35話 夜空の下で

 体育座りで空を眺めていた。満天の星と、少し欠けた月。綺麗な夜空を見ていると心が洗われて、雑念を忘れられるような気がする。


 そう言えば、ここは異世界だけど月は一つだな。

 某異世界アニメのOPでもそうだし、二つあるのがファンタジーの定番ってイメージがあるけど。


 地球のより少し大きくて明るいような気はする。

 けどそれは、文明の発展していないこの世界に余計な灯りが少ないからそう見えるだけかもしれない。


 星は、もしかしたら並びが違うのかもしれないけど、天体に詳しくない俺にはよく解らなかった。

 ぼんやりと眺めていると、後ろから誰かが近づいてくる音が聞こえた。


「谷川さん、隣、良いですか?」


「ん? ああ、うん」


 返事をすると、九十九さんが俺の隣に座った。


「空を、見てたんですか?」


「うん。ここ異世界だけど、日本の空とあんまり違い解んないなぁって」


「そうですか? 私はこんな、空を埋め尽くすような星はみたことないです」


「うーん、まあ、それはそうだね。天気のいい日に、田舎の山奥とかに行くとこれくらい見えることもあるらしいけど……」


「私、天体観測とか連れて行ってもらったことないですから……」


「そうなんだ。……俺も、ちゃんと星を見に行ったことはないかな」


 田舎育ちだから、子供の頃は色んな所に連れて行って貰ったけど夜に出かけて星を見る、みたいな経験はない。家を出て独り立ちするようになってからは、アウトドアとか、一切行かなくなったな。


「谷川さん。谷川さんは、元の世界に帰りたいとか思わないんですか?」


 ぼんやりと思い耽っていると、九十九さんがそんなことを言い出す。

 九十九さんは凄く寂しそうな顔をしていた。


「帰りたい、か……」


「はい」


「あんまり、考えたこととかなかったな」


「そ、そうなんですか?」


「うん。この世界に召喚されてから凄い密度で色々あって、ゆっくり物思いに耽れる時間も中々なくって。今も結構、何が何やらって感じなんだけど……」


「そ、そうですか。で、でも谷川さんにもその、お仕事とか、両親とか、友人とか、いらっしゃるんじゃないですか?」


「うーん……」


 九十九さんに言われて初めて考えてみるけど、帰りたいって気持ちはあんまり湧いてこない。


 薄給で派遣なのに上司に毎日怒鳴られて残業もさせられる労働の日々はお世辞にも楽しいと言えるものではなかったし、人付き合いも好きな方ではなかったから友人と呼べるほど仲の良い者もいなかった。


 お世話になった両親に別れの挨拶くらいはしておきたさはあるけど、もう2年以上会ってないから今すぐに! とまでは思わない。


 俺はあまり日本への未練がないのかもしれない。


 あったかい白米とか、ふかふかのベッドくらいは懐かしく思うけどそれくらいだ。


 でも、九十九さんはきっと違うのだろう。

 制服を着ているってことは学生で、帰りを待つ両親もいるだろうし、仲の良い友達も、これだけ可愛い子なのだから彼氏だっていたかもしれない。


 俺と違って未練があってもおかしくない。


「帰りたいかどうかは兎も角として、帰る方法は探したいなとは思ってるよ」


「そ、そうなんですか?」


「うん。ここに残るにしても、帰らないのと帰れないのとじゃ大きく違うし。育ててくれた両親にお礼くらいは言いたいしね」


「そ、そうですよね!」


 俺が答えると、九十九さんは安堵と喜びが混じったような表情をする。


「とはいえ帰る方法が見つかるかどうかは解らないし、九十九さんも帰る方法を探しながら、この世界を楽しんでみても良いんじゃないかなとは思う」


 仮に帰る方法が見つかったとしても、世界の法に触れる禁術の可能性が高い。

 アストレア様は、世界を繋ぐことが違法だって言ってたし。……帰還魔法を使って帰ったのか首チョンパされた死体でしたってのは笑い話にもならない。


 俺の言葉に、九十九さんは少し腑に落ちないような顔をする。


「その、九十九さんって『創造』って凄いチートスキル? 持ってるみたいだし、それを使ってQOLを現代日本レベルに引き上げるとかさ!」


「きゅーおーえる?」


「生活水準のこと。それにミューとも仲良さそうだったけど、この世界でも良い友人に出会えるかもしれないじゃん?」


「……それは、確かにそうですね」


「日本に帰りたいって気持ちは俺もわかるけど、帰る方法を探し続けてずっと見つからない、ってなると凄く辛いと思う。だからその、九十九さんもあんまり気負い過ぎないでね?」


「ふふふ。谷川さん、よく優しいって言われません?」


 九十九さんは心底可笑しそうに笑う。なんか途中で何を言いたいのか自分でもよく解らなくなってたけど……


「どうかな?」


「ニケさんとか、ずっとジタロー様は優しい人でって言ってましたよ」


「それは、ニケが俺が治すで助けたことを大袈裟に感謝してるだけだよ」


「それだけじゃないと思いますよ。治太郎さんはスキルとか関係なく、優しいです。私もちょっと心が軽くなりました。もしよかったら、私のことは凛って呼んでください」


 ナチュラルな名前呼びに、思わずドキッとする。これで数多の同級生たちを落としてきたに違いない。九十九さん改め凛さん、魔性の女……。


「凛さん?」


「凛、です」


「凛……」


「はい」


 俺が分別のある大人じゃなかったら落とされてた。……俺は良識ある25歳だから女子高校生に恋したりしないのである。


 何はともあれ、凛が元気を取り戻したようで良かった。



 結界で守られているとは言え、危険があった時察知出来るように夜は見張り番を立てる必要がある。昨晩はニケ、ファル、メリーナの三人が交代でやってくれた。


 子供のミューや、学生の凛は良いとして大人の俺は見張りの番に参加するべきだろうと思ったけど、主人だから寝てて良いって言われた。それでも途中で起きて強引に見張り役を奪おうと思ったけど、なんか熟睡しちゃって目が覚めた時には朝だった。


 睡眠時間の少なかった三人には『治す』をしておいたけど、これが寝不足に効くのかはよく解らない。


 昼は、ニンフィ目指して森の中を突き進んでいく。


 ミューの魔法とファルの探知のお陰で、魔物と遭遇することすらなくどんどん歩みを進めていく。


 道を遮る藪はニケとミューが払ってくれるから歩きづらいとかはないけど、高低様々な木々が生い茂る森の中は陽の光がかなり遮られていて薄暗く、似たような景色が続くからちゃんと目的地に向かって進めているのかは少し不安だった。


 二日目の夜は良い感じの洞を見つけたので、そこに結界を設営して拠点とした。


 二日目の夕食はジラフディアという、首の長い鹿の魔物の肉に塩とスパイスを振って焼いたものだった。癖が多少あるけど、赤み肉で旨味が強くて俺は美味しかった。

 九十九さんは獣臭さに顔を顰めてたけど……。

 

 昨日起きれなかった反省を生かして最初の見張り番を買って出たら、俺の番の時、ニケも起きていた。


 ニケには色んなことを聞かれた。


 この世界に来てすぐのこと。俺が王族の姫っぽいのに召喚されて『絶対服従紋』で奴隷にさせられそうになったこと、『治す』で解決したらピンチになったけどアストレア様が降臨して助けてくれたこと。そしてそのあとニケと出会ったこと。


 それから前の世界のことも少し話した。


 と言ってもあんまり大したことじゃないけど。この森にある木よりもずっと高い建物が立ち並ぶ街があるって言ったら凄く驚いていた。


 それから、ニケからも「ジタロー様は帰りたいって思わないの?」って聞かれた。


「少なくとも、ニケ達と永遠に別れることになってまで帰りたいとは思わないかな」


 って答えた。

 昨日、凛に答えた解答とは違うけど、これもまた偽りのない本心だった。


「故郷を捨ててでも私たちの為に残ってくれるなんて、ジタロー様は根っからの聖人様なのね」


 って言われた。

 そういうことじゃないんだけどな……。


 話し込んでたらファルが起きたので、見張りの番を交代して眠りに就いた。



 三日目も森を進んだ。


 ジラフディアはとても大きく、三日目の晩御飯はジラフディアの肉を丸一日以上塩とハーブに漬け込んだものだった。

 昨日とは違って塩辛くて、ガツンとハーブの香りが鼻から抜ける。


 パンに挟んで齧り、スープで流し込むと格別の美味さが口の中に広がる。


 昨日はジラフディアの獣臭さに顔を顰めていた凛もこれなら美味しい、と普通に食べていた。


 この塩辛さ、ビールが欲しくなる。

 凛に『創造』で作れないか? と強請ったら、材料もなければ構造も解らないから出来ないです……と困った顔をされてしまった。


 夜の見張り番の一番手は、今日は凛が買って出た。


 今まで見張りをしてこなかった凛が手を上げたことで、ミューも気まずくなったのか一緒にすると言い出した。


 二人が焚火の側で楽しそうにお話しするのを小耳に挟みながら、ぐっすりと眠りについた。


 見張りの為に途中で起きれはしなかった。



 四日目。日が暮れる前に、森を抜けることが出来た。


 晩御飯は、ホーンボアのステーキだった。


 なんかこの数日、一日中歩き通した上で高タンパク低糖質な食事を採っていたからか、身体の締まりがかなり良くなった気がする。

 運動不足で少し出ていたお腹はスッとへっこんだし、腕にも多少の肉がついたお陰でひょろく見えなくなった。


 身体が引き締まると、気分も向上する。もう少し落ち着いたら、木剣の素振りとか始めてみても良いかもしれない。


 夜。今日は俺が見張り番するって言ったらやっぱりニケも一緒にするってなった。寝てて良いよって言ったけど、食い下がってきた。


 今日も日本の話をいくつかした。

 ミューも寝つきが悪かったのか起きて来て、ニケに膝枕されながらうつらうつらとした様子で俺の話を聞いては偶に質問とか返してきた。


 あんまり詳しい解答とかは出来なかったけど、俺の話を聞いて時折深く考え込む様子を見せていた。


 ミューは魔法で色々器用なことが出来るし、日本のことを話しておけば魔法で色んなことを再現してくれるかもしれない。



 そんなこんなで、五日目。


 一先ずの目的地であるニンフィの町まであと少し、といったところで、眼帯を付けた隻腕で赤髪の、狼の特徴を持つ獣人の剣士に遭遇した。


「おい、そこのお前! どこの聖職者かは知らぬが、命が惜しくばその亜人奴隷を直ちに解放し、この場から立ち去れ!」


「「「我らは、亜人解放戦線!」」」


 更に後ろから、犬、狼系の獣人の剣士たちが現れて名乗りを上げた。


 ……亜人解放戦線。そうだよな。


 どの町に行っても亜人が酷く差別されていて、『亜人大粛清』なんて物騒な話も良く聞こえてくる。

 この国で、それに対抗するレジスタンス組織があったって不思議じゃない。


「ちょ、ちょっと待って、私たちは奴隷だけど……『絶対服従紋』で操られてるわけじゃないわ!」


 剣を抜き、今にも俺に斬りかかってきそうな獣人の剣士たちの前にニケが出て両手を広げた。


「む。操られて言わされているのか?」


「奴隷を操り、肉の盾としようとは卑怯なり!」


 隻腕の狼剣士は訝し気に俺を睨み、後ろの剣士が罵声を浴びせてくる。

 うーん。まあこの世界に来てたった数日で嫌と言うほど見せられてきた惨状を思うと仕方ないと思うけど、この様子じゃ言葉で誤解を解くのは不可能だろうな。


 俺は、ニケの肩にポンと手を置いてから隻腕の狼獣人の元へ歩み寄って行く。


「お、おい、止まれ! 何をする気だ! 叩き切るぞ!!」


 俺は剣を構え腰を落とす狼獣人に手を向けた。


「『治す』」


「うわっ、ああっ!」


 驚いている間に更に距離を詰め、隻腕の狼獣人に直接触れる。すると、喪われていた腕がじゅくじゅくと泡のように噴き出して、蘇生する。


 何度見ても慣れないグロい光景。


 俺の『治す』によって急に腕を生やされた狼獣人は腰を抜かした。はらりと眼帯が堕ちて、綺麗な両目は俺のことを驚愕に揺れながら見つめていた。


「せ、聖者様……?」

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