■シーンⅣ 葬戯-Sougi-

「あと五秒」


 白い吐息と共に、レヴナントの口から死の宣告が吐き出される。

 ゲルダと同じエインセルであるロキはまだしも、レヴナントにとって氷の城塞は、命をじわじわと蝕む毒沼に等しい。瞬きの感覚が常より短くなるのも、そうでもしていないと、両目が凍り付いて動かなくなりそうだからだ。

 きっちり五秒後。ロキの口角が上がり、鎖付きの黒い大鎌が振り上げられた。


「わざわざ地獄に送るまでもねェ! ここがテメェの地獄だ! くたばりなァ!!」


 屍の上まで跳び上がり、大鎌を振り下ろす。死神が魂を狩るかの如き情け容赦ない刃の軌跡を、紅蓮の炎が追従して巻き上がる。ゲルダが屍を包んでいた氷を砕くのと同時に、巨大な肉塊全体を今度は炎が包み込んだ。

 あっという間に氷が支配する絶対零度の空間に熱波が満ちて、荒れ狂う炎は氷壁の薄い扉部分を突き抜けたかと思うと、逃げ惑う研究員たちを廊下ごと焼き尽くした。


『ヴォオオアアアアッ!!』


 歪んだ発声器官から音とも声ともつかない悲鳴が上がる。突き出た手足は真っ先に焼け落ち、表面が赤黒く爛れたかと思えば瞬時に消し炭と化した。

 絶対零度から一気に高温へと変化した環境に、レヴナントは僅かながらダメージを負っていた。冷え切った肺に熱波を吸い込んでしまい、身を屈めて咳き込んでいる。


「……今回ばかりは仕方ない。レヴナント、あたしの後ろにいな」


 ゲルダが庇うように前に立ち、二人の周囲に呼吸が確保出来る程度に適温を保った空間を作り出す。屍の肉がホールの床部分にまで侵蝕してしまっていた以上、三人が立つ足元も背後の壁も天井も全て綺麗に焼き尽くさなければならないが、薄い空気の膜を作る程度の余地はある。

 これまでの葬儀は、葬るべきものから遠く離れて見守っていた。間近でロキの炎を受ければ無事では済まないと理解しているからだ。今回は地下施設で片付けなければならなかった関係上、眼前で彼の炎を浴びる羽目になった。


「わかってはいたけど、アホかよ……」


 暴風の如き轟音を立てながら炎が吹き荒れる。視界は最早皆無に等しく、荒れ狂う炎の色しか目に映らない。炎を直視し続けていると眼球から溶けていきそうな気さえする。ゲルダの背後で、レヴナントが蹲ったまま荒く掠れた呼吸を繰り返している。屍を塵すら残さず消し去る炎の渦中にいるのだから、無理もない。

 暴力的な竜巻のように、非情な津波のように、炎が研究施設を焼き尽くしていく。

 清潔感のある白い廊下も、高そうな機材も、実験体と思しき肉片が入っていた強化硝子のカプセルも、紙の資料も、一切の区別なく、なにもかもを舐め尽くしていく。

 そして、無慈悲な炎は地上に作られた鍼灸院をも飲み込んで吹き荒れていた。

 地上では、やれ火災だ119番だと騒ぎになっているが、地下深くに居る三人――特に、この業炎を生み出している張本人には届くべくもなく。日常では滅多にお目にかかれない、特撮映画のような爆炎が噴き上がる様を、繁華街の人々は遠巻きに口を開けて見上げていた。


「――――火葬完了、っと」


 着地と同時に、ロキが軽やかに宣言する。

 炎が通り過ぎたあとには細胞の一片すら残っておらず、研究所だったこの場も焼け焦げた土壁が剥き出しになった地下洞窟のような有様となっていた。


「上で……騒ぎになっていそうだな……」


 咳き込みながら、唯一冷静だったレヴナントが呟く。その言葉で漸く地上も含めて焼き尽くしたことに気付いたロキが、慌てて繁華街全域を覆う絶対領域を張った。


「レヴナント、大丈夫か」

「ああ……助かった」


 ゲルダが手を差し伸べると、レヴナントはよろめきつつも立ち上がった。まだ多少ふらついてはいるものの、彼も葬儀屋の一員。暫く経てば平常に戻るだろう。


「地上に出たら埋葬を頼む」

「わかっている」


 屍がいた場所は奥まった横穴部分のため、まずは鍼灸院に通じていたところまで、嘗てはいかにも研究所らしい白い廊下だったところを歩いて戻ることになる。周囲は石と土が焼けて固まっており、見る影もない。

 ロキの炎は通路も個室も全て舐め尽くしており、近代的設備は灰を通り越して全て焼失してしまっている。もし炎から逃れようとホールを出て通路や個室に逃げ込んでいたなら、うねる炎に追い詰められていただろう。行き場もなく焼け死んだ、此処の研究員たちのように。

 地上に出ると、鍼灸院が爆発炎上した瞬間を目撃した野次馬たちが遠巻きに此方を向いた状態で静止していた。

 数えるほどしかいないとはいえ、ロキの絶対領域が解ければ再び騒ぎになることは目に見えているため、まずは埋葬を先に済ませることにした。


「……あれでいいか」


 軽く周囲を見渡して、電柱の傍に時間を守らずに出されていた不燃ゴミ入りの箱を見つけると、レヴナントはそれを今し方出てきた縦穴へと放り込んだ。お菓子の缶や乾電池、酒瓶の残骸などが地下の土や周囲の粒子を巻き込んで、うらぶれた鍼灸院が崩壊して出来た瓦礫へと姿を変えた。

 恐ろしいのは焼け崩れたものとわかる焦げ跡も再現されているところだ。これなら誰が見ても、地下のガス爆発によって倒壊した建物でしかない。


「埋葬完了」

「絶対領域を解く前に、隠を呼ぶか」


 椿が端末で隠の派遣を要請すると、神城から聞いて近くで待機していたのか数分も経たずに駆けつけた。


「ゲルダ様、今回は記憶処理のみで宜しいでしょうか」

「ああ、頼む。莫迦の炎がデカかったから、此処の野次馬だけじゃなく繁華街周辺にガス事故の情報を流してほしい」

「畏まりました」


 白狐面の男が恭しく敬礼すると、同様に黒狐の面頬を付けた部下たちが敬礼をして一斉に散っていった。


「皆様、あとは我々にお任せください」

「ああ、頼んだ」

「俺はクロムハートからデータを受け取ったあとで戻る」

「わかった。あとでな」

「んじゃ、俺らは先に戻って報告だけ済ませとくぜ」


 葬儀屋が去り、後処理を終えた隠も影のように消えたあと。

 野次馬たちはハッとして辺りを見回して、崩れ去った鍼灸院跡地を遠巻きにしては「凄い爆発だったな」「ガスボンベが古くなってたらしいぞ」「建物自体が古いから派手に崩れたんだろうな」と口々に噂していた。


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