Episode1-6「事の起こり」

 それは遡ること、1時間半前だった。


 眞城プロダクションでは、社長の眞城ツトムが二人の少女と談笑しながら事務所に入ってきた。


「やあおはよう。今日も早いねえさつきくん」


「ああ、おはようございます社長」


 朝日奈さつきは先に出社しており、誰もいないオフィスで書類整理を始めようとしていた。きれいに整頓された机周りは、彼女は几帳面できれい好きであることを象徴するかのようだった。


「そうそう、ここ来る間に連絡があったんだけど、日向くん、体調悪くしちゃったみたいで。今日あったグラビアの撮影、先方に連絡してリスケしてもらったよ。後で代替日の連絡が来ると思うからよろしくね」


「あっ、はいわかりました。ところでそちらの二人は……」


 そう言って朝日奈さつきは社長の後ろに立っている二人の少女に目を向けた。一人は社長と同じくらいに背が高く、もう一人は小柄だった。


「ああ、今日から本格的に眞城プロ所属となる、照喜名杏奈くんと推名陽真理くんだ」


「はい! 照喜名杏奈です!」

と、小柄な少女が元気よく挨拶する。


「し、推名陽真理っ、ですっ……!」

もう一人の背の高い少女は、緊張気味に、言葉をつっかえながら挨拶をした。


「二人ともまだ高校生だが、素質は十分にある。予定表にも書いてあるが、今日からテレビ局へ彼女たちへの売り込み……件打ち合わせの予定なんだ」


「打ち合わせ……」


 朝日奈さつきが、『予定表』と大きく書かれたホワイトボードに目を向けると、確かに今日の日付の部分に、『午前9時 朝売テレビ 打ち合わせ』と書かれてあった。


 朝日奈さつきが時計を見ると、時刻は8時30分を指し示めしていた。


「午前9時って……もうあと30分後じゃないですか!」


「車で20分だし、間に合うだろう?」


「なんでギリギリにいこうとするんですか!」

と、朝日奈さつきが社長を叱りつけた。


「今日社用車、みんな撮影現場への送り迎えで出払っちゃってますよ!?」


「え、ええ!? ど、どうしようか……」


「……しょうがないですね……。私の車で局まで送りますよ……」


「す、済まないねさつきくん……」


「それじゃあ私、駐車場から事務所の下まで車持ってきますから、準備して待っててくださいね」


 朝日奈さつきは、先ほど用意していたであろう事務仕事の書類を片付けると、鞄をもって自家用車の下へ向かった。


「……社長さん、免許持ってないんですか?」

と、照喜名杏奈は下から顔を覗くようにして訊く。


「ん、ああ。実は社長、小さい頃に交通事故に遭ったことがあって、怖くて運転出来そうにないだ。今は何とか平気だけど、昔はさつきくんの車に乗るのすら怖かったくらいさ」


「ええ!? どうやって今まで生活してきたんですか!?」

と陽真理が驚く。


「車に乗らない生活をしてきただけさ。自転車とかは平気だし、東京なら電車があるからね」


 社長は軽い断章をしながら荷物をまとめると、扉を開けて二人に出るよう促した。


「さ、さつきくんを待たせちゃ悪いから、そろそろ出ようか」


 時刻8時34分。これが、眞城プロダクションを全員が出た時刻だった。


 朝日奈さつきのシルバーの車は、朝売テレビに向けて安全運転で進む。朝の通勤ラッシュも相まって、着くのはギリギリになりそうだった。


「これは……着くのは9時丁度だったら良いほうかも……」


「……す、すまないねえ……。しょうがない、もしかしたら遅れるかもしれない旨を、漆原さんに連絡入れておくか……」


「えっ」


 朝日奈さつきが、感情のない応答をした。


「ん?」


「ぇあ、いや、漆原さんと打ち合わせなんですね、今日」


「ああ。藤本くんや四ノ宮くんの時にも、彼が担当しているバラエティー番組でお世話になったからね」


「今日私たちと打ち合わせする、その漆原さんってどういう方なんですか?」


「ああ、やり手の敏腕プロデューサーだよ。私がプロダクションを立ち上げたころから、何度もお世話になってるんだ」


 そう言いながら、スマホでずっとコールを鳴らす。だが、漆原は一向に出る気配が無いようだった。


「あれえ、出ないなぁ。仕方がない、メールで入れておくか……」


 これが、午前8時45分の出来事である。


 そして、全員がテレビ局についたのは、約束の時間より5分ほど遅れての9時5分だった。入局の手続きをしてゲストパスをもらい、指示された部屋へと向かう。部屋で待機していると、若い局員が入ってきた。


「ああおはようございます。すみません遅くなってしまって」


「大丈夫ですよ。実は漆原さんもまだ来ていなくて」


「えっ、そうなんですか。実はさっき、遅れてしまうかもって連絡しようと電話したんですけど繋がらなくて」


「そちらもですか? 実は僕らも電話してるんですけど一向につながらなくて……。漆原さん、遅刻するような人じゃないんですけどね……」


「まあ、今日は外出はこれくらいですから待てますけど……。彼の家知ってるんで、見てきましょうか」


「えっ!? そんな、わざわざ……」


「いいんですよいいんですよ! こっちも遅れてきてしまったわけですし……」


(……あれ? これもしかして、私が運転して連れてくる流れにならない?)


「じゃあ済まないけどさつきくん、また車出してもらっていいかな?」


「あっはい……」


 朝日奈さつきの悪い予感は的中して、彼女の運転で漆原の自宅へ向かうことになった。


 社長は杏奈たちの方へ振り向くと、

「じゃあ、照喜名くんと推名くんはここで待機してもらって……」

と言いかけた。すると、杏奈は食い気味に返答した。


「私たちも行きますよ! ね! 陽真理ちゃん!」


「えっ!? えっと、え!?」


「ほら社長、か弱い女の子が、いくらデビューするとてまだ慣れないこのテレビ局で待つなんて心細いじゃないですか。私たちも今日は打ち合わせ以外予定が無いですし、ね、いいでしょう?」


「ん、んー……まあ言われてみればそうだよな……。分かった、連れて行こう」


「ありがとうございますっ!」


「えっと、じゃあ車出してきますね」


 朝日奈さつきが駐車場へ向かい、若いADと社長は、その後のやり取りについて簡単に打ち合わせを始めた。


 急に着いていくことを言いだした杏奈に、陽真理は少し不安になって訊いた。


「ね、ねえ杏奈ちゃん。なんで急に着いていくなんて言ったの? 別にここで待っててもいいんじゃ……」


「んー……。ちょっと気になることがあってね……」


 午前9時15分のことである。

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