1話 朱色

「はぁ…。」

高校2年生の明日香は大きなため息をついた。

陸上部でのライバル・綾子が最近、明日香の記録を次々と破っているからだ。

1年生の時は自分の方が速かった。

2年生の初め頃からだんだん速くなってきたな、と思っていたら、すぐに抜かされてしまったのだ。

どうして急に走ることが速くなったのか聞いたこともあるが、「練習を重ねたからだよ。」と笑って返された。

速くなって綾子を超えてやりたい、と思って練習してもだんだん遅くなっていくように感じた。本当は明日香の記録は変わっていないのに、綾子がどんどん走る様子をみると、やはり自分が劣っているのではないかと自分に問いかけてしまう。

あぁ、もし綾子に明日、綾子の記録を破れたら。

また大きなため息を出しそうになって慌てて抑えた。

憂鬱な気持ちだと、何も楽しくない。何か美味しいものでも買って食べよう。

近くのコンビニでスイーツを買おうと思い、お母さんに連絡するためにスマホをカバンから出そうとすると、見慣れないカードが中に入っていた。他の人のものか、と思い、先生に渡そうとすると、自分の名前が書かれていることに気づいた。


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               佐藤明日香様

        今、未来を変えたいと思いませんでしたか?

      未来屋ではお客様に素敵な未来をお売りしております。

       下に地図を描きしましたので、ぜひご来店ください。

                未来色屋

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いつもだったら詐欺だと思ってすぐに捨ててしまうようなカード。

なぜか目が離せず、早速下に描いてあった地図を辿って未来屋というお店にいった。

雲の上を歩くような気持ちで歩いていた。

ぼんやりと目の前を見ると、時計屋だと思われるくらいの時計がたくさん奥にも手前にも置かれているお店が建っている。

でもしっかりと未来色屋という看板があったので、すぐに中へ飛び込んだ。

中には時計のような首飾りをつけた白いうさぎがカウンターらしき場所にちょこんと座っていた。

「いらっしゃいませ、お客様。」

鈴を転がすような声がして、ふと前を見ると、綺麗な小柄の女性が建っていた。

「どのような未来をお探しでしょうか?」

その言葉がとろけるように自分の口の中で流れ、自分の舌を動かし、思わず言ってしまった。

「わ、私、陸上部で…。ライバルに勝ちたいんです。明日こそ、綾子に勝ちたい。ううん、ずっと勝ちたい。」

言った後に恥ずかしくなった。

こんなこと言っても未来を変えることなんてできないのに。

他人に願望を丸出しにしてなんということだろう。

またため息をつきそうになった時だ。

「えぇ、ライバルにずっと勝ちたいと。かしこまりました。奥でお待ちいただけますでしょうか。」

奥に案内され、また驚いた。

様々な色や大きさの瓶が置かれている。

色とりどりの瓶はまるで奥の部屋をアトリエに変えたかのようだ。

見たことのない美しい色にうっとりしていると、その中で明日香の目の色を変えさせる一つの瓶があった。

それはなんとも言えないような美しい赤色がたっぷりと入った瓶だった。

真っ赤に燃える火のようだが、白を加えたかのような優しい朱色。

一目見て、明日香はこれが欲しい!これを買わなくては!という気持ちになった。

「あ、あの!私、この瓶が欲しいです!」

女の人が振り向き、優しい笑みを浮かべた。

「あぁ、その瓶ですね。その色はライバルに永遠に勝てる太陽の色を少し和らげた瓶ですよ。」

「い、いくらですか?」

「当店では、お金ではなく、幸せだった過去を払っていただきます。」

「幸せだった過去?」

幸せだった過去。不意に思い出したのはあの誕生会の頃。あたたかな笑みに囲まれていた私。みんなにちやほやされていた。今みたいに嫉妬なんてしない、優しい子だったって友達に言われた、あの私。消えてほしくない輝かしい思い出。

でも、どうせこれで綾子に勝てるんだったら。

「ではその瓶の中に入っている液体を体にかけてください。全ての液体をかけましたら、幸せだった過去を思い浮かべながら握ると、お支払いの完了でございます。」

言われた通りに液体をかけ、あの頃のことを思い浮かべる。

あの時は、自分が一番だと思っていた。いつでもなんでも、記録の一番上に書かれていたのは明日香の名前だったし、綾子の名前は一番下に書かれていた。

そんなことを考えながら瓶を握っていると、瓶が温かくなったのに気づき、そっと見てみた。

「これが、私の色…?」

瓶の中にたっぷりと溢れそうなくらい溜まっていたのは明るい朱色ではなく、なんとも優しい緑色。

驚くと同時に私の中からスーッと何かが消える感覚があった。

きっと私の「過去」が消えたのだろう。

「お買い上げ、ありがとうございました。気をつけてお帰りくださいませ。」

不思議なことに店から一歩出ると、そこは私の部屋に変わった。

「やった、これで綾子に勝てるんだ!!」

私は嬉しくてたまらなくてぴょんぴょん飛び跳ねた。



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10年後。

橋にもたれてスマホをいじっていた明日香はまたため息をついていた。

どうして、こうなったのだろう。

確かに、未来色屋で未来を買ったあとは絶対に綾子に勝っていた。

何があっても必ず勝つことに自信を持った明日香は、陸上部をさぼるようになってしまい、同時に練習をやめてしまった。

そして、夢だった10kmマラソンに出るとき、ビリになってしまったのだ。

たとえ、練習をしていなくて綾子に勝つことができても、自分の足は練習がないと走れなくなる。

結局、綾子の言うように、練習の積み重ねだったのだ。

「綾子、私も頑張るよ。」

空を見上げてつぶやいた明日香の目の奥には未来屋で勝った朱色が光っていた。

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