09話 一般聖人男性

 黒いローブの男の首がころりと落ちる。

 小難しそうな顔で目を瞑っているその顔は、きっと不気味な呪文を唱え続けていたままのそれで、斬られた首から噴水のように血を噴き出しながらも胴体は立ったままだった。


 まるで、斬られたことに気づいていないみたいに。


 今の動きは何だろうか?


 平和な日本で生きていた俺にとって初めての人殺しだったはずなのに、恐怖みたいなのはなかったし、今も罪悪感が一切ない。


 剣だって素人なのに、綺麗に切り落とせてしまった。

 首には硬い骨があって、処刑の時も普通は一刀で首を斬り落とせない……みたいなことが最近読んだ漫画に描かれていたのに。


 ……きっとこれが、アストレア様のご加護ってやつなのだろう。


 どの道あの黒いローブの男は倒さないといけなかっただろうし、素の俺じゃあの異様な光景に気圧されてまともに動くことすらできなかっただろうから正直助かった。


 アストレア様、神託で地下室の場所を教えてくれた上に戦う勇気までくれてありがとうございます。


 聞こえているかは解らないけど、内心で軽く祈りを捧げてから転がっている三人の子たちを見る。


 手遅れになる前に、早く治さないと……。


「『治す』ッ!『治す』ッ!」


 とりあえず、ニケの妹と思われる黒い猫耳の少女と赤い鱗のドラゴン人間みたいな少女に右手と左手で『治す』を掛ける。


 首と胴体を切り離されてしまっているエルフ耳の少年は、きっともう助からないだろうから、助けられる可能性が高いこの二人の方を優先する。


 両手から緑色の光が発せられる。

 二人同時掛けは試したことなかったから少々不安だったけど、出来るっぽい。


 黒猫少女の切断された四肢と内臓の傷口が、赤いドラゴン娘の切断された足の傷口がブクブクと赤い泡を立て始める。


 相変わらずグロい光景だけど、二度目だからか、今回は見てられそうだった。


 黒いローブの男を倒したとは言え何があるか解らないし、なるべく視界は閉じたくない。


「ど、どうなったの……?」


 階段を降りてきたニケが恐る恐ると言った様子で、この部屋を覗き見る。


「ミュー!」


 ニケは黒い毛並みの猫耳少女に駆け寄る。……やっぱり、この子がミューなのね。


「触らないで! 何があるか解んないから」


 少し大きな声を出してしまう。ミューに触れようとしていたニケがビクッとしながら手を止めた。


「ご、ごめんなさっ……」


「大丈夫。もうすぐ治るはずだから。そのあと、思う存分抱きしめてやれ」


「…………」


 ニケは、俺のことをジッと見る。

 それから、ミューをみた。肩口まで欠損していた両腕は既に肘部分まで再生されている。太ももまで失われていた両脚は脛まで回復している。


 腹に開けられた傷は綺麗に治り、飛び出していた臓物は引っ込んでいた。


「……欠損が、治っている」


 ニケは、ポツリと驚いたように声を漏らす。それから自分の両手を見た。


「ねえ、ジタロー。今までミューを助けなきゃって必死で、気が動転してて、気付けなかったけど……。私の手足も、ジタローが治してくれたの?」


「まあ、そうだな」


 答えると、ニケはその場にへたりと座りこんでしまう。


「……………………………」


 ニケは床に両手を着いて、傷が治っていくミューの顔を覗き込んでいた。

 ポタポタと、ミューの頬に雫が落ちる。


「私……それなのに、私……。ジタローに刃を向けて脅して……。ジタローはずっと私に協力してくれていたのに。今もこうして、ミューを、助けてくれているのに」


 声が震えていた。泣いているのが解った。


 ど、どうしよう。泣かせるつもりはなかったのに。

 女の子に泣かれた時、どうすれば良いかなんて解らなくて困ってしまう。


「い、いや、気にしなくて良いぞ。ニケのことは、見た時から治すつもりでいたし」


 そもそもこの『治す』は召喚した時に、貰った力だ。しかも使ってデメリットがあるタイプのスキルでもない。


 だから治したことを恩に着せるつもりはない。


「それに、ニケがああして必死にミューを助けたいって動いてなかったら、手遅れになってたかもしれないだろ? 凄く重傷だったし」


 ミューは四肢を失っていた上に、腹も切られ臓物が出ていたほどの重傷だった。


 数分の遅れが手遅れになっていたかもしれない。剣を突き立てて脅されてなかったら、意思の弱い俺は二度寝して「朝になったらで良くない?」とか言っていた可能性だって否めないし、結果的にこれで良かったと思う。


 ニケはあたふたと答える俺を見て、涙を手で拭きながら可笑しそうに頬を緩めた。


「なんか、ジタローって聖人様みたい」


「いやいや、そんなことないから!」


 聖人とか流石に身が重すぎる。


 俺なんて、裸で看板を持たされて立たされている猫耳少女の痴態に目を惹かれてひょろっと奴隷を買いたくなるような、ごくごく普通の一般男性だ。


 『せいじん』と言うなら成人こっちの方がまだ合っているだろう。


「……ねえ、さま……?」


「ミュー!!」


 ミューが薄っすらと目を開ける。色々と考え込んでいる間に、ミューと隣のドラゴン娘の傷は完治していた。


「姉様……」


 ニケはミューを思いっきり抱きしめる。ミューはたどたどしい動きで、ニケの背中に手を回した。


 それからミューは、再び目を瞑って、すぅと寝息を立て始めた。


「……治った後、凄く眠くなるのよね」


 完治したドラゴン娘の方も、すやすやと寝息を立てている。


「『治す』ッ!」


 首と胴体が離れたエルフ耳の少年の首を胴体に手で接着させてから、『治す』を発動させる。


 あっという間に首の傷口が治り、綺麗な身体に戻る。


 だけど、息を吹き返さない。手首の血管に触れてみる。……脈はない。胸に耳を当ててみた。……鼓動を感じない。


「……その子はもう、死んでるわ」


 ニケが目を伏せながら、言った。

 そうだよな。……正直、何となく察しはついていた。死んだ人間は『治す』では生き返らないってことは。


 死者を生き返らせるなんて真似、どう考えても世界の理に反している。


 それが出来てしまったら、それこそ本当に俺がアストレア様に裁かれることになるだろう。


 この少年も、首と胴体が離れた死体のままより、五体満足の綺麗な死体になった方が嬉しかったんじゃないだろうか?

 そう思いたいのは、俺のエゴだろうか……?


「とりあえず、ここに用はないし、上がるか」


「そうね……」


 俺は、転がっているドラゴン娘の元へ行く。


 近づいてみると、ドラゴン娘は色々と大きかった。

 身長も、俺と同じくらいか……何なら俺より大きそうだし、奴隷服がパツパツにはじけそうなほどたわわなお胸も――。


 ミューはニケの妹というだけあって、ニケより小さいし見た目も完全に子供だけどこの娘は、どう見たって成人女性だった。


 ムフフ。俺は未成年には絶対に手を出さないくらいの倫理観はあるけど、成人女性相手なら、治した恩返しとかでそう言うことも……。


 い、いやいや、それは流石に下種過ぎるな。


 治したことを恩に着せるつもりはないってニケに言ったばかりじゃないか。


 『治す』は貰い物の力だ。治したことが仲良くなるきっかけにするくらいならまだしも、治したことを恩に着せてそういう行為を迫ることはしたくない。


 お天道様ならぬアストレア様が見ている。悪いことは出来ない。


 ただ、ちゃんとこの娘と仲良くなって、同意の上であれば問題ないはずだ。


 俺は、ドラゴン娘の頬をぺちぺちと叩く。


「むにゃむにゃ」


 ドラゴン娘は気持ちよさそうに眠っていた。これは簡単に起きる気がしない。

 ……抱えて上がるしかないよな。


「重っ!」


 ドラゴン娘をお姫様抱っこの形で抱え上げた。凄く重い。

 俺の身長ほどある体格に加えて、お尻から生えているワニのような太い尻尾。重いはずだ……。体感70kgはある。


 だけど何とか持ち上がった。


 普段の俺なら、絶対持ち上がらなかった。

 そう言えばニケの後を着いて走った時も、速く走れたな。身体の調子が良い。これもアストレア様のご加護なのだろう。


 持ち上げたドラゴン娘の大きな胸が、俺の胸板でむにゅっと圧し潰される。


 ドラゴン娘の重い体重そのままに胸を押し付けられているので、その柔らかさがよりダイレクトに伝わってくる。


 あああ、ありがとうございます! これも、アストレア様の加護ですか!?


 俺は、幸福な感触に感謝しながら階段を上って行った。


 一階に上がると、ニケはミューを背負いながら魔法具店内の商品を物色していた。よく見ると、一階の中央にいくつか魔法具と思わしきものが集められている。


「ニケ、何をしてるの?」


「使えそうな魔道具を持っていこうと思って探してたの」


「なるほど……」


 それって窃盗じゃ……と思ったけど、ここで俺はアストレア様の教えを思い出していた。


 悪党から物を取るのは盗み、ではなく没収。

 使徒である俺の行動の全ては、女神アストレア様の名の下に許される。


「何か、使えそうなものはあったか?」


「そうね。例えばこれとか、中々よ」


 そう言ってニケは、集めていたものの中から巻物のようなものを取り出す。


「それ、なんだ?」


「転移スクロール」


「転移スクロール?」


 ゲームとかだと、キメラのつばさ的な役割として登場するテレポートアイテムのイメージがあるけど……。


「まあこれは、そんな高価なものじゃなくて、近距離かつ使用者が行ったことのある街にしか行けないものみたいだけど……それでも、馬車で半日かかる距離を一瞬で移動できるからとても便利なものよ。本来なら値は張るけど、これは無料だし」


「それはとても良いな」


 機嫌良さそうにスクロールを見せびらかしてくるニケに、俺は頷いた。


 この魔法具店の店主、ダマカスは人間でありながら魔物に成り下がる儀式をしていた悪党だ。悪党から物を奪うのは盗みではなく、正義の徴収である……みたいなことをアストレア様も言っていた。


「ゲースゲスゲスッ! ここゲス! ここに私を殴った凶暴な男が潜んでるはずゲス! 拘束して処刑するゲス!」


 ニケが厳選した魔道具をマジックポーチに詰めていると、外から声が響いた。


 ニケに殴られたファリウスが、憲兵なりを呼んできたのだろう。

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