第5話 戦線の一つにて
正暦1011年7月23日 ノルデニア半島北部 アスロ市
ノルデニア半島北部にある港湾都市アスロ、その軍港区画より十数隻の艦船が出航を進める。その中にある「ラーズグリーズ」の艦橋では、ディムロ艦長が辺りを見回していた。
「現在、ラティニア海軍は潜水艦を中心にノルデニア半島西部海域に戦力を展開しております。規模は不明ですが、水上艦部隊が全く出てこないところから察するに、十数隻は投じてきているものと見られます」
「厄介だな…ともかく南の様子が気になる。一刻も早く奪還しなければ、トールマン以外の者達が不安でならん」
ディムロがそう呟く中、乗組員の一人は首元にネックレスの様に掛けているイコンを手に、小声で呟く。
「…聖母よ、我らに加護を…」
「…加護を願う暇を、周囲監視に用いるんだ。そうすれば聖母サマは勝手に加護を授けてくれる」
ディムロはそう声をかけ、航海科の乗組員は双眼鏡を手に取る。彼はその乗組員が救世教の信徒だと知っていた。しかし救世教も一枚岩ではなく、ここノルデニア王国では教祖の母を古代ナロウズ神話の女神の一人と同一視する宗派が多数を占めている。彼はその宗派に属していた。
「…最も、この国で一番不憫なのは、彼の様な者なのかもしれんな。我が国では何もしてないのに肩身が狭く、そしてラティニアからは異端だと火炙りの対象にされる…それだから二度の世界大戦で痛い目に遭ったというのに…懲りないものだ」
・・・
街は、瞬く間にラティニアの支配下に置かれた。生活物資は配給制となり、トールマン以外やハーフの住民は餓死を強制される事となった。ラティニア軍の庇護を許された者達も救世教への改宗を余儀なくされ、徹底的な同化政策が施される事となった。
その街の市街地の一角、バーも経営するレストランの店内にて、ハーモニカの音色が響く。昼食を取りに来ていたラティニア陸軍士官の一人は、ハーモニカで器用に讃美歌の曲を吹く少年に、コインを1枚投げる。
「良い腕前だ。趣味として長いことやってたのか?」
わざわざノルデニアの公用語で話しかけてきた士官の問いに、少年は足下に落ちたコインを拾いつつ答える。
「はい。学校で一番の腕前だと褒められていました」
「そうか。お前達、コイツに手を出すなよ。俺達の楽しみがなくなっちまうからな」
「了解です、大尉どの!」
部下らしき兵士がハキハキと答え、大尉と呼ばれた男は店員に軽食を注文しつつ少年に話しかける。
「少年、俺から一つリクエストだ。お前さんの一番好きな曲を吹いてくれ。何、憲兵と防衛隊には通報せんよ。わざわざ演奏程度で騒ぎ立てる程に暇じゃないからな、連中は」
「えっ…はい、では…」
少年は戸惑いつつも、2曲目を吹き始める。ハーモニカの音色が店内に響く中、大尉のテーブルにサンドイッチとダージリンの紅茶のセットがトレーに載せて運ばれてくる。大尉はライ麦の食パンでレタスと生ハムを挟み、ドレッシングソースで味付けをしたサンドイッチを齧りつつ、少年の演奏に耳を澄ませる。
いつしか演奏の見学者は増え、2曲目を吹き終えた瞬間には、彼の足下に何枚ものコインが投げ込まれる。大尉は店員に食事代を渡してから拍手を送る。
「楽しかったよ、少年。お代に加えて一つ、土産話をしよう。我が軍のエースパイロットの話だ」
「エース…?」
「ああ。空軍第19航空師団、その精鋭たる第39戦闘攻撃飛行連隊は、主翼と尾翼の一部を黄色く塗っているのが特徴だ。我が国の国花イエローコスモスの色を塗ったその飛行連隊は、序盤の戦闘で〈アドラー〉3機を狩り、『シャサール・ド・エーグル』と呼ばれているパイロットを指揮官としている」
シュレスト地方を巡る空戦で、ラティニア空軍はノルデニア空軍機を20機以上撃墜しており、その戦果の多くは第39戦闘攻撃飛行連隊によるものだと聞いている。中でも戦闘攻撃飛行連隊に配備されているのは『万能戦闘機計画』で開発されたマルチロール機であり、度々ニュースにて、軍事パレード関連の報道で取り上げられていた。
「さらにこの前は、『グングニル』無力化作戦で10機以上を狩り、戦闘後には本国に凱旋してベルダン執政官閣下より勲章を授与されたそうだ。真に素晴らしいエースだよ、彼は」
「勲章…凄い…」
「ああ。我々も彼の様な素晴らしい戦果で故郷の誇りになりたいものだ。だろ?」
大尉は周囲の者達に話しかけ、多くが頷いた。
「俺はその士官の知り合いでね。もしも見かける事があったら、『ブレーン大尉から聞いた』と話しかけて見ると良い。アイツも喜ぶだろうよ」
大尉はそう言い終え、少年に1枚の紙幣を渡した。
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