57話 カイマン革命 06

「まずは、目の前の悪魔の手先の味を確かめなければ……!」


 凡そ人間とは思えない化け物の姿から、褐色肌の半裸の堕天使に変貌した男は舌舐めずりをしながら物凄い速度で俺の方に突っ込んできた。

 俺は咄嗟に剣を構えて鋭い爪での攻撃を防ぐ。キンッ、と金属が打ち合ったみたいな音がした。この剣、銀色の時でさえ鋼を豆腐みたいに感じるほど切れ味が良いのに黄金になっている断罪の剣に打ち合う爪なんて……どんな切れ味してるんだ。


 シンプルな見た目になって、格段に強化されているアザゼルに俺は冷や汗を流す。


「“イクリプスイート”……チッ。これはまだ、使えませんか」


 一瞬広がりかけた黒い靄が強烈な黄金の光によってかき消される。一瞬押されかけてた。早めに決着付けないと、さっき以上の犠牲が出かねない。


 俺は柄を強く握りしめ、動きに従い剣を振り下ろす。


 アザゼルは受け止めようと手を伸ばすが、寸でのところで躱した。


「クククッ。その剣の切れ味は凄まじいですが、当たらなければ関係ないですね」


「当たるまで振るだけだ」


「クククッ。その前に、貴方の仲間を全員殺して、貴方の四肢を全て捥いであげますよ」


 アザゼルはひょいひょいと紙一重で交わしながら、気色の悪い笑みを浮かべる。

 まるで当たる気がしない。アストレア様に身体を貸していこう調子の良い身体、身体能力も向上し、俺自身は剣の素人だけど剣の力によってその動きは達人のそれを軽く凌駕しているはずなのに……。


「クソッ。刃が当たらない! 手伝ってくれ!」


「とは言われても……こちとら、お前さんらの動きが全く追えねぇんだよ」


 助太刀を求めると、物凄いスローな動きでライオネルさんが悔しそうに歯噛みをしていた。


「おい!」


「……それでも、ジタロー様が助けを求めてるから」


 ニケが緩慢な動きで俺たちの方へ走ってくる。いつもは俊敏に見えているニケの遅さ。……いや、違う。俺が速いんだ。ゾクリ、と嫌な予感が走る。


「やっぱいい! 来るな!」


 そう叫んだ時には既にニケがすぐそこまで来ていた。アザゼルがニヤリと気色の悪い笑みを浮かべる。


 アザゼルが、金の断罪の剣と打ち合えるほどの爪をニケに振り下ろす。


「『倍反射』」


 ニケがスキルを展開する。しかし、ニケの前に貼られた透明の壁はプレパラートのカバーガラスみたいにあっけなく砕かれる。

 まずい。俺はなりふり構わずニケの方に走り、ニケを突き飛ばした。肩が焼かれたように熱くなる。


 見ると、肩から背中にかけて、深い傷が出来ていた。どす黒い血が流れる。


「『治す』!」


 傷がすぐに治る。爪の切れ味が凄すぎて、逆に痛みを感じなかった。激しい戦闘でアドレナリンがどばどば出てるのもあるかもしれない。


 アザゼルは余裕の表情で、俺の血がついた手をぺろぺろと舐める。


「ん~、実に美味! クククッ。豊潤な魔力……いや、魔力とは違う莫大なエネルギーと悪魔のテイスト。しかも、がっつりと肉を削いだのに既に治ってる! つまり、この美味しい血が啜り放題、肉も食べ放題! こんなに素晴らしいことはない!」


 俺は無言で剣を振るけど、アザゼルには一歩下がって躱されてしまう。


「ジタロー様、ごめんなさい」


 俺に庇われたニケは泣きそうな顔をしていた。


 俺は何も言わずに、アザゼルに斬りかかり続ける。……当たらない。

 俺の方も『治す』によって体力も減らないし、即死しなければ負傷もすぐに治せるから負けることはないけど、いくら剣を振っても当たらない。


「『封魔拘束』ッ!」


 趣向を変えて、天秤による魔法を放ってみる。


「しゃらくせぇ!」


 アザゼルに向かった白い繭は手で払われ霧散してしまった。




                   ◇



 ジタローと変身したアザゼルが戦っているのを、ミネルヴァたちは見ていることしかできなかった。


 とんでもなく速い攻防の応酬。人間ではない、超次元の存在同士のぶつかり合いにも思えるそれは、長くを生きた精霊人だとしても理解の範疇を超えていた。

 ミネルヴァは歯噛みをする。


 夫を殺された恨み。故郷を滅ぼされた恨み。半年前、カイマン王子によって引き起こされた悲劇を思い出していた。

 そして、先日ジタローにそれを打ち明け協力を願ったことも。


 ミネルヴァが願ったのはあくまで協力だったはずだ。なのに、今やアザゼルという対応できない存在が現れその対応をジタローに任せっきりになっている。


 しかも、ジタロー側にも決め手がない様子だった。


 助けを求め、ニケが走ったが通用せず、ただジタローが負傷しただけ。


 長く続く、膠着状態。あんな激闘を続けて、ジタローの体力は持つのだろうか? 苦しい筈だ。あの強敵を前に怯まず、一撃食らうだけで死にそうな攻撃を凌ぎ、やっとの反撃すら当たらないあの戦いが、肉体的にも精神的にも苦しいことは想像に難くない。


 膠着状態と言いつつも、人の身であるジタローがジリ貧なのは明らかだった。


 このままジタローに全てを委ね、押し付けて、ジタローが負けてしまったら……そのときはもう、あのアザゼルを止められるものは存在しない。


 精霊人の里での悲劇が、世界中で繰り返されてしまう。


「ミュー。貴方なら、あのアザゼルを止められる魔法を使えるかしら?」


「……選択肢がないわけじゃないのです。でも、生半可な威力だと、却ってご主人様の邪魔をしてしまうと思うのです」


「そうね。でも、このままじゃジタロー様の身も持たない。……ミュー、生半可な威力じゃないなら出来るかしら?」


「それは、出来ると思うのです。でも、どうするのです?」


「そう、だったら、ミュー。お願いするわ。貴方とニケが、私の娘で良かった。今まで本当に、ありがとう」


「まさか……!」


 ミューが目を見開く。それと同時に、ミネルヴァの胸から緑色の灯火がゆらゆらと揺れ始めた。


 それは精霊人が使える、人生で一度きりの、文字通り命がけの魔法。


 心臓を犠牲に、力を渡す魔法。


「ま、待つのです! 母様!」


「……どの道、ジタロー様が倒れればどうせ私たちも死ぬの。だったらせめて、私の命だけで。……もう、私たちみたいな思いをする人を、これ以上増やしたくないの。ミュー、後は頼むわ」


 ミネルヴァは、ミューに緑色の灯火を託して、倒れた。


「母様! ……解ったのです。母様の覚悟、無駄にしないのです。『増魔の書』『合魔の書』『真理法典』」


 ミューは三冊の本を開き、ミネルヴァから託された緑色の灯火を握りしめる。


「ご主人様! 絶対に仕留めるのです! “魔封殺拘束”」



                ◇



「ご主人様! 絶対に仕留めるのです! “魔封殺拘束”」


 ミューの声が響いた。それと同時に、アザゼルが黒い鎖によって縛られる。


「クククッ、矮小な人間如きの魔法が私に効くわけ……ぬっ!?」


「その魔法は、母様が心臓を捧げて生み出した魔力を使ってミューが再現した女神様の魔法なのです。如何にお前が上位の悪魔でも、これを防ぐことは不可能なのです」


「なぬっ!?」


 ミネルヴァさんが心臓を!? ……いや、その前にまずこの悪魔からだ。


 俺は疑問を押し込んで、剣を握り大きく振りかぶる。


「ちょ、ちょっと待て。待つのです。私は、私は熾天使。人間如きが私に危害を加えれば天罰が……ちょ、ちょっと待て! 話を聞け! ……クソッ! マモーン様、マモーン様、どうか私をお助け……」


「斬首の太刀」


 命乞いをするアザゼルの言葉を無視して剣を振る。


 アザゼルの首が胴体と離れ宙を舞った。

 断罪の剣の黄金の光に当てられて、アザゼルの肉体は切り口からボロボロと灰になって崩れて行く。だけど、俺にとってアザゼルのことなんてどうでもよかった。


「ミネルヴァさん!」


 俺は、剣を仕舞い、ミネルヴァさんの方に駆ける。

 ミネルヴァさんは倒れていた。


「『治す』!」


 目を瞑り、倒れているミネルヴァさんはピクリとも動かない。

 ……精霊山の麓の小屋で聞かされた、精霊人が心臓を捧げて莫大な魔力を生み出す秘術を使ったのだろう。


 俺は、ミネルヴァさんの胸に耳を当てる。


 音がしない。心臓は、『治す』によってきっと復活しているはずだ。でも、動いていない。


「……母様は、立派に戦ったのです」


「ジタロー様の力は、死んだ人は生き返らせられない」


 ミューがポロリと涙を溢す。ニケがミューの肩を抱き寄せる。


「いや、まだ死んでない」


 心臓を捧げたのさついさっきのはずだ。まだ一分も経ってない。人間は心臓がなくなっても、数分は生きていけるって話を聞いたことがある。

 ただ、心臓が動いてないだけなのだ。


 俺はミネルヴァさんの胸に両手を押し当てて、全体重を乗せて心臓マッサージを始めた。


「何を、しているのです?」


「心肺蘇生法だ」


「心肺蘇生法……それって、ジタロー様の能力なの?」


「いや、俺が元居た世界にあった応急処置法みたいなやつだ」


 正直、本当に生き返るか解らない。だけど、目の前に助かるかもしれない人が居てやれることをやらないのは絶対に違う。


 ミネルヴァさんの顎を持ち上げて気道を確保し、口を合わせて肺に息を吹き込んだ。ミネルヴァさんの胸が膨らむ。

 そしてまた再び、心臓マッサージを繰り返す。


 しばらくしたらまた、唇を合わせて息を吹き込む。


「ケホッケホッ」


 倒れていたミネルヴァさんが咳き込んだ。


「『治す』ッ!」


 ドクッドクッ、とミネルヴァさんの心臓が再び動き始める。そして呼吸も取り戻し始めた。ミネルヴァさんは薄っすらと目を開けて、ゆっくりと起き上がる。


「……ここは、死後の世界なのかしら?」


「母様! 違うのです。ご主人様が治してくれたのです」


「……そうなの? 心臓を使ったのに……」


「心臓を失っても、数分程度なら人間は死んでないんです。だから、何とか治すことが出来ました」


「お母様。ありがとう、ありがとう、ジタロー様。お母様を助けてくれて」


 ニケが大粒の涙をボロボロと流し始める。そんなニケをミネルヴァさんは抱き寄せて、ニケと同じく泣きわめくミューと一緒に抱きしめた。


「心配かけたわね。ごめんね。そして、ジタロー様、ありがとう」


 良かった。ミネルヴァさんも生き返って。


 アザゼルは綺麗さっぱり灰になって消えてしまっていた。


「おっとぉ、お前さんを逃がすわけにゃぁいかねぇなぁ?」


 そして半ば忘れかけていたカイマン王子は、こっそり抜け出そうとしたところをライオネルさんに捕まっていた。


「お前さんにはこれからきっちり落とし前を付けてもらわにゃいかんからなぁ」

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