27話 エドワード事件 その4

 ミューによって無数に生成された氷刃が、後発から来た兵士たちの援軍をあっと言う間に蹂躙する。


 ニケは絶命させた騎士の頭を踏みつけて隣の騎士の頭を踏みつけ、再び勇者に特攻しようと探す。


 しかし、勇者の姿が見当たらない。


 ニケは高速で首を振って勇者の姿を探す。

 勇者は、いつの間にかミューの背後に移動していた。


「ミュー!」


 ニケは騎士の頭を蹴って、急いでミューの元へ向かおうとするが、妹の窮地に気を取られたままに放たれたその蹴りは緩慢で騎士に足を掴まれてしまう。


「よくも俺たちの仲間を殺してくれたな、このクソ猫がァ!」


「あぁッ!」


 ニケの足を掴んだ騎士が、勢いよくニケを地面に叩きつけるのと、バンッという乾いた発砲音が響いたのはほぼ同時だった。


 ミューの裏太ももが、至近距離で撃ち抜かれる。

 回転する銃弾は、ミューの太ももの肉を抉り取り大きな風穴を開けた。


「うぁ゛ぁっ!」


 後発からの援軍という窮地を乗り越えたと思ったばかりのタイミングで背後から受けて手痛いダメージに、ミューから悲痛な叫びが漏れた。


 騎士の手によって地面に叩きつけられたニケの骨がバキバキと折れる。

 石畳に顔面を強打し、何本か歯も折れてしまったニケはそれでもミューを守ろうと首を上げ、血まみれの顔で勇者を睨みつけた。


「へっへっへ。殺された仲間の恨みもあるからなぁ、お前は楽には殺さねえ」


 騎士が、ニケのふくらはぎに剣を突き刺した。


「ぐぁ゛ぁっ、うぐっ、いっ、」


 立つために必要な筋肉と腱を断たれたニケは、苦痛に涙と涎を零しながらも貼ってミューの元を目指そうとする。


「ミ゛ュー!」


「…………うぅぅ、ね、姉様」


 足を撃ち抜かれ、地面に倒れ伏していたミューは姉の悲痛な呼びかけに我を取り戻す。


 ……今は痛みに蹲っている場合じゃないのです。このままだと、姉様が殺されてしまうのです。


 ミューは、痛みに切れそうになる集中力をどうにか振り絞って体中の魔力を練り、魔法の準備を始める。渾身の一撃を叩き込むために。


 女勇者はミューに銃口を向けていた。

 魔力の動きは感じ取れないが、それでもミューが何かをしでかそうとしていることは解っている。


 だけど、引き金を引けずにいた。


 女勇者は元日本人。……いや、今も心は日本人のままだ。


 約10日前にこの世界に召喚されてから、戦闘の訓練などは受けさせられたりしてきたが、人を殺した経験は未だない。


 しかも相手は、悪人には見えない10歳くらいの可愛い猫耳の女の子。


 大天使の『絶対服従紋』による命令は、ニケとミューを始末することだったが、女勇者は殺しに対する忌避感が強く、命令に抵抗していた。


 至近距離で頭を撃ち抜く隙があったにも関わらず足を狙ったのはそのためである。


 ミューと女勇者は睨みあう。

 その時、上空から天使が降ってきた。


「マモーン様の裁きを受けろ!」


 さっきニケによって上空に蹴とばされた天使だった。蹴とばされてから、上空を飛び回り続けここぞという隙を伺っていたのだ。


 天使はミュー目掛けて剣を振り下ろす。


 ミューはまだ魔法を練り上げている最中だった。発射するよりも早く、天使の剣がミューを一撃で絶命させるだろう。


「クマー!」


 デビクマが、上空から降り下りてくる天使目掛けて飛び上がった。

 物凄い速度で落下してくる天使の顔面に、その小さい腕からは考えられないほどの膂力で攻撃を叩き込む。


「くっ」


 天使はデビクマの手を掴み、攻撃を受けた。そしてそのまま、剣をデビクマの頭に沿え当て、地面に落下した。


爆発プロージョン


 地面に着地したばかりの天使の頭に向かって、ミューは渾身の魔力を込めた爆発魔法を叩き込んだ。流石の天使もこれには一溜りもなく、頭を炸裂させ絶命する。


 バンッ!


 そしてそれは、ニケの足に剣を刺し甚振っていた騎士たちがファルの大きな手で横の壁に打ち付けられ、更なる爪の攻撃でバターのように三枚おろしにさせられるのと同時であった。


 更に


「『治す』」


 看過できない攻撃をしたミューの脳天に照準が合っていた銃の引き金が引かれるよりも先に、ジタローの手が女勇者の肩に触れた。


 女勇者はへなへなと脱力して、地面にへたり込んだ。




             ◇



「『治す』」


 ミューに向けられた銃口から弾が発砲される前に、女勇者の肩に触れ『絶対服従紋』を解除することに成功する。


 彼女は、ストーカー野郎のように襲い掛かってくるようなこともなく、力が抜けたように地面にへたり込んで座ってしまった。


 俺と同じ召喚者で日本人だし、色々話したいけどその前にやることがある。


 俺はとりあえず一番近くにいるミューの側でしゃがんで手を出した。


「『治――「ちょっと待つのです」……ん?」


 ミューは苦しそうな顔をしながら、治そうとした俺の動きを手で制止して首が爆散して死んだ天使の方を指さす。


「あそこに、デビクマがいるはずなのです。一番重傷だと思うから、そっちを先に治してあげて欲しいのです」


「……解った」


 ミューもかなり重症に見えるけど、一刻一秒を争うほどではない。

 俺はミューの言う通り立ち上がって、天使の方へ小走りで向かう。


 ……デビクマは、縦に真っ二つに斬られてしまっていた。


 天使の持つ剣によって、右と左に身体を断ち裂かれてしまっている。……どう見ても即死級のダメージだ。


「『治す』」


 いや、諦めるにはまだ早い。

 生物ってのは、俺たちが思ってるよりもずっと死太いものだ。首を斬られた罪人が二分後も瞬きをしたって話もあるし、頭を潰されたダチョウが死んだことに気づかずに暫くのた打ち回ってるみたいな話も聞いたことがある。


 天使が落ちてきたのはつい数十秒前のことだ。デビクマが致死級のダメージを負ったのもそれくらい。


 数十秒くらいなら、まだ死んでない可能性は十分にある。


 とりあえず、デビクマは俺の『治す』で姿は元通りになった。


 医学がかなり発展した日本でも、これを治す技術は存在してなかったから即死扱いされてただけだ。

 それに、デビクマは人間でも動物でもない魔物だ。地球にいた生物よりも生命力が高い可能性だってある。


 ちゃんと、目覚めてくれよ……。


 拳を握りしめて祈りながら、ミューの元へ戻る。


「次は、姉様を治してあげてほしいのです。ミューよりずっと重症なのです」


 俺はミューとニケを見比べる。……片脚の太ももに大きな風穴が空いているミューと、片腕片脚を欠損してしまっているニケ。


 確かに後者の方が重症に見えた。


「『治す』」


 ミューに『治す』を掛けると、ものの十秒ほどで太ももの穴が塞がった。


「……!?」


「欠損は治すのに少し時間が掛かるからな」


 それに、一回ニケのとこまで歩いてミューのとこまで戻る手間も惜しかった。

 俺はそれだけ言ってから、駆け足でニケの方へ行く。


「姉様を、お願いするのです」


 ミューはそれだけ言ってから、デビクマの方へ向かった。


 俺はニケの傍まで行ってしゃがみ込む。


「ジタロー様、ごめ「『治す』……ごめんな、ニケ。こんなになるまで戦わせてしまって」……ッ! ううん、私が、私が弱かったから」


 ニケが謝ろうとしたから、被せて謝るとニケは悔しそうな顔で歯を食いしばった。


「そんなことない。よく死なないで、生きててくれた。それだけで俺としては十分だ――『治す』」


「ジタロー様ッ……!」


 ニケが感極まったように咽び泣き始める。

 俺は、ニケの失われた腕と足が再生していくのを見ながらもう一方の手で、身体がバキバキになって倒れ伏しているファルにも『治す』を掛ける。


「10人以上の騎士に、勇者に、天使。ニケとミューの方に人を多く流しちまった。オレがもっと強ければ……。そのせいでそんな酷い目に遭わせてすまなかった」


「ファルが大天使をちゃんと止めてくれたお陰で、俺は早々にストーカー野郎を倒すことが出来たんだ。それにニケも、ミューと二人であれだけの人数をほぼ自力で片づけたわけじゃん。誇りに思っても、気に病むようなことじゃない」


「「…………」」


「ニケ、ファル。本当に助かった。お陰でアストレア様に仰せつかった使命を果たせた」


「ジタロー様」


「ダンナ……」


 後で、ミューにもちゃんとお礼を言おう。


 思い返せば、今回はかなり危なかった。アストレア様の加護のお陰で単体なら大天使相手にも負けないだろうけど、勇者二人と連携の取れた騎士、四人の天使が一斉に俺に襲い掛かって来たなら成すすべもなく殺されていたかもしれない。


 ニケとファルとミューが頑張ってくれたから、勝てたのだ。


 王子を殺してしまったし、この街にはあんまり長居出来ないだろうけど、三人には美味しいご飯でもご馳走して労ってやりたい。


「とりあえず今は、4人が無事だったことを喜ぼうぜ」


「……そうね!」


「ああ!」


 欠損が全快したニケと、反動がなくなったファルが立ち上がりながら元気よく返事をする。


 俺も立ち上がる。


「あの……」


 後ろから、女の子の声が聞こえた。……勇者か。

 ニケが警戒を露わにする。


「……同胞だから。ミューのところへ行ってて良いぞ」


 ニケは少し驚いたように目を見開いてから、コクリと頷いてミューの方へ向かっていった。ファルもニケに着いて行く。


 振り返ると、仮面を外した女勇者が立っていた。

 その顔は、この世界に来る少し前に、ストーカー野郎に脅されていた少女のそれと同じだった。


「その、今回のことも、この前のこともそうですけど……。助けてくれて、ありがとうございました」


 少女はぺこりと深く頭を下げてくる。


「い、いや、良いよ。今回も、この前も、助けたのは完全に成り行きだったし」


 って言うか、ストーカー野郎に空き缶ぶつけた件に関してはただの事故だし。


「二回も助けられて、本当に命の恩人です! この御恩は必ず返します。その……私、この世界に召喚された時結構便利なスキル貰ったし、お役に立てると思います! それに、その私、おっぱいも結構大きいから、そっちの方のお礼も頑張れると思いますよ!」


「ブッ。おっ……え? あ、いや、えっと、その……恩返しとかそんな堅苦しいことは考えないで大丈夫だよ? 貰い物の力だし、それで恩を売るつもりもないし……。一応俺も君も同じ境遇の召喚者で日本人だから、安全な拠点とか見つけられるまではお互いに協力とか出来ると助かるな、とは思うけど……」


 いきなりおっぱいとか言われたから、びっくりしてしまう。


 この子、日本だと確か制服着てたよな? 高校生くらいだよな?

 流石に学生に手を出すわけないけど、うっかり下心とかが顔に出てキモくなったりしないように努めながら話を健全な方向に戻す。


「そう、ですね。……お兄さん、優しいってよく言われません?」


「ど、どうだろ?」


 最近は成り行きで言われること増えたけど。


「こんなよく解らない世界に召喚されて凄く不安だったけど、助けてくれたお兄さんが親切そうで私少し安心しちゃいました。えへへ。でも、親切な人だからこそ、恩はきっちり返させてもらいますよ!」


「え、いや、恩とかは気にしなくて良いって」


「そういうわけにはいきません!」

 

 手を突き出してきっぱりと断られてしまう。この頑固さ、ニケを彷彿とさせる。

 こういうタイプは、もう何を言っても聞かないだろう。


「ま、まあ、ほどほどにね。……そう言えば、名前、聞いてなかったね。俺は谷川 治太郎です」


「谷川さん。私は九十九つくも りん。友達からは九分九厘とか呼ばれてます」


「九分九厘。面白いね。よろしく、九十九さん」


「はい! よろしくお願いします、谷川さん」


 握手の手を差し出すと、両手で握り返してきた。

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