28話 神託と新たな旅の目的

「デビクマの、脈がないのです……」


 ジタローがニケとファルを治していた頃、デビクマを抱き上げたミューはポツリと呟いた。


「呼吸もしてない。使い魔の繋がりも……消えてるのです。これ、死んでしまっているのです」


 目を閉じ、決して開くことのないデビクマの顔をミューは覗き込む。

 その顔はどこか誇らしげに見えた。


「……み、認めないのです」


 ミューはブックホルダーから『増魔の書』と『合魔の書』を取り出した。


 ミューは故郷の図書館にあった魔法書の全てを読破し、その内容を完璧に記憶していた。ミューは魔法の天才である。


 特に得意な人形やゴーレムを操る魔法だとニケは語っていたが、ミューの真の適正は人形やゴーレムではなく死体を操る『死霊操術』にあった。


 死霊操術は、非常に高度で難解な術式である。そして一度死んだ存在を操るその魔法は、一部世界の禁忌に踏み込んだ魔術でもあった。


 死霊操術の一切合切が禁忌に触れるわけではない。

 だがどれが世界の法に触れるのか、人の身で世界の法を全て知ることは不可能だ。

 故に虎の尾を踏まぬよう死霊操術の一切は禁術に指定され、決して扱うことのないよう厳重に注意されていた。


 しかし死霊操術は全てが世界の法に触れるわけではないので、古い魔法書だと“神に裁かれなかった死霊操術使いの対処のため”に使い方などが記載されていることがあった。


 そしてミューはその魔法書を読んだことがあった。


「ミューが、必ず生き返らせてあげるのです『増魔の書』『合魔の書』」


 天使の攻撃からミューを咄嗟に庇って、死んでしまったデビクマ。

 

 短い間ではあったが、寝食を共にした使い魔を、友人を助けるために、ミューは魔法を構築していく。


「ミュー! ……無事で良かった。…………何を、してるの?」


 ジタローに治されたニケとファルが、デビクマの死体の前でしゃがみ込んでいるミューの元へたどり着く。


 ニケは、ミューを中心に渦巻く莫大な魔力の奔流に異常を察知した。


「黄泉開き……反魂蘇生ソウルリザレクション


 冥界への扉を開き、死者の世界へ移ってしまった魂を呼び戻して元の肉体へ返す魔法。膨大な魔力がデビクマに流れ込んでいく。

 冥界から呼び戻したデビクマの魂が、デビクマの肉体にゆっくりと返っていく。


 卓越した魔術センスがなければ成功しないこの魔法を、ミューは天性の才能で成功させてしまった。


 ミューからは滝のような汗が流れていた。ミューは息を切らせながら腰を着く。


「……上手く、いったのです?」


 ずっと開く気配のなかったデビクマの目が開いた。


「グマ゛ー!」


「危ないっ!」


 大口を開けたデビクマがミューに飛び掛かる。デビクマの異常をいち早く察知したファルが、ミューの襟首を引っ掴んで救助する。

 デビクマの鋭い牙がカチンとなる。デビクマの瞳は赤く染まっていた。


「デビ、クマ……?」


「グマ゛ァァアアアア゛ッ!」


 デビクマがこの世のものとは思えないような、咆哮を上げる。


「ミュー、何したの?」


「知らない、知らないのです」


 ミューが顔を青褪めさせながら首を振る。デビクマはカチカチと牙を鳴らして、ミューを噛み殺そうとしていた。

 ファルはミューを抱え上げ、デビクマの攻撃を躱す。


「デビクマ、ミューなのです。どうして攻撃するのです……?」




                 ◇



「グマ゛ァァアアアア゛ッ!」


 九十九さんと握手を交わしていると、後方からこの世のものとは思えない咆哮が響いた。驚いて振り返ると、デビクマがミューとファルに襲い掛かっている。


 『治す』は間に合ったのか? それにしては、様子がおかしい。


「ちょっとごめん。『断罪の剣』『裁量の天秤』」


 緊急事態っぽいので、俺は九十九さんから手を離して急いでミューたちの元へ駆けつける。


「デビクマ、ミューなのです。どうして攻撃するのです……?」


「ミュー……いや、ファル。これはどういう状況だ?」


「オレにも何が何だか判らねえ。デビクマの奴が急に襲ってきて」


「グマ゛ァァアアッ!」


 デビクマが地獄の底から出してるみたいな咆哮を上げる。……様子がおかしいし、このままでは埒も開かない。一回殺して治して見るか?


「だ、ダメなのです! ご主人様、デビクマを殺しちゃダメなのです」


 断罪の剣を振り上げると、ミューの悲痛な叫びが上がる。

 俺に噛みつきに飛び掛かってきたデビクマをニケが叩いて遠ざける。


 ……どうしたものか。


 どうすれば良いんだ。


 ――『封魔拘束』を使え


 様子がおかしいデビクマの対処に困っていると、脳内にアストレア様の声が響いた。


「わ、解りました。『封魔拘束』ッ!」


 よく解らないけど、アストレア様の声に従って封魔拘束と唱える。すると、裁量の天秤が金色の輝きを放ち、デビクマが蚕の繭のようなものに包まれた。


 繭はカタカタと揺れるが、それ以上のことは起こらない。


「デビクマっ!」


 ミューがファルの腕から抜けて、繭に包まれたデビクマの元へ寄る。


 ――ジタローよ。そこのミューという娘は今、世界の法を犯した。


 みゅ、ミューがですか!?


 まだ、事態を把握できていない中で告げられたアストレア様の言葉に頭が真っ白になる。


 ――その娘は冥界の扉を強引にこじ開け、死した魔物の魂を呼び戻した。生と死の流転を捻じ曲げようとするのは違法である。『裁量の天秤』で、裁け。


 !? ちょ、ちょっとお待ちください。あ、アストレア様!


 ミューが世界の法を破ったって、何かの間違いですよね!? だ、だって……。


 ――ジタローは、我が間違いを言っていると申すか?


 い、いえ、そ、そういうわけじゃないですけど……。


 アストレア様の怒り交じりの声に魂が恐怖で震え上がる。

 だけど……、俺にはミューを裁くことなんて出来ない。


「アストレア様、どうか、どうか今回ばかりはお許しいただけないでしょうか!」


 俺はその場で地面に額を擦りつけ、土下座した。


 ミューは、仲間だ。それに、今まで裁いてきた悪人たちと事情も違う。

 ……私利私欲の為じゃなくて、使い魔のデビクマを――死んでしまったデビクマを生き返らせたいって思っただけ。


 そんなミューを、殺せなんて……俺には出来ない。


 俺は、アストレア様に懇願した。


 ――ならぬ。法は法。例外はない。裁量の天秤で、ミューという娘を裁け。


「出来ません。……ッ! どうか、どうかご容赦を……ッ!」


 ――出来ぬと申すか。


 アストレア様の冷たい声に、恐怖で頭がおかしくなりそうだ。顎がガチガチとなってるのが解る。でも、でも……。


 ――では、我が直々に裁くのみ。


 その瞬間、世界の時間が停止した。……停止したかのように錯覚するほどの、とんでもない存在感がこの世界に現れた。


 恐る恐る顔を上げると、アストレア様がミューの背後に降臨していた。


 ニケもファルも、その存在感に、時が止まったように停止していた。


「判決を言い渡す――」


 ガタン。アストレア様の天秤は、無情にも右に傾いた。


 もうどうしようもない。圧倒的な存在に言い渡された無情な判決を受け入れるしかない。俺は喉を震わせながら目を瞑る。


「――無期懲役。ミュー。其の方は、我が使徒ジタローの下で無期限に懲役せよ」


 ……無期、懲役?


「冥界の扉を破り、反魂蘇生を執り行おうとしたその行為自体は万死に値するが、娘が幼き子供の身であること、そして事情が使い魔を生き返らせたいという善なる願いから来るものという事情を加味し、酌量の余地があると判断した」


 アストレア様が、淡々と判決を述べていく。


「む、無期懲役と言うのは、ど、どういうことでしょうか?」


「言った通りだ。ミューという娘には、我が使徒ジタローの下僕として無期限に仕え懲役することを命じる。そして、ジタロー。其の方は、ミューが二度と法を犯さぬよう監査し続けることを命じる」


「か、監査」


「うむ。ジタローが監査しやすいよう、その娘には其の方に対し『隠し事が出来ず、嘘も吐けない』という縛りを与えた。それと、ミューが再び法を犯そうとしたとき、事前に止められるようジタローにはミューに対する『監査権』と『絶対命令権』を与える」


「監査権と絶対命令権……?」


 絶対命令権は、絶対服従紋みたいなものか?


「否。絶対服従紋と違い、絶対命令権は世界の法則によってその命令を強制的に執行させる力がある。それと監査権はいつ如何なるときもミューの行動を把握し見ることが出来る権利だ」


「な、なるほど……」


「詳しいことは実際に行動していけば解るだろう」


 内容を半分くらい理解できてないまま適当に頷いたのが見透かされたのか、アストレア様からそんな補足が入る。


 ……とりあえず、ミューは殺されずに済んだみたいだ。


「それと事が後先になったが、此度の王族及びマモーンの天使、召喚者一名の討伐と、解放。更に着実に信者まで増やしておる。……我が使徒となってから僅か三日でこれだけの働き、実に見事である。褒めて遣わそう」


「は、はい。あ、ありがとうございます」


 極度の緊張状態の中で急に褒められて、戸惑ってしまう。


「信賞必罰。罪には罰が必ず与えられるように、働きには相応の褒美があって然るべきだとは思わないか?」


「は、はい……」


「今回、我が使命を果たしたジタローには褒美を与えようと思うのだが、何か望みはあるか?」


「え、えっと……」


 ミューを殺さないで欲しいって思いで必死だったから、急になにか望みはあるかと問われても頭が真っ白で何も出てこない。


「例えば、その魔物を生き返らせたいとかでも良いぞ」


「え? で、出来るんですか?」


「うむ。死者蘇生は古来より、神の御業と相場が決まっておろう」


「な、なるほど……」


 デビクマを生き返らせてくれるというのであれば、是非もない。


「では、デビクマを生き返らせてください!」


「うむ。よかろう。……では、神託を授ける。其の方らは精霊山に向かえ。到着した後、我に祈りを捧げればその魔物はきっと息を吹き返すだろう」


「……精霊山」


 ――場所は、娘らなら解るはずだ。


 それだけ言い残して、アストレア様の気配が消え去った。

 時が凍り付いて止まったような、緊迫感から解放される。


 バタリ、九十九さんが倒れる。白目を剥いて気絶していた。


「し、死ぬかと思ったぜ」


「い、今のが、ジタロー様の神様?」


 ファルとニケも、気を失わないまでもへたりと腰を着いた。


「……デビクマは、生き返るのです?」


 俯いていたミューが溢すように聞いてきた。


「ああ、アストレア様が生き返らせてくれるって言ったからな。精霊山に行けば生き返るだろ。……精霊山って知ってるか?」


「知ってるも何も、私とミューの故郷のすぐ近くよ」


「そうなのか?」


 そう言えば、ニケは精霊人とのハーフだって言ってたな。アストレア様が、ニケ達なら知ってるだろうって言ったのはそう言うことか。


「ええ。……それにしても、ミューが死ななくて本当に良かったわ。無期懲役って聞くと仰々しいけど、ジタロー様の下僕として一生仕えるってのは元から変わらないし実質無罪放免で済んでよかったわね!」


「それを無罪だと思えるのは、ご主人様にお尻を叩かれて悦んでいた姉様だけなのです……」


「ちょ、みゅ、ミュー!? なんてこと言うの!?」


「はぅぁ!? い、今のはわざとじゃないのです! く、口が滑ったのです!」


 ミューの爆弾発言にニケが顔を真っ赤にして、ミューは目を見開いて驚きながら両手で口を押えていた。


「これが、さっきあの神様が言ってた『隠し事が出来ない』『嘘が吐けない』ってやつか」


「嘘が吐けない……?」


 ってことは、ニケがお尻を叩かれて悦んでたって話は――


「違うの! 聞いて、ご主人様! 本当に違うの! これはミューの勘違いで――」


 ニケが顔を真っ赤にしながらまくしたてるように弁解する。

 ミューはこれ以上余計に口を滑らせないように口を押えてそっぽを向いていた。

 ファルが呆れたように肩を竦める。


 一時はどうなることかと思ったけど、とりあえず三人も、俺も無事で済んで良かった。


 デビクマも、精霊山に行けばアストレア様が生き返らせてくれるらしいし。


「ちょっと、ジタロー様? 何ニヤニヤしてるの? ミューが言ってたのは本当に違うくて――」


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