第2話 ラティニアの進撃
正暦1011年7月15日 ノルデニア王国北西部海域
この世界に複数の陸地が転移してくる前から、ナロウズに豊かな海の幸をもたらしていた北海の上を、1隻の軍艦が進む。ノルデニア王国海軍所属のミサイル駆逐艦「ラーズグリーズ」は、巡航20ノットの速力でノルデニア半島北西部沿岸を進んでいた。
ノルデニア海軍の第二世代ミサイル駆逐艦であるゲイロヌル級は、Flar78『ダインスレイブ』艦隊防空ミサイルをはじめとして各種ミサイルを搭載・運用する能力を持ったマルチロール艦であり、「ラーズグリーズ」はその三女であった。ラティニアの突然の宣戦布告に対して、政府と軍統帥本部は直ちに全軍に動員命令を発令。隣国の乱暴な振る舞いに立ち向かう事となった。
「しかし、面倒な事になってきたな…」
その「ラーズグリーズ」の艦橋で、艦長のクリストフ・ディムロ少佐は呟く。冷戦後半期、七大列強が核兵器をあり余る程に有していた時代に建造されたこの艦は、今年で20年目に突入している。『ダインスレイブ』の運用システムが時代遅れとなりつつある中、新鋭艦たるブリュンヒルデ級駆逐艦は建造コストの高さから配備ペースが低調であり、艦隊規模の拡大計画によって退役が先延ばしとなっている。その最中に戦争が始まったのだ。
「第3艦隊司令部を経由しての情報ですが、ラティニア共和国は北部の同盟国であるケルティア共和国と共にブリティシアにも侵攻。戦闘には戦術弾道ミサイルのみならず、戦略弾道ミサイルも投入された模様です」
「戦略兵器もか…救世教の連中は他国の土を汚すのが本当に好きな様だな」
航海長の報告に、ディムロは呆れた口調で呟く。二度目の世界大戦、ラティニアは他国に先駆けて愚行を侵した。戦中のゴタゴタに合わせて独立運動が起きた都市に対して熱核兵器を投下し、『異端の処刑』を成したあの国は、冷戦中は他の列強国と張り合う様に大量の水素爆弾を生産。輸送・運用プラットフォームも多岐にわたり、航空爆弾タイプや弾道ミサイルの弾頭タイプは当然ながら、核爆発で敵機やミサイルを吹き飛ばす対空核ミサイル、自国領内に侵攻してきた敵を吹き飛ばす核地雷までも開発していた。
その後、弾道ミサイル弾頭用は隕石迎撃のために使い果たし、運用コストの高いものは廃棄処分された。だがそれを再生産していたとしたら、本国の防空システム『ギャラルホルン』は大急ぎで完全稼働状態になりつつあるだろう。そして実際に相手はブリティシアの地で使用したのである。
とその時、
『艦長、レーダーに新たな反応。方位003より船舶が接近中です』
「何?分かった、全艦第一種戦闘配備。通信士は相手船に対して呼びかけろ。応答があったらすぐに艦橋に回線を回せ。こちらで応じる。その後、付近の味方部隊に支援を要請せよ」
ディムロは指示を出し、双眼鏡で窓の外を見る。しばらくして水平線の向こうに1隻の船が見え始め、ディムロはヘッドホンを被る。直後、一人の女性の声がヘッドホンから聞こえてきた。
『…聞こえますか?こちらは貨客船「ノースマリン」号。救助を願います。本船は現在、国外へ避難する市民を乗せており、ノルデニア海軍の保護を求めております。前方のノルデニア艦、救助要請を受諾してくれますか?』
「こちらノルデニア海軍駆逐艦「ラーズグリーズ」艦長、クリストフ・ディムロ少佐です。これより臨検隊を送りますので、ひとまずは本艦の横に移動して下さい」
ディムロがそう指示を出す中、艦尾の飛行甲板からは1機の〈メーヴェ〉対潜哨戒ヘリコプターが離陸する。相手の船の状態を直ぐに把握するためには、空からの観察が欠かせないからだ。
そして相手の船がある程度まで近づいて来たその時、CICより絶叫に近い声が飛び込んでくる。
『ッ、艦長!魚雷の反応を探知!方位300、雷数2、速度40ノット!本艦にも向かってきています!』
「ぬ、やはり追って来てたな。にしても迂闊な、本艦もまとめて狙おうとは図々しい奴だ。対潜戦闘、デコイ投射!ソナーはアクティブモードに切り替え!」
命令は直ぐに下され、左舷の魚雷発射管が稼働。事前に装填されている2発の短魚雷が発射される。この短魚雷は敵の音響追尾魚雷を誘引する特殊な音波を発する囮魚雷であり、投射を完了した「ラーズグリーズ」は急ぎ発進。ガスタービンエンジンの優位点たる急加速で「ノースマリン」号の真横に位置する。
「ソナー、囮弾の自爆直後にピンガーを発射。敵潜水艦の大まかな位置を把握せよ。友軍は?」
『現在、駆逐艦2隻が急ぎ急行中です!さらに航空隊の哨戒機も、救難飛行艇と共にあと30分で到着します!』
「哨戒機が到着するまで、何としてでも民間船を守り抜くぞ。気を張れ!」
ディムロは吼える様に言い、敵の潜んでいるだろう海を睨みつけた。
この後、味方が無事に到着。「ノースマリン」はノルデニア海軍に無事に保護されたのである。
・・・
「皆、大丈夫ですか?」
シュレスト地方の都市を眺められる位置にある林の中、数十人の将兵達がひっそりと身を隠していた。すでに都市は敵空挺部隊によって制圧され、彼らはどうにか襲撃から逃れる事に成功していた。
アルトーリャは頬の泥を拭い、辺りを見回す。第2歩兵師団の連絡役として外に出ていたのが幸いしたのはいいが、その上官達は敵の弾道ミサイルによって地下司令部もろとも吹き飛ばされ、自分もろくに反撃できずに逃げてきた兵士達と共に北へ走る他なかった。まさかここまで一方的に叩かれる事になろうとは。
「何とか脱出できたのはこれだけ…酷い有様ですね。この中で一番階級が高いのは?」
「…恐れながらシルフィハーフェン少尉、貴方です」
傍に立つ兵士が言い、アルトーリャはため息をつく。士官学校で優秀な成績を出していたとはいえ、指揮官の任など初めての事である。だが頼れる者に役目を押し付けられる様な状況でもないので、拒否の言葉は決して言わなかった。
「…即応防衛プログラムによれば、侵攻を受けて12時間以内に連絡がつかない場合、北ノルデニア軍管区の部隊が救援のために南下します。最寄りの部隊との合流を目指し、北へ向かいましょう。幸いにも物資は最低限ここにあります。各自で持っていけば、1週間は歩けるでしょう」
「…とはいえ、味方は直ぐに助けに来てくれるのでしょうか?軍用無線機も調子が悪い様子ですし…」
「それでも、何もせずに蹂躙されるよりかはマシです。ともかく今は、相手に見つかる前に動きましょう」
アルトーリャはそう言って、トラック内に置いてあったアサルトライフルを背負った。
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