46話 聖者の付き人
ニケやミネルヴァさんが語った過去は、凄惨で悲惨極まるものだった。
生まれた時からずっと住んでいた森に火を放たれ、ずっと一緒にいた父親を殺され生首を踏みつけられ、里の精霊人たちも殺されたり死体を悪用されないために自決して、ニケとミューは逃げた先で奴隷商人の私兵団に遭遇して奴隷落ち。
商店で売られていたニケは両脚と右腕が欠損していたし、ミューは四肢全てを失っていた上に
その絶望は察して余りある。――いや、平和な日本で暮らしてきた俺が軽率に解るだなんて言えないほどに、凄まじい感情が内心にあるはずだ。
しかも、それがつい三ヶ月ほど前の話――いや、ニケを奴隷商人から解放したのはつい一週間前の話だ。
悲しみ、怒り、憎しみ、復讐心。
ニケやミネルヴァさん、そして眠っているミューにだって強烈なそれらの感情が胸の内にあるはずなのに、たった今凄惨な過去を話したニケとミネルヴァさんは、感情を表に出さず真剣な眼差しを俺に向けて来ていた。
空気が重く、張り詰めている。
ショッキング過ぎる話の後の緊張感、心臓が圧し潰されそうだった。
「――カイマン王子の軍勢を追い払って、精霊化が解けた時。私は急いでニンフィに向かったけど、ニケとミューの姿はなかった。何日待てども二人がニンフィに訪れることはなくて、何かあったのだと察したわ。奴隷に落ちたか、或いは殺されたか。
奴隷に落ちたならまた巡り合える可能性はあるけど、癒えない心の傷を負って廃人になってたかもしれないし、奴隷になるときに必ず刻まれる絶対服従紋のせいで人としての尊厳を失われた状態で再開するのだと思っていたわ。
だけど、帰ってきたニケとミューは五体満足だった。ジタロー様。娘二人を助けてくれて、本当にありがとうございました」
ミネルヴァさんは寝ているミューの頭をそっと降ろしてから床に膝と両手を付いて額を床に擦りつけて頭を下げた。
ニケもミネルヴァさんの隣に移動して、一緒に土下座をする。
「四肢を喪っていた私を買って治してくれた上に、死んでも守りたいと思っていたミューまで助けてくれた。これ以上なく、感謝してるわ」
「え、えっと、その件は既にお礼を言って貰ってますし、とりあえず頭を上げてください。その、本当に、ね?」
ニケが惨い目に遭って絶望してたタイミングで運よく回復チートを持ってた俺が居合わせて助けたから、過剰なほど感謝される理由は納得した。だけどそれは本当に偶々俺が四肢欠損でも治せるようなチート回復スキルを持ってたから助けただけで、俺と言う人間が特別善人だからと言うわけではない。
本当にただ、ニケの運が良かった(いや、あんなひどい目に遭ってる時点で運が良いってことはないから不幸中の幸いだった)ってだけだから、大したことをしたつもりはない俺としてはそんな重すぎる感謝を向けられても困ってしまう。
「その上で、ジタロー様に聞いて欲しい話があります」
「は、はい。何ですか?」
「……今、亜人解放戦線はカイマン王子と戦争をしています。数の差、十分ではない食料、武器の質。戦況はとても不利な状況で、日々重傷者は増えるばかり……。毎日のように、負傷したり疲弊したりしてニンフィに戻って来る戦士は後を絶ちません。ですが、娘二人やニンフィの人たちを助けてくれたジタロー様の癒しの力があれば、逆転の目はあると思うのです!」
「あー、なるほど……」
要するに、戦争に協力してほしいって話か。
そう言う話であれば、俺は当然了承するつもりだ。
あまりにも凄惨すぎるニケたちの過去を聞いて、カイマン王子のことは最低のクズだと思ったし、そもそも勇者を喚び出してる時点で世界の法を犯している。
それに、アストレア様から仰せつかってる最重要の使命は召喚された勇者の解放、或いは殺害。……アストレア様の使徒である俺は、どの道カイマン王子の元に殴りこんで裁きを下さなければならないのだ。
なら、亜人解放戦線への協力は感情だけじゃなくて、利害も一致している。
断る理由はなかった。
「それならもちろん――「勿論、無条件でとは言いません! ジタロー様が協力してくれるなら、私の全てをジタロー様に捧げるつもりです」えっと……」
ミネルヴァさんの全てなんて、要らない。
むしろ、ミネルヴァさんがお願いしてこなければ俺の方から協力をお願いしてたような話なのだ。利害だって一致してるのだから、俺が何かを受け取る理由もないし、理由があったとしてもニケの前でそれを受け入れるのは倫理に反する。
でも、それを直接伝えたらミネルヴァさんは凄く傷ついてしまうだろう。冗談で言ってるわけじゃないことは伝わってくるし。でも、やんわり断って引いてくれるような性格でもない。
どうしたものか……。
「ニケ……」
助けを求めるように、ニケの名前を呟く。
「申し訳ないけど、私からはジタロー様に渡せるものなんてないわ。……ジタロー様は私の全てなんて求めていないし、受けた恩を考えれば私の全てを捧げたくらいで返せるって思う方が傲慢な考えだったと思い知ったわ」
「えっ」
「今の私に返せるものはないけど、いつか、ジタロー様に受けた恩の返しきれる程の女に成長するって誓うわ。だからお願いします。ジタロー様。私が、戦争に参加する我儘を認めてください。……私は、パパと里のみんなの仇を討ちたいの」
俺は、その場でしゃがみ込んで、ニケの頭に手を置いた。
「ニケ、顔を上げて、そして少し俺の話を聞いて欲しい」
「はい」
「俺は、ニケのことを仲間だと思ってる。ニケは俺に助けられて恩を感じてるって言ってるけど、俺だってニケに助けられてきた。……この世界に来て、身寄りも知り合いもいない中でニケが一緒にいてくれることで心強いと思ったことは一度や二度じゃない」
「ジタロー様は、私の護衛が必要ないくらい強いし、どんな攻撃も防ぐ服だって持ってるじゃない」
「別に護衛だけじゃない。一緒に歩いて、道中話してくれて、一緒にご飯を食べて、この世界のことを教えてくれて。それだけで十分に心の支えになってたんだ。いや、それだけじゃないよ。道中の料理も、魔物肉なんて聞いたことなくて凄く不安だけど凄く美味しかった。夜に見張りをしてくれたおかげで安心して眠れた。それに俺は、治すとかアストレア様の力みたいな借り物の強さはあるけど中身は臆病で弱っちい、普通の人間だからね。何だかんだ戦えるニケが隣で歩いて、不意打ちとかから守ってくれるってだけで凄く安心できる。それに、ニケはエドワードの街で俺の無茶に、着いてきてもくれた」
俺にとってニケはこの世界に本当の意味で最初に関わった人間で、一週間だけど、苦楽を共にしてきた。俺に恩を感じすぎているところとか、思い込みが激しくて突っ走りがちなところとか付き合いづらいところはあるけど――それでも俺は、ニケを友達だと思っていた。
「だからさ、その、お願いとかそうやって頭を下げたりするの、止めてくれないか? 俺も、ニケと一緒に戦いたいんだ」
ニケの瞳から、ほろりほろりと大粒の涙が零れ落ちる。
「え、ちょ、ちょっと待って、ニケ。な、なんで泣いてるの?」
「ごめんなさい、ジタロー様。私、私……ジタロー様の隣に並び立てるような女になるって誓ってたのに、今も、そう言ったはずなのに。……私、覚悟が足りてなかった。間違ってた」
ニケはボロボロと流れる涙を必死に手で拭っていた。
いつの間にかミネルヴァさんも頭を上げていて、困惑したように俺とニケを交互に見比べていた。
「ジタロー様、私はもう二度と這いつくばったりしない。――聖者様たるジタロー様の付き人として、相応しい人間になって見せるわ!」
ニケは立ち上がってそう宣言した。
いや、その、付き人とかじゃなくて普通に仲間として接してほしいんだけど……。小さく呟いた俺の言葉は完全に無視された。
「えっと、それでジタロー様は亜人解放戦線に協力してくれるってことで良いのかしら?」
「はい」
「私の全てを捧げるのは……」
「えっと、それは結構です」
「そう……」
ミネルヴァさんはちょっと寂しそうな顔をした。
「とりあえず、明日帰ったらリーダーにそう伝えるわ。ジタロー様が協力してくれるって聞いたら大喜びするわね」
「一緒に挨拶しに行きます」
ミネルヴァさんに任せると、まるで俺が聖人君子であるかのような説明をされて誤解されてしまいそうだからな。ライオネルさんにはちゃんと、俺には使命があって利害が一致してる旨をちゃんと話そう。
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