56話 カイマン革命 05

「クククッ。貴方が、まぐれで大天使を退けた男ですか?」


 王の間に辿り着くと、凡そこの世の生物とは思えない醜い化け物がいた。胴体から生える無数の人間の顔と、蛇の触手、6対の蝙蝠の被膜のような翼。


「ハァッ、ハァッ、何をしている熾天使。早くアイツらを殺せ!」


 片腕を失った男が苦痛に歪んだ表情で、脂汗をだらだら流しながら吠える。

 その男は、よく見るとカイマン王子だった。周りを見渡すと、床が血で赤く染まっていて、大勢いたはずのカイマンの部下の騎士はいなくなっている。


「お前が、悪魔か?」


「悪魔? いいえ、違いますよ。クククッ。私は、強欲の女神マモーン様にお仕えする熾天使、アザゼルと申します」


「熾天使?」


 アストレア様からは悪魔だと聞かされていたし、目の前の禍々しい化け物はどう考えても天使には見えない。


「むしろ貴方の方こそ、古に滅びた悪魔の手先ではありませんか? クククッ」


 化け物は醜く笑う。……言っていることの意味が解らなくて、一瞬戸惑ったけど、もしかしてコイツ、アストレア様のこと悪魔と言ったのか?

 顔が熱くなるのを感じる。


 ――ジタローよ、惑わされるな。目の前にいるやつこそ、滅ぼさなければならない悪魔だ。正義は我々にある。


 解っていますよ、アストレア様。

 ただ俺は、アストレア様を悪魔だと侮辱されて腹が立っただけです。


 断罪の剣を握りしめて、正面の悪魔を見据える。断罪の剣は、眩しいばかりの黄金に輝いていた。過去最大級に、アストレア様の加護を感じる。


「アイツは里の人たちを虐殺した。ジタロー様は、私たちを助けてくれた。私たちにとって、ジタロー様こそ本物の神様よ」


「気にするこたぁないぜ、ジタロー。アレが神だろうが天使だろうが、俺たちぁ全員アイツに恨みがあってここに立っているんだぁ」


 ニケとライオネルさんが俺の隣に並び立ちながら、そう言ってくれる。


「クククッ、誰一人動揺しませんね。貴方、相当恨まれることでもしたんですか?」


「う、うるさい! つべこべ言わず早く片付けろ!」


 アザゼルが揶揄うように尋ねると、カイマンが吠えた。


「里の仇。お前こそが悪魔なのです!『増魔の書』『真理法典』“獄門送還”」


 それと同時に、ミューが魔法を発動する。アザゼルとカイマンの後ろに扉が一枚ずつ現れ、開く。その扉の向こうには無限の“黒”が広がっていた。アザゼルとカイマンが吸い込まれるように、扉に引きずり込まれて行く。


「クククッ。これは地獄に繋がる門ですか。黄泉と現世を繋げるのは禁呪なのでは?」


「悪魔とそれに与する悪人に使う場合は、無罪になるのです」


 ミューが、アストレア様から賜った法典をドヤ顔で見せつける。


「うぉぉおい、そんなことはどうでもいい! これ、吸い込まれたらどうなるんだ!?」


 カイマンが片手で扉の淵を掴んで、必死に吸い込まれるのを耐えていた。


「クククッ。吸い込まれたら、真っ暗な空間で苦痛を与えられながら無限の時間を漂い続ける……本当の地獄に流されてしまいますね」


「た、助けろ! お前、神の遣いなんだろ!?」


「クククッ。そうですねぇ。これに吸い込まれては私とて堪ったものじゃありません。しかしこれは世の理を超えた禁呪故、対応するのも至難。私には術者を殺す以外の解決策が思いつきませんねぇ!」


 アザゼルは蛇の触手を物凄い速度でミューに差し向ける。


「『倍反射』!」


 ニケがミューを庇うように立ち、その蛇の触手での攻撃を反射した。蛇たちは明後日の方向に流れていく。


「ミュー、アイツをあの扉の向こうに押し込めば勝てるんだな?」


「そうなのです!」


「だったら、一瞬で決めてやる! 『ドラゴニュートオーバーヒート』ッ! 『縮地』ッ!」


 ファルは身体を赤く燃やし、一瞬で距離を詰めてアザゼルに渾身の一撃を叩き込んだ。アザゼルは咄嗟に蛇の触手を6本使ってファルのパンチを防いだ。ドンッと衝撃波が巻き起こる。凄まじい威力にアザゼルは顔を歪める。


「うぉぉおおおお!」


 ファルは更に畳みかけるように連続でラッシュを繰り出した。

 アザゼルは扉に吸い込まれないように4本の触手を淵に駆けながら、ファルの猛攻を防がないといけない。


 大悪魔との戦いだと聞かされていたから身構えていたけど、ミュー、ニケ、ファルが想像以上に強くなりすぎていて割とあっさり片付くかもしれない。


「俺たちも畳みかけるぞぉ!」


「「「「うぉおおおお!!!」」」」


 亜人解放戦線の戦士たちも、ファルに続いてアザゼルへの攻撃を始める。このまま押し切って扉に押し込めば勝利。案外あっけないものだったな。そう思った刹那、アザゼルがニヤリと笑った気がした。


「“イクリプスイート”」


 アザゼルの少し前の足元に黒い靄が生まれる。


「おい、一旦下がれ!」


 叫びながら前に出る。俺の声が届くよりも早く、その黒い靄からガブリと嫌な音が響いた。俺は肉薄してファルを横に蹴とばしながら、アザゼルに黄金の剣で斬りかかった。


「う゛、うあぁあああ!」


 ファルの悲鳴が響いた。

 ファルは丸々下半身を失ってしまっていた。


「な、なにをされたぁ?」


 片腕になったライオネルさんが息を乱しながら押さえつける。他の亜人解放戦線の戦士たちも、手や足を失ってしまっている。……いや、それどころか10人居たはずの戦士たちが5人に減ってしまっていた。


「お、おい、テメェ。アイツらは、どこにやった!」


 ライオネルが怒りながら尋ねると、アザゼルは自分のお腹を指さした。


「ここです。クククッ。脆弱な下等種族風情が、こんな子供だましの門を出しただけで私に勝てると思いましたか? 押し込めると思いましたか? あぁ、美味です。私に敵意と憎悪を向け、私に勝てると勘違いした愚民たちの血と肉の味は、嗜好です」


 アザゼルは恍惚とした表情で、無数の舌を舐めずりした。


「範囲『治す』」


 俺は、残ったファル達を食べようとしているアザゼルの触手を剣でいなしながら、生き残った人たちを治していく。


 俺のスキルで回復していくファル達を見て、アザゼルは初めて驚いた顔を見せた。


「これは……貴方、人の肉を治療することが出来るのですか?」


「そうだ。……お前を滅ぼすまで何度も、こいつらは復活する」


「……クククッ、でも死人は生き返らないみたいですね」


「俺が、これ以上は殺させない」


 ファルやライオネルさんは手練れだ。そもそもちょっとやそっとじゃ死なないし、今の俺は最大級のアストレア様の加護のお陰でいつもより強い。

 全員を守りながら治すことは難しくない。戦況は有利なはずだ。


 ファルや亜人解放戦線の戦士たちに一瞬で壊滅的なダメージを与えた黒い靄も、断罪の剣の黄金の光に当てられて晴れている。


「……貴方、私の仲間になるつもりはありませんか?」


「は?」


「貴方は今、悪魔の手先をやっている。だけど、その『治す』力は有用です。マモーン様だってきっとお気に召す」


「俺が、お前らのことをお気に召さねえんだよ!」


 剣を振り下ろしてアザゼルの触手を一本斬り落とす。しかし、アザゼルは一本の触手を犠牲にしながら剣を二本の触手で挟むように止めた。


「例えば、世の中には特別味の良い人間というものがいます。例えばそう、300年前、マモーン様を倒しに来た神の使徒を名乗る悪魔の手先がいたんですが、あれがまあ美味しくてですねぇ。それはもう味わって食べたのですが、しかし、結局は一人分の肉でしかなかったのですよ。ですがね? 貴方のその『治す』を使えば、半分食べて治して再生して、また食べて、飽きるまで食べた後に最後全身をがぶりと食べることが出来る。これは革命ですよ! クククッ。貴方が居れば、最高の美味を飽きるまで堪能できる。どうです? 良い話でしょう?」


「は?」


 今の会話の流れ的に、俺のメリットを提示して説得してくるものだと思ったけど、アザゼルは自分のメリットだけしか話さなかった。


 シンプルに会話が成り立ってなくて、戸惑ってしまう。


「俺は、人間を喰ったりしないぞ」


「別に、貴方の意思は関係ない。後ろにいる仲間を全員殺して、力で従わせるだけなのですから!」


「とはいえ悩ましいです。何せ、悪魔の手先はとても美味。貴方の能力は有用だけど貴方の肉も食べたい。……そうだ! じゃあ貴方を死なない程度に食べて、それから自分を直して貰えば良いんですね!」


 ……所詮は悪魔。話を聞くだけ無駄だったということだ。返す刃で、もう一本触手を切る。


「しかし面倒です。その黄金の靄のせいで“イクリプスイート”がまるで使い物にならなくなってしまっている。貴方は食べたいし、それに貴方を殺すのはマモーン様の命でもある。仕方ない。面倒ですが、本気を出すしかないようですね」


 アザゼルは更に触手を2本ほど犠牲にしながら俺を押しのけ、その醜い身体に黒い靄を纏い始めた。


「クククッ、私、強欲の女神の熾天使なのに怠惰を感じてしまっている。おかしな話ですが……そう言えば、私は堕落した故に、一度悪魔に堕ちたのでしたね」


 アザゼルがそう呟くと同時に、黒い靄が晴れる。


 そこにいたのは、一つの顔に赤い四つの瞳、赤褐色の筋肉質な身体、上半身は裸で下半身には黒いズボンだけ履いているような恰好。腕も足も二本で、背中には黒いカラスの翼のようなものが生えていて、その頭には黒い輪っかが浮かんでいる。


 そこに居たのは、醜い化け物ではなく、ビジュアルの良い堕天使のような姿の男だった。


 その男は腕を振り下ろして、ミューの生み出した地獄への扉をかき消した。


「ハァッ、ハァッ、し、死ぬかと思った」


 扉に吸い込まれまいと必死にしがみついていたカイマンが蒼い顔で荒く息をする。


「クククッ。ククククッ。クハハハハハ。久々ですね。この姿になるのは。何千年ぶりでしょうか? ああ、申し訳ありませんマモーン様。この姿になることは堅く禁じられていたのに。罰なら後で何なりと……。クククッ。でもその前にまずは、目の前の悪魔の手先の味を確かめなければ……!」


 禍々しさが減ったアザゼルのその姿は、しかしさっきまでより格段に圧があった。

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