08話 女神アストレアの使徒
ダマカス魔法具店の入り口のドアは、当然のように鍵が掛かっていた。
「ジタロー、ちょっと下がってて」
ニケはそう言って、鞘からショートソードを抜いた。
俺は言われた通り二歩ほど下がる。ニケは鞭のようなしなやかな動きで身体を回しドアを斬りつけた。
ニケがドアを蹴とばすと、4つに切り分けられたドアが崩れる。
「開いたわ」
開けたというか、斬った、というか……。
堂々と足を踏み入れていくニケに続いて、俺もダマカス魔法具店内に入った。
店内はびっくりするほど静かだった。ニケと俺以外に人の気配がない。
レジの奥に、二階に続いてそうな階段が見える。……他に通路は見当たらないし、とりあえず上がってみたいことには始まらないか?
ニケは、床に臥せるようにして耳を当て、コンコンと床を叩いていた。
「……やっぱり、地下室がありそう」
ニケの言葉に、俺はレジ奥の階段を見てみるけど、やはり上に繋がる階段しか見当たらない。
「さっきドアにしたみたいに床を壊してみる?」
「それは出来ない。崩れた床が、ミューを圧し潰すかもしれないから……」
「確かに」
しかし、そうは言われても他に階層を移動できそうな場所は見当たらない。
……とりあえず、二階に上がってみるか。
「ちょ、ちょっと!!」
階段を上ってみる俺の後をニケが着いてくる。
二階には、ゴミ捨て場と本棚を足して二で割ったような空間が広がっていた。
床に落ちているのは、魔道具か? 本も散らかっている。それから、なんか動物みたいな生臭さもある。
「おえっ……『治す』」
部屋そのものに『治す』を掛けてみるが、散らかった部屋が片付くようなことはない。……片づけるのは、直すであって『治す』ではないからな。
「あんまり勝手な行動はしないで」
ニケはショートソードの柄に手を掛けながら言ってくる。
「ごめん。二階に上がれば何か手掛かりがあるって思ったんだけど……」
この散らかり具合だ。手掛かりはあるかもしれないけど、探すのは骨が折れる。
アストレア様のご加護で、何かヒントとか貰えないかな?
……お願いします、慈悲深き女神アストレア様。ニケの妹、ミューの居場所を教えてください。
両手を結んで祈りを捧げてみるけど、特に何も起こらなかった。
う~ん。
「これじゃあ埒が明かないわね。ミューは今この瞬間にも酷い目にあってるかもしれないのに……。一か八か床を壊す手も……」
「『裁量の天秤』」
俺は、左手を前に突き出して天秤を呼び出してみる。
現れたのは銅色の天秤。……女神様が使っていたのは金色だったから、2段階くらい格落ちしているのだろう。
絶対に、使い方は間違っているだろうけど、ダウジング代わりに使えないだろうかと取り出してみた。
初めての使い道がこんなわけ解らん感じで良いのだろうか?
微妙な気持ちになりながら、ギコギコと左右に揺れる天秤を眺める。
いや、やっぱ何も起こらないよな。何か自分が馬鹿みたいで恥ずかしくなって天秤を仕舞おうと思ったその瞬間、天秤はガコンッと大きく右に傾いた。
「……!?」
「な、なにをしているの? 勝手な行動はしないでって言ってるでしょ」
ニケは鞘からショートソードを抜いて、警戒したように俺から距離を取る。手が震えていた。ニケは怯えるように天秤を見ていた。
――ジタロー。我が使徒ジタローよ、聞こえていますか?
脳内に、背筋が伸びるような威厳のある綺麗な声が響いた。
……この声は、アストレア様ですか?
――神託を授けよう。その階段を降りた先の壁を破壊すれば、地下に繋がる階段がある。地下には、世界の理から外れ、魔物に成り下がろうとしている愚かな魔術師がいるので、断罪の剣で持って、ジタローが我の代理人として然るべき罰を与えなさい。
そこの、階段の壁を破壊すれば良いんですね!?
聞き返してみても返事はない。だけど、今のはアストレア様の声だ。
気が付いたら、俺の右手には銀色の剣が握られていた。……アストレア様の剣も銀色だったけど、俺が持つと少し光がくすんで見える。
これは夜だからなのか、それともやはり質が下がっているのか。
「か、勝手にゃ行動はするにゃって言ってるでしょ!」
階段にいたニケがガタガタと手を震えさせながら、ショートソードを向けている。
動揺し過ぎて、言葉も噛み噛みだった。にゃってなってるの、可愛いって言ったら逆上させてしまうだろうか?
いや、今はそんな場合じゃないか。
「ニケ、神託が下った。そこの壁を破壊すれば地下に行けるらしい」
「はぁ? し、神託? って、言うか、その剣どこから出したの? じ、ジタローってにゃにもの?」
「剣は……なんか勝手に出てた。俺が何者なのかは、後でじっくり自己紹介するよ」
階段を下りていく。ニケは毛を逆立たせ、一歩一歩と俺が降りる度にニケも降りて下がっていく。
別に俺はニケを傷つけるつもりはないし、そんな怯えないで欲しいんだけど……。
っていうか、この剣と天秤。ニケがそんなに怯えるほど、凄いものなのだろうか?
アストレア様の本物を見た後だからどうにも型落ち感が否めないし、自分で使っているからなのか、特段凄い雰囲気を感じ取れない。
ニケは上位種族らしいから、俺には見えないものが見えているのかもしれない。
アストレア様に言われた通りに、壁に銀の剣を振り下ろす。
豆腐みたいに、すんなりと刃が通った。……思ったより、柔らかい? これ、普通に暖簾みたいになってるんじゃね? そう思って軽く蹴ってみたけど、普通に重いし堅いしでピクリとも動かなかった。
俺は、壁の枠に沿うようにして銀の剣で切り込みを入れていく。
物凄い切れ味だった。壁が、バターに熱したナイフを当てたみたいに切れていく。
楽しくて何度も切っていると、ボロボロと壁が崩れ落ち、本当に階段が出現した。
「ほらね?」
ずっと怯えっぱなしのニケの緊張を解そうと、微笑みかけながら出現した階段を指さしてみると、ニケは青い顔でコクコクコクと頷いた。
この剣出してから、怯えられっぱなしだ。
ズブの素人の俺でも堅い壁をサクサク斬れる凄い剣だったからなぁ。
さっきまで刃を向けて脅してた相手が急にこんな強い武器を持ち始めたら怯えるのも無理はないか。別に俺は、妹を助けたくて必死だったニケが刃を向けてきたことくらいで怒ったりしないし、この剣で傷つける予定もないんだけど……。
それは、これからミューを助けて信頼を勝ち取っていくことで、俺はニケの味方であると示していくほかないか。
俺が階段を降り始めると、四歩くらい離れた距離からニケも着いてきた。
俺はあまりニケの方に視線を向け過ぎないようにして、下に降りていく。
階段を下りる度に、血と臓物が混じったような悪臭が強くなっていく。
「うっ……」
ニケは苦しそうに鼻を抑えた。怯えているのとは別の意味で青い顔をしている。
ラノベだと、獣人系の種族は人間より鼻が効く設定なことが多い。俺にとってもかなり酷い臭いだ。ニケにとっては想像を絶する悪臭なのかもしれない。
「ニケ、あんまり苦しいなら上で待っていて良いぞ」
「……私の妹がいるかもしれないの。待ってるなんて、出来ない。それより、ジタローはどうしてそんなに平然としていられるの? こんなにキツい瘴気の中で」
「しょうき?」
聞き返すと、ニケは信じられないといった顔をする。
……しょうきって何だ? 悪臭と、地下室ゆえの空気が詰まった感は感じるけど、我慢できないほどではない。
全ての階段を下りきると、木のドアがある。
当然鍵が閉められていたので、断罪の剣で一刀両断してこじ開ける。
斬られた扉が崩れ落ちるように倒れると、部屋の中が見えるようになる。
流れる赤い血で描かれた幾何学模様は、禍々しく発光しており、部屋を照らす光の色は紫だった。
幾何学模様の上には、三人が転がされていた。
一人は、首と胴体を離され、切断口から血を流している金髪でエルフ耳の男の子。
もう一人は、両脚が切断され切られた太ももから大量に血を流している、赤い鱗と金色の角が生えた竜の特徴を持つ女の子。
そしてもう一人は、両手両脚が失く、切られた腹から血が流れ臓物も少しはみ出してしまっている、黒い毛並みの猫耳の女の子。
その中央には、王城で見たような黒いローブに身を包んだ男が立っていて、理解不能の呪文のような言語を唱え続けていた。
中央の男は、俺の存在に気づいていないのか、俺に背を向けたまま不気味な呪文を唱え続けている。
俺は異様な光景に身が竦み、立ち尽くしていた。
「な、なにが、あったのよ。そこで止まって」
ニケが震える声で、呼びかけてくる。
……そうだ。俺は、ニケの妹を――ミューを助けないといけない。
あそこに転がっている黒い毛並みの猫耳の女の子がきっとそうだろう。
臓物が少し出てて、血もかなり流れているようだけど、小さく苦しそうに呻き声を上げている。……生きている。なら『治す』が通用するかもしれない。
それに、あの赤い鱗の――ドラゴンみたいな女の子も、かなり血を流している様子だけど助けられるかもしれない。
首と胴体を離されたエルフの少年は……流石にもう手遅れかもしれないけど。
今行けば、助けられるかもしれない命が目の前にある。
異様な光景に呑まれている場合ではない。俺は意を決して部屋に一歩足を踏み入れる。その瞬間、銀色だった剣は強い光を放った。
身体が軽くなる。
「判決を言い渡す。お前は、世界の法を犯し、人の身でありながら魔物へ堕ちようとした罪で、死刑――だそうだ。アストレア様に代わって、斬首の罰を執行する」
自然と、口上が口をついて出る。身体が勝手に動き出す。
操られているわけではない。それは例えるなら、道路に飛び出した子供を庇おうとして車の前に飛び出したみたいな。
意図していなかったが、意思に反していない行動。
俺は剣なんて握ったことすらなかったのに、長年戦いに身を置いてきたような……自分でも惚れ惚れするほど洗練された動きで、黒いローブの男に一閃。
首を一刀両断に刎ね飛ばした――
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