終幕◆葬儀屋はハレの日を知らない
■シーンⅠ 喪執-Soushitsu-
変異種管理局NOISE対策本部長室にて。
椿と凌は、並んで神城宗司に報告をしていた。クロムハートの調査によれば、件の部署はどういうわけか屍の実用化を急いでいたようで、メインの研究部署は、どこか別にありそうだということだった。
今日や明日の勢いでまた同じような屍化事件が起きるわけではないが、屍の運用をシンヘイヴンが密やかに研究していることは念頭に置かなければならない。
また、誠一朗が持ち帰った情報は全て電脳症研究班生体化学部室長のテオドールに渡された。テオドールは、室長という立場でありながら、個人での研究を主に行っている研究者だ。愉快犯的な側面はあるものの日常の世界を侵すことを良しとしないという理念は、管理局の掲げるそれと一致している。その代わり、彼の古なじみである天童侑一郎がテオドールのお遊びの被害にあっているが、其処の諸々は天童に任せることにして。
ただ、屍に関するデータを渡したとき、彼がぽつりと口にした言葉が、神城は気になっていた。
『――――ああ、これかあ。少し急いだほうが良さそうだねえ』
その言葉の真意を問う前に、彼は研究室にこもってしまった。
何であれ、管理局は今後も気を抜かずにいつでも屍に対処出来るよう、構えていることくらいしか出来ない。後手に回りがちな仕事ながら、情報戦の如何によっては、今回のように被害を未然に防ぐことが出来ることがわかったのだ。そう悲観することばかりでもないだろう。
神城は報告書を纏めて綴じ、二人に向き直った。
「改めて今回はお疲れさまでした。暫くは向こうも大きく動くことはないでしょう。葬儀屋は解体せず、いつでも再開出来るように大規模テロ対策室として残し、普段は後詰めとして務めてもらいます」
「りょーかい」
「椿さんには変わらず、安置室の業務をお願いしますね」
「わかってる」
それぞれ神城に頷くと踵を返し、まずは凌が支部長室をあとにした。
続いて外に出ようとした椿は、ふと足を止めて神城を振り返った。
「聞きたいことがある」
「何でしょう」
椿は深い夜色をした神城の瞳を真っ直ぐに見据え、口を開いた。
「尾杜博士は何故、銀の靴なんてものを開発した?」
腹の探り合いなど面倒だと言わんばかりの直球に、神城は苦笑した。彼ほど立場のある人物ともなると外交的な探り合いが日常であるため、何年経っても瑞々しい椿の有り様は新鮮で清々しい気持ちにさえなる。
「彼は、既婚者でした。優しい妻と可愛い一人娘の、ありふれた家庭でした」
まるで、近しい親戚の話でもするかのような口調で、神城は語る。
尾杜博士は元々、何処にでもいる――と片付けるにはかなり才能に溢れていたが、少なくとも当時の彼は、サイバーテロリストなどではない、善良な科学者であった。電脳技術を医療に生かす研究をしており、深淵接続の開発にも深く携わっていた。
その理由は娘が生まれつき全身不随で、自由に外を歩くことが出来ない体だったがゆえ。最愛の娘に広い世界を見せたい。その願いが彼の原動力だった。
だが、あるとき彼の研究成果を狙った大規模国際犯罪組織に妻が狙われ、殺されてしまう。通話越しに聞こえてきた最愛の妻が放った最期の言葉は、娘を尾杜に託すという、哀しくも力強い母の言葉だった。
犯罪組織は、尾杜の技術が手に入らないなら妻の凄惨な死を突きつけて研究を頓挫させるつもりだったが、尾杜は却って研究に打ち込むようになる。
全ては愛する娘の、ドロシーのために。それは最早、妄執だった。
「ドロシー……銀の靴をばらまいてるっていう、電脳生命体の名前だな」
「ええ。彼女は尾杜博士の研究が完成すると同時に、完全に植物状態となりました。人形のように眠り続ける娘と繋がるために生み出されたのが、我々が深淵接続と呼ぶものです」
深淵接続はキーボードを操作する手も、視線カメラを操る眼球の動きもいらない。ただ脳さえ生きていれば、電脳世界を自在に歩き回ることが出来る技術である。
パスワードがかかった場所は鍵のついた扉に見え、一般ウェブサイトはアパートや一軒家に見える。サイト同士を繋ぐリンクは道になっていて、歩けば靴の音が鳴る。
VRチャットのように好きなアバターを身につけることも出来、ドロシーは尾杜が作った童話の少女を自身のアバターとした。病気で痩せ細り、人生でたったの一度も歩いたことがない枝のような脚ではない、健康的で綺麗な少女の足に、キラキラ輝く銀の靴を履いて。
ドロシーは現実世界の肉体が最早一年も生きられないことなど忘れて、電脳世界に浸っていた。尾杜に与えられたエメラルドの城のお姫様として優雅に楽しく暮らしていた。
だが三ヶ月後、ドロシーは静かに息を引き取った。完成したての深淵接続は肉体の負担が重く、元々弱っていたドロシーにとっては寿命を縮める原因でしかなかった。
尾杜は深く嘆き悲しみながらも、ドロシーの自我情報を元に、あるAIを作成していた。
そのAIこそが、いまもなお電脳世界を歩き回って銀の靴をばらまいている、電脳生命体のドロシーだ。
「電脳生命体のドロシーは、現実世界での記憶を持ちません。己をエメラルドの城で生まれ育ったお姫様だと認識しており、銀の靴はお友達の印として出会った人に配るものと思っています」
「とんでもない無自覚サイバーテロだな」
神城は否定も肯定もせず曖昧に微笑み、続ける。
「人は縁を失ったとき、現実に取り縋る楔を失います。尾杜博士にとっては妻と娘が唯一の楔だったのです。ゆえにいまの彼は、空虚な現実世界に愛したものを蘇らせることだけを願っているのです」
「それが、シンヘイヴンの理念に繋がったってことか」
神城は頷き、机の上で手を組み直した。シンヘイヴンは電脳世界を現実に接続して上書きし、エメラルドの城ごとドロシーを蘇らせようとしている。
全ては、なにも知らない哀れな少女のために。
尾杜博士ほどの激情を抱いたことはないが、椿にも覚えのあることだ。
人との縁を失ったとき、人は自分で思う以上の傷を負う。それが世界に踏み留まる力になることもあれば、膝をつく最後の一手となることもある。尾杜にとって、娘の喪失は、最後の一手でしかなかった。彼にはドロシーしかいなかったのだから。
これまでの任務でも、椿は結んできた絆を引き千切り、日常へ至る楔にしてきた。敵への憎悪や、なにも知らない日常の住人への憧憬を踏み越えて此処に立っている。全てを諦めきれるほど、人は強くは出来ていない。
そうするしかなかったとはいえ、椿は数多の楔を過去に置き去りにして心を冷たく凍てつかせ、ひとりで戦ってきた。葬儀屋に所属するまでは何処の支部にも属さず、ツーマンセル以上を原則とする出撃任務も単独で行ってきた。
モルグに生者は必要ないと言い聞かせて。
「あなたもどうか、日常への
椿の胸の内をも見透かしたかのような、穏やかな声音で神城は言う。
何処までも深い夜色の瞳が椿を真っ直ぐに見つめており、その目に射抜かれると、どうにも居心地が悪くなる。
「……善処する」
それだけ答えると、椿は今度こそ支部長室をあとにした。
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