Episode1-3「四ノ宮日向と藤本八重」
時刻は数分前に遡る。
もうすっかり暗くなった都内を、真っ赤なスポーツカーが走る。オーナーは
現在大学生である彼女は、眞城プロの社長自らスカウトされて芸能界に入った。高飛車で歯に衣着せぬ物言いが多く、良くも悪くも話題に上がりがちだが、キャラではなく素の性格だった。
大学生ながらスポーツカーに乗っているぐらいには家が太く、正直言ってアイドル活動も始めは趣味の一環程度だった。
そんなある日、彼女は四ノ宮日向に懐かれるようになった。藤本は手足が長くダンスが映え、実際にレッスンでもダンストレーナーからお墨付きをもらうくらいであった。
天性の実力を持つ藤本に、四ノ宮は憧れたのである。
それからというもの、事あるごとに四ノ宮は藤本に着いて回った。最初の頃こそ、藤本はうざったく思い、適当にあしらっていたのだが、四ノ宮の方がこの時ばかりは強情で諦めずに着いてくるので、ついに折れて構うことにしてあげた。
話してみれば、藤本にとっても四ノ宮は良き後輩であった。何故藤本を好いているのか、何故憧れるのか、自分が目指す先とは……。
目を輝かせて将来を語る四ノ宮に、いつしか藤本も、彼女には気を許すようになっていた。
その藤本のスマホが鳴る。今はまだ運転中、出ることはできない。
赤信号のタイミングで、藤本は誰からの着信かを確認した。コールは鳴りやまない。
四ノ宮日向からだった。今も鳴りやむ様子はないため、やむを得ず近くに路上駐車して藤本は電話に出た。
「はぁ、もしもし? 日向あなたね、私がこの時間ドライブしていることぐらい知って……」
「どうしよう……八重さんどうしよう……私……私……」
スマホの奥から、震える四ノ宮日向の声がする。涙声だった。
「……? ひ、日向? どうかしたの?」
「私……人、殺しちゃった……」
藤本の耳には、日向の声しか聞こえなくなっていた。あたりの喧騒などは、もう耳になかった。
冗談で彼女がそんなことを言うはずがないことは、藤本八重自身がよく知っていた。
「ちょ、冗談じゃないでしょうね!? 一体どういうことなの!?」
「わ、私、漆原プロデューサーに呼ばれて……そしたら、家で襲われそうになって……それで……それで……!」
四ノ宮はパニックになっていて、要領を得ていなかった。藤本は四ノ宮を電話越しで落ち着かせ、そこへ向かうから待つように指示した。
藤本八重があの大きな屋敷に着いたのは、それから5分後のことである。
真っ赤なスポーツカーを屋敷の前に停め、慌てて玄関を開ける。鍵は掛かっていなかった。中には、しゃがみ込んで目を真っ赤にはらし、スマホを抱きかかえる四ノ宮日向がいた。
「……八重しゃ……」
藤本八重はすぐに四ノ宮日向を抱きしめた。背中をさすり、頭をなで、とにかく落ち着かせようとした。
「大丈夫、大丈夫だから。私がもう来たから大丈夫……安心しなさい」
四ノ宮日向をゆっくり深呼吸させ、落ち着いたところで詳しく話を聞いた。
ベッドで襲われそうになり、もみ合っているうちに、近くにあったガラス製の灰皿で殴りつけてしまったのだという。
それから漆原東彦は動かなくなってしまい、怖くなって助けを求めたのが、藤本八重だったと四ノ宮は話した。
「あなたはここにいなさい。私がなんとかするから」
そう言って藤本はベッドの部屋へ向かった。
藤本はこの屋敷を、そして、あの部屋を知っている。
自分自身もここへ招かれたことがあったからだ。
デビューして間もない頃、まだテレビにも出演できない、若手で素人同然だった頃。手足が長く美形な藤本八重に目を付けた漆原東彦が、便宜を図る、という名目でこの屋敷に招き、行為に及ぼうとしたのだ。
その時のことを藤本は今も後悔している。結局、力の差は歴然で、彼女は成す術がなかった。
そうして得られた、生放送の番組出演権。自棄になって自分の素をさらけ出し、一見は現場を冷つかせたようにみえたが、これが視聴者には受け、現在の地位に就くに至ったのだから、人生は分からないものである。
だが、もしあの時自分が対処していれば、今日四ノ宮日向がこんな目に合わなかったんじゃないか……。
そんな思いを抱きながら扉を開けた。
床に突っ伏した、漆原東彦がいた。床には血が滲んでいる。四ノ宮日向の言うことに、間違いはなさそうだった。
初めて死体を見た。顔は見えていないのが功を奏した。死体の表情は見たくない。
見渡せば、確かに床にガラス製の灰皿が落ちていた。少し特徴的なデザインで、特注で作らせた、と言っていた記憶がある。
(自慢の灰皿で一撃……か)
曰く付きの灰皿を、ハンカチを使って拾い上げる。思っていたより血はついていなかった。
そのまま丁寧にハンカチで包み込み、藤本の鞄にしまう。
(あとは、日向の証拠を隠さないと……)
再びあたりを見渡す。ひとまず四ノ宮日向の荷物を取り、例えば髪の毛が落ちていないか、例えば足跡が残っていないかを確認した。
ベッドにうっすら残っていた髪の毛を取り除き、思い当たる痕跡は消せた、かもしれない。
藤本八重は再び部屋から出ていき、四ノ宮日向の下へ向かった。
「ぁ……や、八重さん……その、わ、私、これからどうしたら……」
未だ怯える四ノ宮の手を取り、藤本はぎゅっと握った。
「大丈夫、あなたは何も喋らなくていい。私が守ってあげるから。大丈夫、安心して」
藤本は四ノ宮の手を引きながら玄関を開ける。目の前には真っ赤なスポーツカーが停まっている。
「さ、乗って。今日は親にはなんて言ってるの?」
「れ、レッスンで遅くなる……とだけ」
「分かった。じゃあメールしなさい。私と食事してから帰る、少し遅くなるかもって。私の名前なら、親御さんも安心でしょう?」
「う、うん……うん」
二人を乗せたスポーツカーが、屋敷から離れていく。屋敷にもう一人、朝日奈さつきがいることも知らずに。
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