもよくある質問だよ。好きな色。好みの色。そうだろ?」

「ええ」

「じゃあ、色好み、は?」

「あ!」


 それは最初の『好色』と同じだ。うわ……。


「かなが差別化を手伝ってくれるだけましさ。全く同じで、なおかつ意味が違う。そういうのがあるんだ。たとえば」

「はい!」

「じんじとひとごと。だいじとおおごと。字は同じだぜ?」

「う……うう」

「つまりそういうややこしい字句を使う場合は、きっちり用心して使用法を吟味しないとだめってことさ。そして、色にもそういうのがあるんだよ。えらく厄介なんだ」


 さっきの好色は同じではなかったから識別できた。識別できないケースってのがあるの?


「あの、チーフ。何か例を」

「ぐうたらだな。ちゃんと自力で探せ。まあ、一つだけ例を挙げるか」


 さっきの『好色』の下に、今度は『水色』と書き足された。


「ええー? これは一個だけでしょう。みずいろですよね」

「阿呆。あとで辞典を調べとけ!」


 速攻で雷が落ちた。うう。


「お茶をたしなんでいる人は、これを『すいしょく』と呼ぶ。お茶の色を評価する時に使うんだよ」

「知らなかった……」

「ポピュラーな『黄色』だってそうだ。普通は『きいろ』と読むが『黄色ブドウ球菌』の場合は?」

「う。『おうしょく』ですね」

「意味は変わらないよ。でも読み方が変わる。厄介だろ?」


 チーフがさらさらと漢字を書き足す。


「灰色は音読みされない。そのままはいいろ、茶色は音訓混じりでちゃいろだ。かいしょく、ちゃしょくにはならないだろ?」

「そうですね」

「じゃあ」


 チーフがさらさらと書く。『灰褐色』か。


「かいかっしょく、ですね」

「そう。今度は訓が混じらない。じゃあ、あかちゃいろ、せきかっしょくは? 色としては変わらないはずだぜ?」

「ぐええっ」

「俺らは、そういう読み分けを一々意識しないんだ。各字の繋がりをセットで覚えたり、コンテクストに照らし合わせて判断する。その分、色の持つ多様性の厄介さに鈍感になってるんだよ。さらに、こんな例もある」


 あ、金色。


「そっか。きんいろとこんじき、意味は……」

「同じに見えて、微妙に違う。イメージも使われるケースもだ。古語だときんしょくという読み方もある。一色。いっしょく、いっしき、ひといろなんてのもそうだ」

「ひ……」


 段々と色の世界が怖くなってきた。


「まだあるぞ。字も読み方も全く同じなのに、真逆の使われ方をする色もある」

「えっ?」

「色目、さ。とてもよいお色目ですねと服を褒めたかと思えば、俺の女に色目を使いやがったなと凄まれる」

「……。全然意識してなかったです」

「しっかり意識してくれ。記者なんざもともと色物だ。否応なく色事に絡む上に、色気のない記事じゃ客を取れん。ショックで色を失われても困るし、つまらんことで色をすんじゃ修行が足りん。俺如きのツッコミで動揺が色に出るのはいかがかと思うぞ」

「色々勉強不足でした……」


 と。そこではたと意識が原点に戻った。


「てか、チーフ。出稿しちゃってますけど、大丈夫なんですか?」

「ああ、出色の出来とは言えないが、そっちはなんとかなるだろ」

「じゃあ、なにがまずかったんですか?」

「読者プレゼント用に田中先生のサイン入り色紙を用意する。俺は編集会議でちゃんとそう言ったはずだ」


 思わず両腕で頭を抱え込んでしまった。


「買い出しに行ったのは大村くんですよね」

「あの野郎、いろがみ買ってどうするんだっ! くそったれがあっ!」



【 了 】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

同じだけど同じじゃない 水円 岳 @mizomer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説