24話 エドワード事件 その1
エドワード王子の首が宙を舞う。
「『治す』!」
みんなの意識が首に向かう中、俺は勇者に手を伸ばし『治す』を飛ばす。
髪の短い勇者の方に『治す』が命中する。『絶対服従紋』はこれで解除されたはずだ。あともう一人――
「『治す』ッ!」
髪の長い勇者も『治す』ために伸ばした手は、今『治す』で解放したはずの男の勇者に振り下ろされた剣によって切断される。
「うがぁッ!」
手に激痛が走る。だが、俺の手は無傷だった。
女性の勇者に打った『治す』が、斬られた俺の手を即座に治したのだろう。
しかし、まさか攻撃されるとは思っていなかった。
だって、俺の見た目はどう見ても日本人。
召喚された勇者も恐らく俺と同じ境遇の日本人だから、絶対服従紋を解除さえしてしまえば仲間になってくれると勝手に思い込んでいた。
グシャリ、と音を立ててエドワード王子の首が地面に落ちる。
騎士たちが、唐突な主の死を現実として受け入れられないのか、唖然として固まっていた。
俺も、予想外の事態に思考が止まりそうになっている。
「アハハッ! やっぱり、貴方、あの時のリーマンですよね!」
絶対服従紋を解除したはずなのに、俺の手を斬ってきた勇者が耳障りな甲高い声を上げた。ねっとりとした粘着質な声。嫌いな声だ。
口ぶりからして、俺のことを知っている様子。……誰だ? こいつ。
警戒しながら、一歩下がる。
俺の手を斬った勇者は仮面をはずして、顔を露わにした。
「僕ですよ、僕。あの時貴方を刺した、僕ですよ!」
忘れもしない。そうか。こいつもこの世界に召喚されていたのか……。
◇
それは、俺がこの世界に召喚される少し前のこと。
“派遣だから残業代はやらん。だけど仕事が終わってないなら終わらせて帰れ”と、理不尽なことを言われて結局3時間のサビ残をさせられる羽目になった帰り路。
「あの仕事量が労働時間内に終わると思ってるならマネジメントの才能なさすぎるだろ。死ね、クソが!」
男のくせにヒステリー持ち上司の、破綻しているサビ残強要理論を思い出してムシャクシャしているときに、ちょうど空き缶がポイ捨てされていたので、俺はそのまま怒りに任せて蹴り飛ばした。
人に当たるかもしれないのでするべきではないのだろうが、その時の俺は長時間労働の疲れも相まって判断力が著しく低下していた。
そして、蹴り飛ばした空き缶は運悪く人にぶつかってしまった。
パーカーの男だった。頭にコツン、と空き缶が。
「あっ、すみませ――」
「あぁッ!? 誰だよ、痛っいなぁ?」
そして更に運悪く、空き缶をぶつけたパーカーの男は抜き身の包丁を持っていた。
牛刀というのか、長く、殺傷力の高そうな包丁。
その鋭い刃は、高校生と思われる制服に身を包んだ女の子に向けられていた。
女の子は大粒の涙を浮かべており、俺に助けを求めるような目をしていた。……脅されている最中だったのか?
あり得ない状況に、思考が停止する。言葉が出ない。
道端に落ちていた空き缶を蹴っ飛ばしたら、偶々、パーカーを着ていた男にぶつかって、その男は包丁を持っていて、女子高生を脅している最中で――。
と、とりあえず警察呼ばないと!
警察。す、スマホ! スマホ、ポケットにない。あれ? あ、そうだ。鞄の中に入れたんだっけ?
「ねえ、お前、警察を呼ぶ気? おい! 待てっ、ああ、クソッ!」
パーカーの男が俺の方に走って向かってくるのと、俺が鞄の中にあるスマホを見つけ出したのはほぼ同タイミングだった。あった……! 110番しないと!
そう思った時には既に、男が目と鼻の先にいた。
「アハハハハハッ!」
グサリ、と包丁が俺のお腹に突き刺さる。
冷たいものがお腹の中に入ってくる。チクリと刺さる痛みは、痺れたように熱くて痒くて……。疲れた頭は、自分のお腹が包丁で刺されたという事実の理解を拒んでいた。
その時だった。
地面が、蒼白い召喚魔法陣に包まれたのは。
「いやぁっ、あぁぁっ」
「おい、待って!」
女の子が足を震えさせて、一歩二歩と後ずさる。俺を刺した男は、女の子の方へ走っていく。
お腹が激痛を感じる前に、身体が浮遊感に包まれた。
混濁して沈みゆく意識の中で、魂に何かが刻まれるのを感じた。
――職業『
――固有スキル『治す』を獲得しました。
偶然でも一人の少女の危機を救ったから『
命に関わる重篤な傷を負ったから、生きるために『治す』の力を手に入れた。
◇
「あの時の、パーカーの通り魔!」
「通り魔とは失礼ですね。アレは痴話喧嘩の最中だったんですよ。……僕と彼女の純愛に水を差すから、馬に蹴られたんです」
包丁向けて脅す痴話喧嘩? 純愛?
「なんだ、お前ストーカーだったんだな」
「ストーカー? 違います! 僕と彼女は愛し合ってるんだっ! ただ、彼女は本心を全然明かしてくれないから、素直になって貰おうと思っただけで!」
パーカーの男改め、ストーカー野郎はさっき『治す』を当て損なってしまった髪の長い女を指さしながらキモい熱弁を噛ましてくる。
ストーカーと言われたのがよっぽど腹に据えかねたのか、地団駄まで踏んでいた。
……じゃあ、あの髪の長い勇者はあの時脅されていた女の子か。
さっきまで茫然自失の様相だった騎士たちも、既に武器を抜いて構え始めている。
「貴様、よくも、よくもエドワード様を!」
「何者だ! 名を名乗れ!」
「いや、主の仇! 名乗る間もなく成敗してくれる!」
「勇者様、あの反逆者を共に!!」
騎士の一人が叫びながら、俺に突進してくる。俺は騎士の攻撃を銀の剣で受け流しながら、一歩下がって距離を取った。
主のエドワードを殺されて怒り狂っている騎士たちは、統率がかなり乱れていた。
「エドワード様! 嫌ぁぁぁぁああっ!」
「うわぁぁあ、反逆者が出たぞ!!」
「逃げろぉおお!!」
「勇者様ぁっ、早くそいつをやっつけてください!」
エドワード王子の演説を聞きに来ていた民衆も、ようやくエドワードの首が刎ね飛ばされた現実を理解し始めたのか、悲しみに泣き崩れる者、危険を感じ取り一目散に逃げ始める者、野次馬として勇者たちを応援する者たちが現れ始める。
状況が、一気に混沌化し始める。
こうなると、少女の勇者に掛けられた『絶対服従紋』を『治す』のが一気に難しくなった。……本当は、速攻で勇者二人の服従紋を治して片づけるつもりだったのに。
もし、先に『治す』を飛ばしたのが少女の勇者の方だったなら……。クソッ。
己の不運を嘆きたくなるが、それを今言ってもどうしようもない。別に、理想的な状況を作れなかったというだけで不利になっているわけではない。
俺には、アストレア様の加護がついている。
アストレア様、どうか俺に勇気をお与えください。
目を瞑り、祈ると、それに呼応するように剣と天秤と法服が光った。
本物のアストレア様が降臨した時ほどではないが、その神々しいオーラに騎士たちとストーカー野郎が怯む。
俺は、一歩前に踏み込んで一気にストーカー野郎の目前に肉薄した。
こいつは、法治国家の日本でも包丁を持ち出して、俺を刺した超危険人物だ。さっきも、俺の手を躊躇いもなく斬ってきた。
殺す気で行かないと、俺の方が殺されるかもしれない。それに、こいつは女の子を包丁で脅すような、クズのストーカー野郎だ。
同じ日本人で、召喚者だとしても……同情の余地は一切ない。
俺は躊躇なく、剣を振った。アストレア様の加護によって強化された理想的な一太刀は、間違いなくストーカー野郎の首筋を捉えていた。
ストーカー野郎はニヤリと嗤った。
次の瞬間、演説を聞きに来ていた民衆の一人の女性の首が宙を舞った。メイド服を着ている女性の首から噴水のように血が噴き出し、そのまま倒れる。
俺の剣での攻撃を正確に受けたはずのストーカー野郎は、全くの無傷だった。
「…………は?」
「アハハハッ。その戸惑った顔、最っ高! これ、僕の固有スキル『責任転嫁』の能力! 僕に与えられたダメージは、身代わりの子にぜーんぶ押し付けられるんだ!」
つまり、何だ? 今、首が刎ね飛ばされた女性は、俺がストーカー野郎に向けた攻撃の身代わりになって死んだってことか?
「あーあ、可哀想に。あの子ね、田舎からこの街に出て来て、貧しい暮らしをしている両親や姉妹に仕送りをするためにメイドをしていたんだよ! それなのに、お前が殺しちゃったんだ! なんの罪もない女の子を! サイテー! アハハハっ」
ストーカー野郎が、耳障りな甲高い声で煽ってくる。
頭が真っ白になる。……そ、そう言えば、どっかで首を切り離されても2分くらいは人間は生きているみたいな話を聞いたことがある。
俺の『治す』は、死んだ人間は生き返らせられないけど、でも今ならまだ間に合うかもしれない。
首が飛んだ女性に意識が向いたところで、胸にチクリとした痛みが刺さる。
ストーカー野郎が、剣を俺の胸に突き刺していた。だけど、頑丈な法服によって完全に阻まれていた。
「なにこの服、信じられないくらい堅いんだけど……」
「うおおおお! 勇者様に続け!」
「うおおお、エドワード様の仇!」
騎士たちが、俺に襲い掛かってくる。
クソッ。襲われているのを一々対処している間に、あの女性が本当に死んでしまう! こいつらは、罪のない女性がストーカー野郎の能力のせいで死んでるってのに罪悪感とか湧かないのか?
クソッ!
「ドラゴン、ストライクッ!」
剣を振り、対応しようとしたその瞬間、俺の方へ襲い掛かって来ていた騎士たちがボウリングのピンみたいに飛ばされる。
「ダンナ、オレたちもいるぜ!」
既に装備に着替え終えたファルが、笑顔で親指を立てた。そうだ。俺には仲間がいる。
「『治す』ッ!」
ファルが作り出してくれた隙を突いて、首が飛ばされた女性を治した。
傷は完全に塞がったが、今は、脈や呼吸を測って生存を確認する暇がない。女性を転がしたまま、すぐに振り向いて剣を構える。
奥の方では、ニケが既に着替え終えていて、ミューも黒いコートを羽織っている最中だった。準備は整っている様子だ。
しかし、困ったな。
あのストーカー野郎を攻撃すると、罪のない人が死んでしまう。
アストレア様の許しのお陰もあって世界の法を犯した者や悪人を殺すことに躊躇はないんだけど、罪のない一般人となると話が違う。
ストーカー野郎の能力だから、俺の攻撃で関係ない人が死んだとしても殺したのは俺ではなくストーカー野郎ではあるんだけど、それでも罪のない人を人質に取られているような状況だ。
安易に手を出しづらい。
「ファル、ミュー、ニケ! 男の勇者には手を出すな! 俺がやる!」
俺の指示に、三人は頷いてくれた。しかし、どうしたものか……。
――ジタローよ。『裁量の天秤』を使え。さすれば『転嫁』の因果ごと敵の命を絶ち切れるだろう。
なるほど、それで解決するんですね! ありがとうございます、アストレア様!
「『裁量の天秤』」
金の天秤を前に突き出すと、ガタン、と天秤は右に大きく傾いた。
「判決を言い渡す。――お前は死刑。斬首の罰を与える」
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