43話 復活のデビクマ

「ふっふっふ。見ましたか? ジタロー様。これが精霊人の力! 風のように速かったでしょう!」


「バカ! 母様は馬鹿なのです! もっと加減を知るべきなのです!」


 立ち上がった後、誇らしげな顔でそう言い放ったミネルヴァさんにミューが涙目で抗議した。その顔は赤く、両手は慎ましい胸を必死に抑えている。


「ミュ、ミューちゃんはどうしてそんなに怒ってるの?」


「どうしても何もないのです! 母様のバカ!」


 不可抗力とはいえ、男の俺に胸を触られ続けると言う状況はミューにとって不快だったに違いない。俺はロリコンじゃないからミューに興奮したりはしないけど、ミューは自分自身のことを立派な淑女だと思ってるだろうからな。


 小学校高学年から、中学生くらいの女の子が背伸びしたくなる年頃だと言うことは知っていた。だから墓穴を掘らないよう、口を噤んでおく。


 一頻りミネルヴァに悪態を着いたら怒りも収まったのか、ミューははぁと溜め息を吐いて大人しくなった。


「ジタロー様、その、二人がごめんなさい」


 ニケが恥ずかしそうに頭を下げたので、気にしなくて良いよと手を振った。



「ここが、精霊山。凄いでしょ!」


「ええ、凄い力を感じるわ。……この、膨大な魔力の流れが精霊なのかしら」


「精霊が、飛び回ってるのです! あれは風精霊、こっちは火精霊なのです!?」


「やっぱり、ミューには精霊の姿が見えるのね。ニケも、ちゃんと精霊の力は感じ取れてるみたいね。流石、私の娘たちね」


 目を輝かせて周囲を見渡すニケと、大はしゃぎのミュー。それをうんうんと納得げに見つめるミネルヴァさん。


 連れられて来た場所は、ただの山の中だった。


 足場無く自由に生い茂っている葉や木々の根っこは原生林のようで、息を吸い込めばマイナスイオンが充填される気がするくらい空気が綺麗だ。

 少し先には、底まで見えそうなほど透き通った泉があってその中央の石の上では、灯燭台のように炎が灯っている。人っ子一人立ち入らなそうな自然の中で炎があるのが少し不自然に感じるくらいか。


 しかし、大いなる魔力とか飛び回る精霊と言ったものは一切感じられなかった。


「ジタロー様の周りでは、自由で奔放な精霊たちが平伏しちゃってるわね。……普通人間が立ち入れば怒りを買って追い返されるのが関の山だと言うのに、信じられないわ」


「ご主人様は、女神の使徒なのです。普段は隠されてるけど、精霊たちはご主人様の中にある女神様の権能の一部が見えてるんだと思うのです」


「……ジタロー様は、凄いわね」


「と言われてもなぁ、俺には精霊の姿は疎か魔力とやらすら感じ取れないから全然ピンと来ないんだよなぁ」


 俺の法服の裾を掴みながら言ったニケは、目を丸くした。


「そうなの? じゃあ私、ジタロー様とおんなじね!」


「いや、ニケは魔力が見えてるんだろ?」


 なんか少し浮かない顔をしていたような気がしたニケが、一転して上機嫌になった。改めて辺りを見渡してみたけど、やっぱり自然豊かなだけで普通の山の中としか思えなかった。



「デビクマを生き返らせてあげたいのです!」


 どう頑張っても俺には精霊が見えなかったので、目を輝かせてるミューや上機嫌でニコニコしているニケを見てほっこりしていると、徐にミューが白い繭の球を取り出した。


 アンデッドと化したデビクマが封印されている、繭だ。


「そうだな」


 そのために来たわけだし。大自然を満喫するにしても、生き返ったデビクマが一緒の方が楽しいに決まってる。


 ミューが泉のほとりに繭を置き、俺はその前で跪いて両手を合わせた。

 これがアストレア様に対して正しい作法なのかは解らないけど、精一杯の礼儀だけ尽くして祈りを捧げる。


「(アストレア様。神託の通り、精霊山にやって参りました)」


 ちゃんとここで大丈夫なのだろうか? 精霊山の中でも、なんか特定の場所に移動したりする必要があったりとかするのだろうか?


 ――いや、ここで構わぬ。精霊が満ち溢れたこの地であれば、世界の法を犯すことなくその魔物を蘇生することが叶おう。


 なるほど。


 ――ではジタローよ、天秤を出せ。


「は、はい。『裁量の天秤』」


 言われた通りに出すと、金色に輝く天秤が出現した。


 ――我に祈り、我を受け入れよ。少し、其の方の身体を借りたい。


 え、えっと……


 ――死者の蘇生は神の御業。遠隔でそれを成すには我は力が弱まり過ぎておる。かと言って顕現するのは過干渉故、法を司る女神の立場としては避けたい。


 要するに、デビクマの蘇生の為に俺の身体を明け渡す必要があるようだった。


 ――魔物を蘇生し終えたら、すぐに返すと約束しよう。


 否はなかった。この世界に来てから、アストレア様はずっと俺のことを助けてくれた。ダマカスと戦った時に身体が動かされたような感覚があったけど、それだって俺の意志に反していたわけではない。今回も、俺の願いの為に必要なことだ。


 俺は、アストレア様のことを信頼している、感謝している。


 心を落ち着けると、すぅっと神聖な力が俺の身体の中に入り込んでくるのが解った。膨大な力が中に入り込んでくる。力が漲ってくる。


 瞬間、世界が彩りに溢れ出した。


 澄んだ泉の中にいる青色の光。風を可視化したみたいに飛び回る緑色の光。泉の真ん中の炎に飛び回る赤い光。そして地面も黄色く光り輝いている。


 これが、精霊なのだろうか?


 俺の首が下を向き、膝元にあった白い繭を拾い上げた。そしてそのまま立ち上がり振り返る。


「ひぃぃっ」


「ご、ご主人様、なのです……?」


「ジタロー様、今までの比じゃないくらいに……」


 ミネルヴァさんが怯えたように腰を抜かし、ミューとニケが震えながら五体投地でひれ伏した。アストレア様はそんな三人を意に介することなく、首を回して飛び回る精霊たちを眺めていた。


 ――ふむ。これで良いだろう。


 手が伸びる。俺の手が、白くて大きな光を掴んだ。それと同時に繭が粒子のようになって消え失せる。その瞬間、中で封じられていたデビクマが飛び出してきた。


「グマ゛ァァアア!」


 ガシッ。天秤を持っていた方の手で、デビクマを掴み上げた。


「グ……ク、クマァ」


 一睨みしただけで、暴走状態にあったデビクマが大人しくなった。


 俺の手が、掴み上げたデビクマに、さっき捕まえた白い光を押し込むようにして中に入れる。


「『混魂蘇生』」


 俺の口がそう唱えると、デビクマが中から白く光り出した。


「グマ゛ァァァァアアアア!」


 デビクマが悲鳴を上げ、暴れ出す。それを両手で抑え込む。


「痛かろう。苦しかろう。二つの魂が混ざっているのだ。それも傷ついた状態で。だが耐えよ。其の方が再び生することを望むのであれば」


 悲鳴を上げ暴れるデビクマを抑え込むこと数分。デビクマが大人しくなるのと同時に、俺の腕にデビクマの重さがのしかかった。先程まで目を赤く血走らせていたデビクマの目は白くなっている。


 そして、先ほどまで鮮やかに見えた精霊にあふれる山の中は、ただの自然あふれるだけの原生林に戻っていた。


「……終わった、のです?」


 ミューが頭を上げる。その目はデビクマに向けられていた。


「デビ、クマなのです?」


「クマー! ミュー、クマー!!」


 デビクマがミューの方に行きたそうだったので放してやると、小さな蝙蝠の被膜をぱたぱたさせながらミューに飛び込んで行って、抱き留められた。


「デビクマ! デビクマなのです! 生き返ったのです!」


「ミュー、ミュー、クマー!」


 デビクマを抱きかかえたミューが嬉しそうにくるくる跳ね回る。本当に嬉しそうにしているミューを見て、俺も嬉しくなる。良かった。本当に。


「ご主人様、ご主人様。本当に、ありがとなのです!」


 ミューが満面の笑みでお礼を言ってきた。


「お礼なら、アストレア様に言ってくれ」


「アストレア様、ありがとうございますなのです!」


 ――礼には及ばぬ。使徒として十分な仕事をしたジタローに報いただけ。今後も、使徒として励め。


 もちろんです。アストレア様の偉大さをちゃんと布教させていただきます。


 ――それもだが、勇者の解放と法を犯した不届き者への裁きも忘れるな。


 もちろんです。


 ――それと、これをそこの娘に渡しておけ。


 俺の手に、一冊の本が渡される。


「これ、なんですか?」


 ――それは、世界の法が記された法典。……並みの人間であればそうそう踏み込めない領域にあるが、その娘は並々ならぬ才があるから知っておかねば知らずに踏み越えるやもしれぬ。


 な、なるほど。


「ミュー、この本、アストレア様が読んでおけって」


「それ、何なのです?」


「なんか、この世界の法典らしい。その、この前みたいにうっかり法を犯したりしないようにちゃんと読んでおけって」


「な、なるほど。解ったのです。ちゃんと読むのです」


 ミューは冷や汗を流しながら、本を受け取った。


 ――その法典は他の人間には見せぬようにも伝えておけ。


「その本、他の人には見せるなって」


「解ったのです」


 ミューはコクコクと頷いていた。

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