10話 エルリンの町

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「ゲースゲスゲスッ! ここゲス! ここに私を殴った凶暴な男が潜んでるはずゲス! 拘束して処刑するゲス!」


 外から、ファリウスのゲスな声が響いた。

 一瞬で現れたニケに知覚できないほどの速度で殴られたから、ニケではなく俺に殴られたのだと勘違いしているらしかった。


 俺は足音を立てないようにしながら入り口の陰に身を隠し、こっそりと外の様子を伺う。


 外には、皮の鎧を着て槍を持った兵士のような男が5人いた。

 その少し後ろには、歯が何本か折れ、鼻がつぶれてしまっているファリウスが顔から血を流しながら何やら叫んでいた。早く突入しろ! と言っている。


 ヤバいな。


「面倒なことになったわね。……死なないように少し手加減したけど、手加減し過ぎたわ」


 ニケが冗談なのか本気なのか、手をグーパーさせながら呟く。


 ……このまま突入されたら厄介だな。

 ダマカスを一刀で殺したあの剣なら勝てないことはないだろうけど、あの兵士たちは悪党ではないだろうし、出来ることなら殺したくない。


「突入しようとは考えるな! 今、俺たちはダマカスを人質に取っている! こいつの命が惜しければ大人しくしていろ!」


「ぐぬぬ! 卑怯ゲス、人質を取るなんて!」


 俺の咄嗟の嘘にファリウスは歯噛みをして、兵士たちはこちらに槍を向けながら慎重に様子を伺っていた。


「とりあえず、時間は稼いだ。……でも、これからどうする?」


「この転移スクロールを使ってこの場を脱出しましょう!」


 ニケは言いながら、既に転移スクロールを開いて魔力を込め始めていた。


 まあ、確かに、この場を穏便に切り抜ける方法はそれしかないか。

 折角取った宿に帰れないのはちょっともったいない気がするけど、ニケがファリウスを殴ってしまってる以上、どの道あのゲス野郎がオーナーの宿には戻れないだろうし仕方がない。


「ジタロー、もう準備は出来たわ! 転移の行き先は3つほど選択肢があるけど、どうする?」


 ニケが尋ねてくるけど、生憎、この世界に来たばかりの俺に聞かれても解らない。


「ニケに任せる!」


「……解ったわ。“エルリンの町へ”『テレポート』」


 身体が浮遊感に包まれる。

 俺とニケと、ニケが背負っているミュー、それから床で転がって爆睡しているドラゴン娘を取り囲むようにして、幾何学模様の魔法陣が光った。


 次の瞬間には、景色が移り変わっていた。


 空は、月が高く上り夜のとばりが降り切った夜。


 さっきまで魔法具店の室内にいたはずの俺たちは、小さな町の前に立っていた。


 周囲に浅い堀が掘られ、丸太を等間隔に突き立てたものを互い互いに紐で縛ってつなげただけみたいな簡素な柵に囲まれたそれは、町というよりも村っぽかった。


 看板にはこの世界の文字で『エルリンの町』と書かれていた。


 入り口では、鍋のフタみたいな兜をかぶり槍を抱き枕のようにしている兵士がいびきをかいて寝ていた。


 手元には、空になった酒瓶が置いてある。


 俺は気持ちよさそうに寝ているドラゴン娘を抱え上げて、背負った。

 ……重いな。魔道具が追加されたことで更に重量を増したマジックポーチを持ちながら、女の子を一人運ぶのは、アストレア様の加護があっても難儀だった。


「ニケ、悪いけどこのポーチ預かってくれないか?」


 ポーチを渡すと、ニケは心底驚いたような顔をする。


「これ、凄く貴重なものなんでしょ? そんなの、私に渡して大丈夫なの?」


「あー、うん。これ、重くてさぁ。ニケの方が俺より力ありそうだったから持ってもらおうって思ったんだけど……」


 ニケは、暫く俺の顔を見てから、おずおずと言った感じでポーチを受け取った。


「これ、意外と重いわね」


「俺にとっては、意外とどころじゃなく重かったから、持ってくれて助かるよ。ありがとう、ニケ」


「……お礼を言うのは、私の方よ」


「ミューのことか? それに関しては、どういたしましてと返しておくぜ」


「……そのことだけじゃないわ。それへのお礼は、これからじっくりするつもり」


 こ、これからじっくり、とはどういう意味ですか?


 い、いや、ニケはどう見ても未成年だ。……いや、でも精霊人は長寿みたいなのは異世界ファンタジーのテンプレ。ニケは半分精霊人の血が混じってるらしいし、これだけ若く見えても実は100歳くらいとか全然ありえる。


 それならお礼を受け入れるのもやぶさかでは――いやいやいや、まだそうとは決まったわけではない。


 折角、ニケの信頼を少しずつ得られているような気がしているのに、下心が見え透いてしまえば一気にパーになりかねない。


「とりあえず、今夜泊まれる宿を探さないとだな。……そう言えばニケはこの町に来たことがあるんだろ?」


 転移スクロールは、近距離かつ術者が行ったことのある場所、って言ってたしな。


「ええ。亜人大粛清の前にだけどね……」


 亜人大粛清……。

 なんかファリウスも話していたけど、一体何があったのだろうか?


 物騒な名前から察するに、ニケやミュー、それからこのドラゴン娘が奴隷になった経緯と大きく関係がありそうだけど――。


 詳しく聞きたいが、それよりもまず、宿の確保が先決だ。


「その……悪かったわね」


「何が?」


「えっと……、私があの奴隷商人を殴ったから、こんな夜遅くに街を移動して、宿まで探す羽目になって……」


「ああ、まぁ……良いよ。ニケにも事情があったんだろ? それに、あの商人は下品でゲスな奴だったから、殴られて当然の奴だとは思うし」


「…………」


 そう答えると、ニケは何か言いたげに口をもごもごさせてから、思いつめたように下を向いた。


「その、あの宿じゃどの道4人で泊まるには狭すぎたしさ、却って丁度良かったよ。うん。もしニケが責任を感じてるなら、宿に案内してくれたらそれで良いからさ」


「……宿は、遅くまで空いているところに心当たりがあるわ」


 ニケはそう言って、眠っている兵士を跨いでから町の中に入っていく。


「……これ、そのまま入って大丈夫なのか?」


「大丈夫よ、多分。この町は、通行料とか取られないし」


「そ、そうなんだ」


 まあ、この世界の住民であるニケが言うならそうなのだろう。

 そこそこ大きな声で会話をしていたのに、未だにいびきをかいている兵士を俺も跨いでから、ニケに続いて街に入って行った。


 ニケに案内されて、町を歩くこと10分。


 街灯などはなく、外を出歩いている人も一人もいない。

 人が住む家から漏れ出た微かな灯りだけが、道を照らす光となっているような夜道を歩き続けるのは、色々な意味で不安だったけど、目的の宿に到着する。


 亜人大粛清とやらの後以降、亜人の立ち入りを禁止している宿が増えているとニケに教えられたので、ニケ達には外で待っててもらうことにした。


 俺だけ宿に入る。


 宿の中はまだ明るく、もう夜遅いから誰もいないかもと心配していたが、受付にはちゃんと人がいた。


「あの、夜分遅くにすみません。今からでも部屋を取ることは可能でしょうか?」


「ええ、可能ですよ。……冒険者の方ですか?」


「ああ、いえ。冒険者では、ないです」


 この世界では職業も身分も保証されてない俺だったから、はいそうですと詐称したい気持ちはあったけど、冒険者証的なのを求められたら詰むので正直に答える。


「……部屋は二部屋取りたいんですけど、空いていますか?」


「二部屋……ですか?」


「はい、その……亜人3人と、俺で」


「亜人、ですか?」


 受付の人の目は、明らかに俺のことを訝しんでいた。

 身分も怪しいし、亜人大粛清とやらが起こった後だというのに、亜人を三人も引き連れていると言う。……怪しすぎるな。うん。


「その、亜人は奴隷なんですけど……」


「奴隷。なるほど、そう言うことでしたら問題ありません」


 奴隷と答えただけで、受付の人は表情を柔和にする。

 とりあえず疑い? は晴れたみたいだ。


「それで、部屋はどうされますか? 奴隷用の安い宿舎もありますが」


「ああ、えっと……空いてたら隣の部屋が良いんですけど」


「なるほど、そう言うことですね。解りました」


 受付の人は、ニヤリと下世話な笑顔を浮かべた。


「料金は、夜も遅いですし少し割り増しにはなりますが、二部屋銀貨3枚で如何でしょうか?」


 割り増し……とか言われても、俺には宿の値段の相場なんて解らない。

 下手にごねて、泊まれなくなっても面倒だし、値段交渉はせずに大人しく銀貨三枚払う。受付の人が、ニヤリと狡猾な笑みを浮かべたことで結構高めに吹っ掛けられたことを察した。


 まあ、拾ったお金だし、別にいいけどね。


「では、鍵をお渡ししますね。あと、奴隷が器物を破損したり問題ごとを起こした場合その責任は主人である貴方に問われるので、そこはご注意ください。事前に『絶対服従紋』でしっかりと言い聞かせておくことをお勧めします」


「は、はい、解りました」


 受付の人にぺこりと頭を下げて、一度宿を出る。


「部屋、取れたよ」


「そう、良かった。それで、私たちの部屋はどこ?」


「俺の隣の部屋にした。だから、部屋まで一緒に行こうぜ」


「…………」


 そういうと、ニケは驚いたような顔をする。


「その、私たちの為に、態々一部屋分取ったの?」


「ん? ああ。まあ三人で一部屋だから、少し窮屈かもしれないが……」


「そう言うことじゃなくて! ……別に、私たちは、奴隷用の部屋で良かったのに。お金も掛かったんじゃないの?」


「お金に関しては心配しなくて良いぞ。このポーチに結構入ってるし」


 受付の人に少しぼったくられたっぽくても、全財産から比べれば雀の涙みたいな出費である。


「……ジタロー、そんな大金が入ったポーチを軽々しく私に預けたの?」


 ニケは呆れた顔をする。


 それから俺たちは、取った宿の部屋に入った。


 俺は宿に入ると、すぐにベッドの上に転がる。


 疲れてるような気がするけど、さっき思いっきり寝ていたから、眠くはない。目を開けたままぼんやりと天井を眺めていると、コンコンと部屋のドアがノックされた。


 ドアを開けると、ニケが立っていた。


 そう言えば、ミューを助けたお礼をあとでじっくりするとか言ってたけど……。


 夜、一人で男の泊まる部屋に来たってのはつまり、そういうことですか!?

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