Episode1-10「無いもの探し」

「なるべく早くすませてくださいね」


「お手数おかけしますー!」


 女性の刑事と話しながら、杏奈は手を濯いでいた。漆原別宅のトイレ……、もといバスルームはとても清潔で、カビ一つ見当たらない。


「それにしても、日本のおうちで一軒家なのに、一体型のユニットバスなんですねー」


「そうねー。でもちょっと西洋の建築様式って感じもするから、それに合わせたんでしょうね」


「ほへー、さすがお金持ちだったんでしょうねえ」


 洗面台もとてもきれいにされており、鏡には水垢すらついていない。歯磨き粉が棚に収納されていて、ハンドソープはオシャレなディスペンサーに入っている。


 女性刑事は。杏奈がそんな奇麗に整頓された洗面台をじっと見つめていることに気付いた。


「どうかしたかな?」


「んー、あのぉ、質問しても良いですか?」


「質問?」


「あの、歯磨き粉だけ棚に残ってるんですけど、押収し忘れですか?」


「歯磨き粉?」


 そういって、棚に入った歯磨き粉を杏奈は指さす。CMもやっている、どこにでも売っている普通の歯磨き粉であった。


「違うんじゃないかしら」


「でも歯ブラシとかコップは持ってったんですよね?」


「いや……そもそもここの棚はあまり見てないと思うけど。重要なのは、扉の前にある血痕だし……」


 と言ったところで、少し話過ぎたと思ったのか、女性の刑事は「早くトイレを済ましてちょうだい」と焦った口調で杏奈を急かした。



「お待たせしましたー!」


 トイレを済ませた杏奈は開口一番、元気な声で陽真理たちに合流した。


「長かったな」と張島刑事は、またデリカシーの欠片もない声をかける。


「まあ、いろいろありましてね、女の子には」と杏奈は適当に返すと、張島刑事に手招きをして、端の方へ呼びつけた。


「なんだ」


「あの、トイレの部屋ってなにか押収したんですか?」


「いや。あの部屋からは何も押収していないはずだ。事件と関係しているのはあくまで滴下血痕だからな。それがどうかしたか」


「歯磨き粉は残ってるんですけど、歯ブラシとコップがね、無いんですよ」


「歯ブラシとコップ? 殺人とどう関係する」


「さあ。分かりません」


 張島刑事は眉をひそめる。杏奈はそんな表情を見ながら、話を続けた。


「分かりませんけど、無い以上は何らかの形で犯人につながる痕跡が歯ブラシとコップにはあったってことです。残されている歯磨き粉にはなくて、無くなっている歯ブラシとコップにありそうなもの……」


「……唾液?」


「口をつけるものですから、唾液からDNAが検出されそうですね」


 張島刑事は、ハッ、と鼻で少し笑った。歯ブラシからの唾液でDNAを抽出するには、その歯ブラシは十日間以上は使い続けていないと精度が悪いからだ。


「いやいや、歯ブラシに着いた唾液からDNA検査なんて、毎日何日も使い続けてないと分から……」


「つまり、それほど毎日この家で歯磨きをしているような人が、唾液の採取を恐れたって可能性があるのでは?」


「ま、毎日って……、それじゃあ被害者以外に、この家で普段から生活しているような人物がいるっていうのか?」


「そういう人が犯人だった場合、徹底して自分がここで生活していた痕跡を取り除くんじゃないかなーと。事件現場が荒らされていたので気付きにくいかもしれませんが……、この家銃を探して、あるものよりも、無くて不自然なものを探すのがいいんじゃないんでしょうか?」


「無くて不自然なもの……」


「あるものをリストアップしてみれば、気付けるかもしれません。まあ、それができるのは刑事である皆さんのお仕事ですが……」


「うむ」と張島刑事が頷くと、続けてこう言った。


「そうしたら、俺がこの屋敷にあるもののリストを作ろう。そのリストを見れば、お前も何か気付けるだろ?」


「ありがとうございます!」



 張島刑事と照喜名杏奈は、今日が初対面のはずである。にも拘らず、端の方でこそこそ話するほど、どうも仲が良いように思える。


 話し終えたのか二人が戻ってきて、ひとまずは帰宅してもよい、ということなった。朝日奈さつきは少し安堵する。ひとまず、自分が犯人だとはバレてないようだ。強盗殺人だと思ってくれているようだ。このまま、このまま犯人行方知らずのままで終わってくれれば……。


「そういえば朝日奈さん」


 急に照喜名杏奈に話しかけられ、朝日奈さつきはドキリとした。冷静を装って、「どうしたの?」と聞き返す。


「今日最初にここに来た時、どうして2階から探したんですか?」


「……え?」


「いや、私たちは1階から探しましたけど、朝日奈さんは一番に2階へ行ったので」


「それは……。ほら、2階には書斎があるから、そこで仕事をされていたり、あるいは転寝うたたねしてしまって……とかあるかなって」


「あー、なるほど」


「それが……どうかしたの?」


「はい! なんで2階に書斎があるって知ってたのかなーって!」


「え……」


「ここまで社長の案内を受けて運転してきてくれたじゃないですか。だからてっきり知らないと思ってたんですけど、間取りを知っている風だったので、なんでかなーって」


 しまった、と朝日奈さつきは感じた。そんなこと気にしてもいなかったからだ。つい、自分が第一発見者になるのを恐れて、遠い場所から探そうとしたのが仇になった。それにしてもこの照喜名杏奈とかいう女、妙に勘が良い。屈託のない笑顔でこちらを見ているが、何考えているのか全く分からない。そう思いながら、なんとか言い訳を考える。


「そ、それは……」


「それは?」


「い、一度別のスタッフの方に、ここへ連れてきてもらったことがあるのよ。そのときは夜も遅かったし、同乗者とお話しながら来たから、詳しいルートまでは覚えてなくて。入ったことはあったから、2階についても知ってたの」


「ほほう。そうだったんですか」


「社長も部屋の間取り、知ってますもんね?」


「んー? ああ。何回か来たことあるからね。彼の書斎は趣味で集めている洋書ばかりで、たまに自慢されたことがあったよ」


「ほら、ね」


「そうでしたか! いえ、納得です! ありがとうございます!」


 なんとか事なきを得たと朝日奈さつきは感じた。ここから先、迂闊な言動はしない方が良さそうである。朝日奈はえらく警戒しながら、屋敷を出た。



 それを通目に見つつ、照喜名杏奈がメールを打つ。どういうわけか、TOには『張島刑事』と書かれている。そして一言、「朝日奈さつきが怪しいです」とだけ書き、送信した。

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ミステリキナ ~自称・美少女探偵、大いに謎を解く。~ スパロウ @sparrow_akira0704

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