第1話 開戦

正暦1011年7月9日 ラティニア共和国首都ロマノポリス


 ナロウズ大陸の西隣にある国、ラティニア共和国。二度の世界大戦でナロウズの植民地の多くを失うも、七大列強に数えられる国力と軍事力は健在であり、ナロウズ以南の大陸より膨大な現地住民と地下資源を吸い上げる形で発展を進めていた。


 そのラティニアの中心となるのが、ナロウズ大陸の真西にあるラティニア諸島である。総面積300万平方キロメートルの島々とその周囲の『海外州』に2億人の人口を抱えるこの国は、オルソドクス正教会の教えに従う者のみを人と認め、それ以外を悪魔信仰を捨てきれぬ蛮族と見下していた。


 そのラティニア本島西部にある首都ロマノポリス、遥か遠き王政時代には王宮があった地には現在、国家元首たる執政官官邸がある。元老院、最高評議会、最高法院の三権のうち行政を担う最高評議会は第一執政官を議長としており、この国の強固な中央集権体制の象徴として、白亜の荘厳な宮殿が存在していた。


 その執政官官邸の一室、一人の初老の男性は窓の外を見ながら立っている。その背後には数人の男達の姿。紺色の背広や白色の軍服を纏う彼らは、この部屋の主を見つめつつ言う。


「閣下、間もなく始まります。すでに現地には陸軍3個軍団に加えて共和国親衛隊、そして海外州警備隊が展開し、海軍及び空軍も作戦準備を完了させております。これにて我らの悲願は間もなく果たされるでしょう」


「…素晴らしい。流石は我が偉大なる国防軍だ。これで先の大戦で失った地全てを取り戻せる事だろう」


 ラティニア共和国第一執政官、アウグストゥス・ド・ベルダンは頷きながら言う。そして窓の外に広がる、ロマノポリスの街並みを見つめながら言葉を紡いだ。


「これより我々が始めるは神の正しき導きに基づく聖戦である。今こそ我々は誇りを取り戻すのだ」


『ははっ!』


 そうして一人の男が野心を燃やす中、市街地郊外では一人の若い軍人が目前の光景を眺めていた。


 そこには、一つの巨大なクレーターがあった。跡地にはまばらに草木が生え、縁には多数の瓦礫が山の様になっている。中心部にはバラック小屋が並び、災害の跡地である事が嘘の様に活気に満ち溢れていた。


 12年前、世界に幾つもの隕石が降り注いだ。ラティニアはこれを核弾頭搭載の弾道ミサイルで迎撃したが、全てを撃ち落とす事は叶わず、全土で30万もの難民が生じる事となった。


 彼はかつてこの場所にあった家の出身だった。遠く離れた赴任地でロマノポリス近郊に隕石が落下したと聞かされた時、彼は言葉にならない声を漏らした。以降、彼はただ共和国国防軍の将兵として戦場に立ち続けていた。


「少佐、ここにおられましたか」


 不意に、後ろに一人の若い士官の男性が現れる。彼は少佐と同じ部隊に属しており、部隊の期待の新星と持て囃されていた。


「ルキーニ大尉、我々第39連隊は休暇を終えた後に『東』へ向かう事となる。見納めになる覚悟をしておけ」


「見納めに?御冗談を…我らがそう負ける筈もございませんよ」


 ルキーニ大尉は笑いながら返し、しかし少佐はただクレーターとその跡地の貧民街を見つめ続けた。この『街』は間もなく再開発で撤去される。それも現地の者達が退去する間もなく、『新兵器』で跡形もなく消し去るという。その無常さに、少佐はただ無言になるばかりだった。


・・・


正暦1011年7月14日 ノルデニア王国南部 シュレスト地方


 ノルデニア半島の付け根、南西部の大半を占めるシュレスト地方のある街で、一人の少年が家を出ようとしていた。


「気を付けて行くのよ」


 湖畔に面した一軒家の玄関で、母親が傍に愛犬を従えながらそう呼びかけ、少年は頷き返して自転車を漕ぎ始める。


 この月はノルデニア全てで夏至の到来を祝う時期である。この世界の理を成す神秘と上手く付き合い、社会そのものに利益を生み出すための宗教的儀式は欠かせず、二度目の世界大戦後に設立された国際機関では夏至を祝う行事を文化遺産として記録すべきだという声もある。


 少年の通う小学校でも、同様に夏至を祝い、祖先と西ナロウズに伝わる神話の神々に感謝を伝える行事が予定されていた。彼は祭事に用いられるお守りを首にかけ、ペダルを漕いでいく。


 と、空に轟音が聞こえてくる。見上げると、数機もの航空機が見えてきた。少年は自転車を漕ぐのを止め、静かに空を見上げるだけだった。


・・・


シュレスト地方エスベルグ ノルデニア王国空軍エスベルグ基地


「おいおい、ラティニアの連中め、よりによって祭を開いている時に爆撃かよ…!」


 廊下を走りながら、隊員の一人が呟く。マリアも同様にハンガーへと駆け込み、ハシゴを駆け上がってコックピットに収まった。


 この基地には王国空軍の精鋭として名高い第2飛行隊が配属されている。使用するのはノルデニア最新鋭のジェット戦闘機、K-19A〈エーグル〉であり、機動力では他国の旧型戦闘機を圧倒するものがあった。


 マリアがいち士官としてエスベルグ基地に配属されて1年。ブリティシア連合王国の王家の血を引く同級生はここから南に50キロメートルの地点にある都市ガルムスに配属されており、今頃は第2歩兵師団司令部で師団長の補佐として奔走している事だろう。


 獣人族の頭部に合わせて設計されたヘルメットを被り、タキシングを済ませて機体を滑走路へ移動させていく。そして先輩二人の駆る機体が空へ舞い上がるのを確認してから、管制塔とやり取りを交わす。


「フクス3ドライ、離陸準備完了」


『フクス3、離陸を許可する』


 スロットルを上げ、滑走路に施された魔法陣の補佐も用いて数百メートルを一気に滑走。ふわりと空に舞い上がり、捻る様に左へ進んだ。


『マリア様、敵機は新型爆撃機を先行させて突撃させ、警戒レーダーを破壊。後から戦術弾道ミサイルで防空陣地に打撃を与え、侵入を開始した模様です』


 僚機が報告を上げ、マリアは小さく舌打ちを打つ。そして上空に急ぎ展開した早期警戒管制機に通信を繋げる。


「フクス3よりルフト・コントローレ!敵機の動向について、連絡求む!」


『こちらルフト・コントローレ、コードネーム『ルフトアオゲ空の目』!南部より複数の航空機が高速で接近中!機数は20以上!なおガルムスの第2歩兵師団司令部との連絡は未だ回復せず!』


「了解した。フクス1、指示を願う!」


『フクス各機、2機編隊で必ず挑め!1機ずつ確実に落とせ!』


了解ヤヴォル!』


 応答し、20機の〈エーグル〉は視界に入ってきた敵戦闘機と交戦に入る。ラティニア共和国の戦闘機は高速を活かした一撃離脱戦闘を戦闘教義ドクトリンとしている関係上、小柄な機体が多い。今編隊となって迫りくる〈ミラージュ〉主力戦闘機も同様であり、三角形の主翼が印象的なジェット戦闘機は最高速度がマッハ2に達する超音速機である。


「入れ替わりで相手するわよ。一気に蹴散らす!」


『了解です、マリア様』


 2機は急加速し、敵機へ肉薄。そしてすれ違う十数秒前に引き金を引く。直後に主翼下から2発の空対空ミサイルが発射され、そして操縦桿を手前へ引く。同時に展開されたチャフが敵のミサイルを混乱させた後、二つの爆発音が聞こえる。


 空中で一回転し、マリアは垂直尾翼に描いた白い狼のエンブレムを輝かせながら敵機の背後に付く。直後、敵機が回避機動を取るも、デジタルコンピュータを介して動翼を動かすフライバイワイヤ方式を採用する〈エーグル〉は彼女の求める飛び方を瞬時に達成する。そして次に相手が取るであろう回避行動を予測し、その先へ飛ばす様にミサイルを放つ。


 2機目が垂直尾翼を捥がれて墜ちていくのを見るまでもなく操縦桿を引き、空中で急停止。機体を地表に対して垂直に立てるコブラ機動で追ってきていた敵機を通過させ、直ぐに後ろへ食らいつく。それを別の敵機が追おうとするが、そこに僚機のミサイルが叩き込まれた。


「武器切り替え、フォックス3」


 操縦桿のスイッチを切り替え、引き金を引く。伝統的に旋回を多用した格闘戦を重んじるノルデニアの戦闘機は複数門の機関砲を装備しており、〈エーグル〉も例に漏れず2門の30ミリ機関砲を搭載している。毎分600発の勢いで放たれる砲弾は敵機の主翼を引き裂き、地上へと墜落していった。


『ルフトアオゲよりフクス各機、南部方面軍より通達があった。現空域を離脱し、直ちに北へ後退せよ。軍は戦線の後退を決断した』


「何…!?」


 突如、〈ルフトアオゲ〉より伝えられた内容に、マリアは驚く。しかし管制官は冷静であった。


『レーダーに敵増援を捕捉した。さらに地上のエスベルグ基地も敵機の爆撃と弾道ミサイル攻撃を受けて壊滅した。このままではじり貧となる、全滅の事態を回避せよ』


「…フクス3、了解した。フクス4、付いてきなさい。わざわざラティニアの頑固者達に処女を捧げる必要なんてないわよ」


『フクス4、了解』


 短い応答を交わし、その場を飛んでいた味方は北へ進路を取り始める。


 この日、宣戦布告と同時にラティニア共和国はナロウズ諸国とブリティシア王国へ侵攻を開始。後に『第三次世界大戦』と称される事になる戦争の幕が上がった。

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