第2話 今の彼女
「また昼休みにね」
そう言って彼女は去っていった。
彼女が先ほど述べた言葉を反芻する。
「ぼくが君に伝えたのはぼくに好きな人がいることじゃなくて、ただ恋をしているということだけだよ」
彼女の立ち振舞いといい、言葉遣いといい、そういった彼女の仕草というのはどこか芝居がかったようなそれでいて自然な、洒落た雰囲気をまとっている。
どこにそんな人生経験を見出したのかというと、それはやはり彼女の部屋に埋め尽くされた大量の本が原因なのだろう。
彼女が言ったこと自体というより、彼女が言葉を発するその様が彼女の生き方を表しているような気がした。
つまるところ私は彼女の言ったことの真意を理解することができなかったわけだが、なぜかあの時のことを忘れることはできなかった。
ショートホームルームを終えると窓側の席に座っていた髪の短い青年がこちらにやってきた。
「おはよう、祐大」
彼に挨拶を返し体調をたずねる。
「まあまあだよ」
「なかなか『元気だよ』と言ってくれる日はないんだな」
「早く帰って寝たいし」
「サッカー少年がなに言ってんだか」
「それはそうと今日も内田さんと一緒に登校してたんだね、ひゅーひゅー」
「別に大したことじゃないだろ」
「それで、それで彼女との仲はどんなもんなんですか、ゆう君?」
キモい。
「あいつとはそういう仲じゃない」
「そんなこと言ってると他の男子にとられちゃうゾ」
だから......お前がそういうセリフを言うと気持ち悪いんだよな」
「おーい。お前さんやい、思ってることが口から出ているぞい」
「本当のことだからいいんだよ」
「それじゃあしょうがない.........じゃなくて!本当のことでも言っていいことと悪いことがあるんだよ。わかってる?」
「否定はしないんだな」
「だって自分で自覚してるしね」
わかってるんだったら、なんだったんだこのやり取りは。
「でも本当に誰かのものになっちゃうかもね、内田さんわりかし人気あるから」
彼が周りに座っている男子たちを見やると、彼らは一斉に違う方向をむき出した。彼らには私たちの話を盗み聞かれていたようだ。
それにしても、こういった話をしていると朝のことを思い出してしまう。
恋をしている。
彼女の言う恋とは何だろうか。
人を好きになるのではないのならペットかなにかを好きになったのだろうか。ペットだったとしてわざわざ私に対して、恋をしていると伝えるだけなのは不自然ではないか。
そう考えながらもいまだに彼女の真意が思い当たらないでいると、友人は何を勘違いしたのか「やっぱり気になっているんだろ」とのたまってくる。
そんな彼の言及を押しのけつつ昼休みのことについて思いをはせるのだった。
お昼休みになったので私は早速彼のいる教室へ向かうこととする。
体育の後でにおいが心配だが、例のすっきりするシートで汗をぬぐったので多分だいじょぶだろう思う。
教室に入ると多くの視線が私の目に入る。
私はそれに気づかないようにして、彼のもとに向かう。
すると彼の席には先客がいた。よく彼と一緒にいるひとだ。
ええと、名前は.........
「市川だ」
彼が耳元でそう教えてくれた。
「そうそう、市川!ナイスゆう君!」
「それを言ったら名前を全く覚えてなかったことを暴露するようなもんだぞ」
心なしか市川君が残念そうな顔をしている。
「ごめんね、ぼく人の名前を覚えるのが苦手で」
「本に出てくることはたいていおぼえているくせにな」
「ぼくは音じゃなくて色で覚える派なんだ」
「なんだとさ」
「というわけで、ゆう君を借りて行っていいかな?」
私の要求は半ば無理やりな気がしなくもないが、市川君は市川君で彼の肩をつっついて、いってらっしゃい的なことを言っている。
というわけで図書室の近くの空き教室にやってきた。
この部屋の前の廊下は人通りも少ないし午後の授業で使われることがないためゆっくりできるので、この場所は彼と時間を過ごす際に重宝している。
「まあどちらにせよ、ゆう君はぼくと一緒に飯を食らう運命だったのだがね」
「お前、飯に対しての思考が肉食動物みたいだぞ」
「おお?このクールビューチーな肉食獣に食べられたいのか?」
「いきなりワードセンスが昭和っぽくなったぞ」
そんなふざけたやり取りを繰り広げながら、彼がもってきた大きな包みを机の上で広げる。
相変わらず、おばさんの作った弁当はおいしそうだ。
「これを目の前にキャラ崩壊をせずにはいられないってばよお」
「俺その口調の漫画、世代じゃないから反応に困るんだが」
「おお?名作にきまってんだろお。それはそうと早くたべるんだってばよお」
「お前もその漫画たいしてしらないだろ?」
「うん。知らない」
閑話休題。
「そういえば君、朝の時の続きが気になっている顔をしているよ」
「そうだな。俺が予想できたのは好きな動物でも見つかったんじゃないっかってことだけだったよ」
「ほう。中らずと雖も遠からずだね」
「結局のところ、どういうことを俺に伝えたかんったんだ」
「伝えようと思ったわけじゃない。ふと口に出てしまってね......そうだね、何といえばいいのかな」
彼に一番伝わりやすい言葉でいうなら......そう
「哲学。哲学みたいなものだよ」
彼女はそう言って妖艶にほほ笑んだ。
その後、彼女は何も言わずどこからか取り出した推理小説を静かに読み始めた。最終的に分かったことは、彼女の何気ない振る舞いに翻弄されて私が独り相撲を取っていたということだけだった。
いつからだろうか、彼女が今のようになったのは。わりと最近のことな気がいないでもない。
私の知っているかねてからの彼女と今見ている私の知らない彼女。
きっとこれから彼女は、私の知らない一面をたくさん増やしていくのだろう。
そんな彼女を隣で見ていたい反面、どちらかが本当に恋―一般的な意味での―をしたときに、私たちは私たちの仲をどう紡いでいくのだろう。
そんな疑問を抱えながら昼休みの残りを過ごした。
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