Episode1-2「そして事件は起きる」

 四ノ宮 日向。15歳。眞城プロダクション所属。


 彼女が眞城プロダクションに加入したのは昨年、まだ中学生で、受験シーズン真っただ中の頃だった。


 眞城プロダクションではいつでもオーディション選考を実施しており、四ノ宮は、高校進学のための受験を控えた、1月頃にオーディションを受けた。


「し、四ノ宮 日向です! よろしくおねがいします!」


(元気いいなぁ。年齢は15……まだ中学生か)


 朝日奈さつきも、彼女のオーディションに立ち会っていた。まだ幼さと青さがある、未熟な少女。だが、そのまなざしは真剣そのもの。朝日奈は、昔の自分を思い出すような感覚を覚えていた。


「四ノ宮さんは今中学生とのことですが、親御さんとは進路についてしっかりと相談していますか?」


「は、はい! 私の高校受験は来月ですが……。お母さんたちと相談して、勉強もしっかりすることを条件に、オーディションに受けることを許可してくれました」


「なるほど。ちなみに、どういった高校へ進学するかは聞いても大丈夫ですか?」


「えっと、地元の公立高校を予定しています。その、あまり学力が良い方ではないので……。でも、その分、通う高校ではトップでいられるように努力して、それに負けないくらいアイドル活動も……」


 拙いながらも、自分自身の夢を熱く四ノ宮は語った。眞城プロダクションには、そういう自分の持つ熱い夢を持つ子が多くオーディションに訪れる。


 朝日奈は四ノ宮に、何か光るものを感じた。ただ漠然とした夢を語るのではない、自分の取っ手の確固たる夢。それを、齢15でしっかりと話せる四ノ宮日向に、可能性を感じたのだった。


 そんな彼女が、何故今宵ここに訪れたのかは、朝日奈さつきにとっても不可解極まりない出来事だった。


「待っていたよ。ささ、座りたまえ」


「……」


 四ノ宮日向の顔は強張っていた。緊張しているのだろうか。それもそうだろう。こんなゲスでも漆原東彦は、局内でも屈指の実力を持つプロデューサー。部屋には豪奢な装飾品があり、見るからに金持ちといったような部屋であるのだから。


「そ、その。それで、お願いを聞いてくれたら、私や……他のアイドルの仲間たちを、テレビ番組に出してくれるっていうのは、本当なんですか?」


「ああもちろんだとも。私は約束は破らないさ。私はね」


(お願い……?)


 バスルームの扉の隙間からは、もう二人の姿は見えない。朝日奈さつきは耳を澄ませて会話を聞いていた。


「それでその……お願いって、なんですか?」


「まだ言ってなかったねぇ……」


 その時だった。ガッチャンというバネの音が部屋の中に木霊した。


 朝日奈さつきにとっては聞き覚えのある音だ。あの部屋にある、大きなベッドのバネの音だった。


「きゃっ!」


「お願いってのはねぇ、マクラのことだよ」


「……へっ? え? え??」


 朝日奈さつきは耳を疑った。まだ15歳の少女に、マクラだって? 馬鹿な、そんな馬鹿な……。


「大丈夫、誰にも言わないさ。君が少し我慢してくれれば、便宜を図ると言ってるんだよ。意味、分かるかなー?」


 間違っていない。そう、朝日奈さつき自身が5年前――。


 ――漆原東彦に言われた言葉と、一言一句同じだった。


「いや! きゃ! やめてくださ……」


「大丈夫だよ、みんなやってきたことだ。痛くはしないから……!」


 扉の奥では、漆原東彦が四ノ宮日向を襲おうとする音が聞こえる。今すぐにだってこの扉を開けて、四ノ宮日向を助けに行きたい。


 そう思っているはずなのに、朝日奈さつきの足は竦んでいた。いや、もしかしたら絶望していたのかもしれない。


 もしかして、あの後も、私以外にも、プロダクションのアイドルに、個別にマクラを強要していたのでは……?


 今、眞城プロのアイドルの活躍は目覚ましい。目覚ましいくらいだ。あらゆる番組に引っ張りだこ。それもこれも、朝日奈さつきが漆原東彦にマクラを……。


(……あれ……? まって? 本当に……、本当に、番組に出ていた……?)


 いや、彼女たちの実力ももちろんあるだろう。だが、本当にそれだけだったのだろうか。


(さっき、みんなやってきたって言ってなかった?)


 朝日奈さつき自身が漆原に行ってきたマクラのおかげで出られている可能性が、少なからずあるのではないだろうか?


 むしろその根っこには、出演アイドル自身が、こうして漆原に騙されてマクラを受けて……その対価で出られているのではないだろうか?


(私は……本当に彼女たちのためになることをしてあげられていた……?)


 思う。もし、朝日奈さつきが最初からマクラをしていなければ、今こうして彼女たち自身もマクラを個別に受けることはなかったのではないか?


(……私の、せい?)


 全部、全部、全部。悪い方向に考えてしまう。そうじゃないかもしれない、なんて考える余裕はなかった。


「嫌……や! やめてッ……!」


 ゴスッ。


 という鈍い音が外から聞こえた。小さいうめき声も聞こえた気がする。


 そうして、突然隣の部屋は静かになった。


 と思えば、誰かが駆ける音が聞こえ、扉が開き、再び閉まる音がした。


 再び静かになった。


「……?」


 何が起こったのか分からない。しばらく待っても音が聞こえることはない。じっと待って4~5分経った頃、ついに朝日奈さつきは、ゆっくり、こっそり扉を開けた。


「え!? あっ、う、嘘……!?」


 そこには、床に突っ伏して倒れる漆原の姿があった。頭の部分には、何やら血だまりができている。


「……し、四ノ宮さんが……もしかして、殺し……」


「ウ……ウゥ……」


(! ま、まだ生きてる!)


 今救急車を呼べば、漆原は助かるかもしれない。慌ててカバンからスマホを取り出し、119をプッシュしようとした。


 最後の9を押そうとしたとき、ふと我に返った。


(……なんでこいつを助けないといけないの?)


 小刻みに震えながら、動けない漆原を朝日奈は凝視する。


(今ここでとどめを刺しておけば……、二度とプロダクションのアイドルたちや……四ノ宮さんが辛い思いをせずに済むんじゃ……)


 気付けば、スマホをカバンにしまっていた。


 そうして、近くにあった、何か局の表彰でもらったと思われるトロフィーに手をかける。


(今ここで私が殺して、私だけが罪を被れば……もうこれ以上、誰も不幸にはならない……!)


 そのひと振りは、突っ伏した漆原の後頭部に直撃した。


 その日をもって、漆原は二度と動くことはなかった。


(……やってしまった。でも後悔はない。押すのは119番じゃない。110番。大丈夫、ただ自首するだけ。未来も夢もない私には、もうなにも……)


 再びスマホを取り出してプッシュしようとした時だった。


 玄関の方で、誰が入ってくる音がした。そして、再びこの部屋に向かってくる……!


「!? え、あ、ど……」


 朝日奈は思わず、再びバスルームに身を隠した。

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