44話 ニケとミューの生い立ち

「可愛いわねー」


 アストレア様から貰った法典をマジマジと見つめているミューからデビクマを取って、頭を撫でるミネルヴァさん。


「カワイイ、クマー!」


「あら、少しだけど喋れるの?」


「シャベレ、クマー!」


「……凄い力を感じるわね。属性は、火と水と風? 三つの精霊が合わさって一つになってるわ。知能が上がったのもその影響? ――異なる属性の精霊が一つになった上に生物と混ざり合うなんて聞いたことないわ。それこそ神の御業ってやつなんでしょうけど。この子はカテゴリー的には受肉した精霊ってことになるのかしら?」


 デビクマを撫でていたミネルヴァさんは思案顔になってブツブツと何かを呟き出した。デビクマは困った顔をしていた。


 空を見上げると、高かった太陽は沈み、空は茜色に染まり始めていた。


 俺たちは山を降りて、麓にある山小屋に来ていた。


 高速で飛ぶ魔法の絨毯であれば今から帰ってもよさそうな気もするけど、夜は視界が悪くて危ないから朝まで泊まる必要があるらしい。

 夜の空は蝙蝠の魔物が飛んだりしてるそうな。確かに、あの速度で魔物と衝突したら大惨事になるだろう。


 山小屋に入ると、中は意外に広くそして綺麗だった。埃の一つも落ちていない。


「あれ? この辺にはもう数年くらい人が立ち入ってないって聞いてたんですけど、誰か掃除にでも来てるんですか?」


 それにしたって不自然だ。偶に、とかじゃなくてさっき掃除したとかじゃないとこの綺麗さは説明がつかない。


「家事精霊が住んでるからですよ」


「家事精霊?」


「ええ。食材を置いておけば、夜ご飯も作ってくれるはずね。対価として魔力を渡す必要はあるけど、それは私が払いますね」


 ミネルヴァさんが家の中に歩いて虚空に手を差し出した。それから、ニケが食材を虚空に渡す。俺には全く見えないけど、そこに家事精霊がいるのだろう。


 ミネルヴァさんにお礼を言ってから、ベッドに座ってだらだらする。ミューはソファに座って早速、世界の法典をパラパラ捲っていた。ミネルヴァさんは熱心にデビクマを撫でている。ニケが俺の隣に座る。


「家事精霊が、ジタロー様の後ろに立ってるわ」


「えっ、なんで?」


「さあ? はっきりは見えないけど、肩でも揉んでるんじゃない?」


 俺には一切見えないし、何も感じられない。少し不気味だけど、害意があるわけじゃないのだろう。どの道俺にはどうにもできないので、気にしないことにする。


 そんなこんなでだらだらしていると、いつの間にか机の上に食事が並んでいた。


 温かいパンと焼きたての肉、そして野菜のスープ。ニンフィの町で仕入れていた食料を温めたり、料理してくれたのだろう。


 席に着いて食事を始める。

 肉は塩と香草の味付けで、食べ慣れない味ではあるが中々に美味しい。野菜のスープは青臭さを感じる上に味も薄いけど、不味いと言うほどではない。


 中々に悪くない味だった。スープにパンを浸して齧り、肉を噛む。


 お腹が空いていたからか、あっと言う間に完食してしまった。


 食事を終えると、勝手に食器が下げられていく。これも家事精霊とやらの仕業なのだろう。……姿は見えないけど、非常に助かる。

 ごちそうさま、ありがとうと礼を言うと食器がひらひらと揺れた気がした。



 食事を終え、また各々の時間を過ごす。


 夜はすっかり暗くなり、小屋の中にはランタンの光だけが照らされている。


 世界の法典を読んでいたミューは、いつの間にかミネルヴァさんの膝を枕にして寝息を立てていた。ミューの腰の上に、デビクマが乗って気持ちよさそうに寝ている。


 俺は早寝する方ではなかったけど、明りの乏しい暗い部屋にいると眠くなってくるような気がする。俺もそろそろ寝ようかなと思い始めた頃に、隣に座るニケがそっと俺の手を握った。


 えっ……。ニケの方を見る。ニケは少し思いつめたような顔をしていた。


「どうしたの?」


「ジタロー様。ジタロー様に聞いて欲しい話があるの」


「な、なに?」


 一つしかないこの部屋にはミネルヴァさんもいるし、ミューもいる。

 それでも少しドキドキしながら、ニケの言葉を待った。


「いつか話さないとって思ってた。私の、私たちの過去のこと」


「過去……」


 この世界に来てから何度も見せられて来た、亜人に対する強い差別。何度も耳にした『亜人大粛清』


 ニンフィには、亜人を差別する体制に抗うために『亜人解放戦線』がある。


 聞いておきたいとは思っていた。聞かねばならないと思っていた。

 張り詰めた雰囲気に、目が覚める。


「良かったら、聞かせてくれない?」


「ええ。――私たちは精霊人の里で生まれて、穏やかな生活を送っていたわ」




                   ◇



 ニケの両親は、二人組で冒険者をやっていた。


 一人は優秀な魔導士であるミネルヴァさん。そしてもう一人は、ニケと同じく白い毛並みの、猫獣人の戦士だった。


 元々二人は4人組の冒険者パーティに所属していたけど、他二人は弱くつまらない存在だったらしく、ランクがDに上がり猫獣人の戦士が一人前の実力を身に着けた頃に、ミネルヴァさんから言い出して二人パーティを抜けたらしい。


 その後猫獣人の戦士はメキメキと成長し、二人は冒険者として頭角を現すようになる。そんな二人の冒険者が恋に落ち、結婚するに至ったのはランクがBに上がった頃だったという。


「精霊人の子供は出来にくいってのが通説なんだけどね、ニケを身籠ったのはあの人と結婚して一年も経たない頃だったわね」


 ミューの髪をさらさらと撫でながら、ミネルヴァさんは懐かしそうに言った。


 子供を身籠ったミネルヴァさんが安心して出産できるように、ニケの父親はミネルヴァさんの故郷である精霊人の里に住むことを決めたそうだ。


 俺がよく読んでた小説だと、精霊人って排他的な種族のイメージがあったのだが、ニケのお父さんはすぐに受け入れられたらしい。


「精霊人は寿命がとても長いから、その分みんな好奇心が強いのよ」


「パパが特別だったからじゃない? 里の人たちみんな、事あるごとに“ミネルヴァを貰ってくれてありがとう”ってパパに言ってたわよ」


「そ、そうなの?」


 ミネルヴァさんが顔を赤くしながら聞き返すとニケがコクリと頷いた。


 ミネルヴァさんって結構突っ走りがちなところがあるイメージだし、若い頃になんやかんやあって村を飛び出したとかあるんだろう。

 そんな娘が結婚して帰って来たなら、ミネルヴァさんを知ってる大人の精霊人たちは多少なりとも安心したとかはあるのかもしれない。


「いや、でも確かに最初は少しみんな警戒してたような気もするかも……?」


 精霊人は全体的に非力で、魔法の扱いが得意な魔導士タイプの人間が多いらしい。


 その中で優秀な前衛を務められるニケ達のお父さんは、すぐに重宝されるようになったらしい。力仕事も引き受けてくれるし、付近の魔物を狩ったり警備をする際にも後衛に偏ってたチームに優秀な前衛が一人入ったことで安全性が上がったらしいし。


 警戒されてたかどうかは、ミネルヴァさんの記憶が定かなので曖昧だけど、ともあれ彼はすぐにその優秀さを精霊人たちに示して里の人たちに受け入れられたらしい。


「で、すぐにニケが生まれて、里総出で可愛がったわね」


 ニケは、白い毛並みの通り猫獣人の父親の血を強く引き継いで生まれたらしい。半精霊人にしては魔力は少なめだが、獣人並みに身体能力が高く感覚が鋭い。


 そんなニケでも、既に里の人気者になっていた父親とミネルヴァさんの子供と言うことで大層可愛がられて育てられたらしい。


 里の精霊人やミネルヴァさんに魔法もかなり教えて貰ってたみたいだけど、獣人の血を強く受け継いだニケは5歳になると父親と一緒にいることが多くなり、獣人の戦士としての教育を受けることになった。


 ニケが7歳を超えると、戦士の教育の一環として父親と少し遠出して魔物を討伐しに行ったりすることもあったらしい。


 一方で、ニケの3年後に生まれたミューはミネルヴァさんとそっくりの黒い毛並みを見て解るように精霊人の血を強く引き継いだらしい。


 その上で、ミューは生まれた時から物凄く賢かったらしい。


 1歳で初めて言葉を喋り、その半年後には見様見真似で初級魔法を使って見せた。

 精霊人は人間よりもはるかに成長が遅いが、獣人は人間よりも早熟な傾向にある。精霊人の特性を多く受け継いでおきながら早熟な部分だけ、獣人に寄ったらしい。

 いや、獣人だとしても説明がつかないほど早熟だったらしい。


 そんなミューを精霊人たちはとても面白がって、色んな魔法や知識を教えて行ったらしい。


 精霊人は人間よりも遥かに寿命が長い。見た目20代くらいのミネルヴァさんが350歳超えてることからもわかるだろう。そんな長い寿命で蓄えた知識は、しかし、教える相手があまりいない。子供が生まれづらい精霊人の里にはニケとミュー以外の子供が殆どいなかったらしいのだ。


 ニケは父親に付きっきりで戦士としての訓練を積んでたから、精霊人たちの教えたがり欲求は殆どミュー一人に向けられたのだ。


 そして賢かったミューは精霊人たちの教えを全て吸収し、それだけでは満足しなかったのか、里にあった書庫にある本の内容まで全部覚えてしまったそうな。


 すやすやと眠っているデビクマを見る。……世界の理を捻じ曲げて生き返らせる術をそんな小さい頃に覚えてたなんて、凄いな。色々な意味で。


 アストレア様が、うっかり一線を越えないようにと法典を渡してるんだからよっぽどだろう。凄まじい才能だ。

 とはいえ、物語にありがちな天才故の孤独や苦しみとかはあまり縁が無さそうな感じで、ミューは精霊人の里で生まれそのまますくすくと育った。


 聞いてるだけでほっこりするような話だ。


 父親と戦士の訓練として町を転々するニケと、天才として生まれ里の精霊人たちにめちゃくちゃ可愛がられて育ったミュー。


 ニケとミューも姉妹仲は知っての通り良好で、それは昔からそうらしい。


 しかし、そんな幸せは長くは続かない。


 マモーン国王によって『亜人大粛清』が発令されたのだ。

 今から3年前。ニケが13歳、ミューが10歳の時。


 ニケは父親と遠出することを控えるようになり、度々押し寄せてくる王国の兵士たちを精霊人たちと一緒に撃退するようになった。


 他の町に行けなくなったし、流通も止まって新しい商品も仕入れづらくなったけど豊富な魔法が扱える精霊人の里は自給自足で成り立っていたし、大した問題ではなかった。


 しかし、それも長くは続かない。


 第二王子カイマン率いる、召喚勇者3名を伴った軍勢に精霊人の里が焼き払われるのは『亜人大粛清』から2年半後。今から約、半年ほど前の出来事だった――

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