34話 野営と監査権

 ホーンボアの網焼肉と、フィリップで買ったパンと野菜を食べ終えお腹いっぱいになった俺はデザートの果物をシャクシャクと齧っていた。


 市場で塩とハーブとスパイスを買っておいて正解だった。

 魔物肉を現地調達するって発想はあんまりなかったけど、パンと保存食だけじゃ栄養的にも心配だし、侘しい食事と言うのは日本人的な感覚としても辛い。


 ファルとニケは狩りが得意みたいだし、今日の網焼きは炭火で焼いたことも相まって凄く美味しかったから明日の晩飯も期待したい。


「ご主人様、少しの間、隅っこに行って外を向いてて欲しいのです」


 果物を食べ終え、焚火を眺めながら今日のご飯の余韻に浸っているとミューから声が掛かった。


「なんで?」


「身体、拭きたいのです」


「あー、なるほど。了解」


 今日は一日中歩き通しで汗も掻いただろうし。流石に風呂を作って入るってのは厳しいにしても、身体くらいは拭きたいか。


「それなら、ちょっと外歩いてきた方が良いか?」


「夜の森は危ないから、結界の外には出ない方が良いと思うのです」


「なるほど」


「って言うか、ジタロー様も一緒にこっちで拭けば良いじゃない。背中は私に任せてちょうだい!」


「そうだよな。ダンナ一人だけ仲間外れは可哀そうだぜ?」


「い、いや、姉様、ファル。それはおかしいのです。身体を拭くとき、ミューたちは服を脱ぐのです。全裸にまではならなくても、下着姿にはなるのですよ? それを男のご主人様に見られることになるのですよ?」


「別に、ジタロー様に見られたって構わないわ」


「下着もダンナに買ってもらったものだし、今更じゃねえか?」


「そ、そんな……! リンもメリーナも、何とか言うのです!」


「んー、谷川さんって人畜無害そうだし、別に下着見られるくらいなら、私もそこまで抵抗ないかな。暗いからよく見えないだろうし」


「主人に肌を見られるのが嫌なんて言うメイドはいないデース」


「なんで、誰もご主人様に肌を見られることに抵抗がないのです!?」


 ミューがショックを受けたように膝を着く。俺としても、男として全然意識されてないみたいな扱いでかなり複雑だった。


「さあ、ジタロー様服を脱いで! 背中だけと言わず、全身私が拭いてあげるわ!」


「い、いや……」


「ね、姉様!? 姉様はミューの――」


「みゅ、ミューちゃん。その、背中、私が拭いてあげるけど?」


「リン様はワタシに任せて欲しいデース」


「ミュー、早くお湯を出してくれ」


 ミューが恨みがましい目で俺を睨んでくる。


「目のやり場に困るから、やっぱり俺は隅で待ってるよ」


 身体拭いてさっぱりしたい気持ちはあるし、美少女たちが下着姿で身体拭き合いっこする光景を見たくないかと言ったら男としては嘘になるけど……。

 それを見てしまったら旅の道中で自制が効かなくなってしまいそうだし、女の花園に一人混ざる勇気もないので、俺はそっぽを向いて隅っこで体育座りをした。


 ああ。街灯とかないから、星が綺麗に見えるなぁ。


「あっ、ファルさん脱ぐともっとスタイル良い! 腹筋、割れてますよね? ちょっと触っても良いですか?」


「おう」


「わっ。堅い……けど、意外と柔らかいかも」


「思いっきり殴ってみるか? 全然効かないから」


「え、えー、じゃあちょっとだけ……」


「リン様、遊んでないで早くお召し物を脱ぐのデース」


「えっ、ちょ、ちょっと待ってメリーナ。自分で脱げるから!」


「待たないデース」


「い、いやー」


「これで拭くのです」


「ミュー、ありがとな」


 ……後ろから、楽しそうな声と衣擦れの音が聞こえてくる。今頃、みんな下着姿になっているのだろう。振り返るだけでそこに楽園が広がっているのに。


 い、いや、いかん。


 俺は心頭滅却させるために、目を閉じた。

 目を閉じると、瞼の裏に下着姿でホカホカの温タオルをファルに渡している姿が浮かんだ。ファルは豪快に、全てを脱ぎ去っていた。


 暗くて詳しいところまでは見えないけど……。い、いや、待って、何で?


 俺の豊かな想像力が、後ろの光景をリアルに再現してしまったのか?


 下着姿のニケが、ミューからタオルを受け取る。ミューは九十九さんと、メリーナの方へ歩いて温タオルを渡した。


 九十九さんの下着は、清純そうな白。

 レースがあしらわれた可愛いブラジャーはきっと日本製なのだろう。


「ミューちゃん、背中は私が拭いたげるね」


「ちょ、ちょっと、姉様」


 ミューから温タオルを受け取ったニケは俺の方へ向かって歩いてくる。隅っこで体育座りしている俺の背中も見える。……な、ナニコレ。


「ジタロー様」


「っ!?」


 ニケが俺の側に来たなってタイミングとドンピシャで声が掛かった。驚きで心臓が止まるかと思った。


「背中拭くから、服、脱いで」


 振り向くと、下着姿のニケがタオルを持って立っていた。さっき見たのとまったく同じ下着だった。


「あ、あんまりマジマジ見られると、ジタロー様でも恥ずかしいんだけど」


 ニケは恥ずかしそうに、身体を控え目に隠す。


「あ、ああ、すまん」


 俺はテンパりながら法衣を脱ぎ、中のシャツとズボンも脱いでパンツ一丁になる。

 変に抵抗すると、股間の怪物が暴れ出しているのをニケに見られてしまいそうだったので大人しく脱いで背中を向ける。


 背中に温タオルが当てられる。


 『治す』でも身体の汚れは落とせるけど、身体を実際に拭くのは別の気持ちよさがある。……『治す』は疲れも取れるから効果は濡れタオルより上のはずなんだけど、やっぱり綺麗にしてる感みたいなのは大事なのかもしれない。


 落ち着いたら、風呂にも入りたいなぁ。


 月明かりに照らされる、草原を眺める。心を落ち着けると、いきり立つ怪物も鎮められるような気がする。


 心頭滅却するために目を瞑ると、九十九さんに執拗に尻尾と耳をもふられてるミューの姿が見えた。


「あっ、ちょっ、やめっ、やめるのですっ。くすぐったいのですっ」


 笑い声交じりのミューの声は少し艶めかしくも思える。


 目を瞑ると、最初に見えるのはミューだった。今も、さっきも。

 そう言えばアストレア様がミューに『無期懲役』を言い渡したとき、ミューが再び世界の法を犯さぬようにと、俺に見張ることを言い渡していたけど……。


 もしかして、これがその『監査権』ってやつなのだろうか?


 目を瞑ったら自動的にミューの姿が見える?

 でも今日歩いていた時にも瞬きくらいはしたけど、別にミューの姿が一瞬映ったとかはない。


 視界に入ってないときが条件? 確かに今日はずっと視覚範囲内にいた気がする。

 それとも、俺が見たいって意思を持つことが重要? その可能性もある……。だって後ろで女の子がキャッキャウフフしてて見たくならないとか無理だもん。


 これ、ミューにバレたら、最近折角打ち解けつつあるのにまた嫌われてしまうかもしれん。……墓場まで持っていかねば。


「……ジタロー様、前も拭くわよ?」


 気が付くと、ニケが俺の正面で膝立ちしていた。

 手を俺の肩に置いて、未だに温かい濡れタオルを俺の胸に添えてくる。ニケが俺の身体を拭くために手を動かす度、意外に大きなニケの胸がむにっむにっと谷間を形成する。


 や、ヤバイ。こ、これ以上は色んな意味でヤバい。


「に、ニケ。その、気持ちはありがたいが、あとは自分で出来る!」


 俺はやや強引にニケからタオルをひったくって、体育座りを更に屈めて脛を拭く。


「そ、そう?」


「あ、ああ。ミューもニケがこっちに来て寂しがってたからな。うん。背中はミューに拭いてもらえば良いんじゃないかな?」


「ジタロー様……。ありがとう。ジタロー様は優しいわね」


 ニケが嬉しそうにはにかむ。


 ニケは、俺がミューのことを気遣ってこんなことを言ったと勘違いしてるのかもしれないが、実際は勃起してるのがバレたくないから早くどっか行って欲しいだけだ。

 ニケの笑顔が俺の罪悪感をチクチクと痛めつけてくる。


 怒れる怪物を鎮めるために、少し森へ散歩しに行きたくなったが、夜の森は危ないって言われてるからそれは怖い。


 かと言って、誰かについてきてもらうわけにもいかないし……。


 目を瞑ると、嬉しそうにニケの背中を拭くミューの顔が見えた。


 俺は慌てて目を開けて、身体を拭き、法衣を着る。


「『治す』」


 …………。『治す』なら怒れる怪物を少しは鎮めてくれるかと期待したけど、別にそんなことはなかった。むしろさっきよりも荒れ狂ってるような気すらする。


 今まで万能だった『治す』の弱点を一つ、見つけたような気がした。

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