■シーンⅢ 宣酷-Senkoku-

「……悪趣味な」


 蹴り開けた先は、予想通り高い天井と広い空間が確保されたホールだった。しかしその広さをもってしても賄いきれない圧迫感がある。

 原因は、部屋中央に鎮座する巨大な機械と、それに繋がれた歪な肉塊にあった。

 最早培養カプセルには収まりきらない天を衝くほどの巨体は、ぶよぶよとした体を脈動させて、心音と呼ぶのも悍ましい重低音を辺りに響かせている。表皮を持たない肉色の塊であるにも拘らず、所々に黒い人毛が覗いており、その根元を辿ると半端に肉に飲み込まれた歪な人の頭部らしき部位が見えた。左目から上だけが表に出ているその頭部は、一切自我を感じられない濁った瞳を忙しなく上下左右に動かしている。

 表面に見えているのは、頭部だけではない。趣のない生け花の如く手足が無造作に突き出ており、それらも表皮が溶けて糸を引き、肉塊へと繋がっている。肉塊が脈動する度にぎこちなく動く様子は下手な操り人形のようで、醜悪な屍の不気味さをより際立たせていた。


「ようこそ、我々の試験会場へ」


 肉塊の陰から、研究者の出で立ちをした男が現れた。その男は中学で椿をやたらと目の敵にしていた迷惑教師、大山哲だった。大山は無数のコードに繋がれた歪な塊を見上げ、そして侵入者である三人を見据えた。


「嘗て、変異種は進化過程であると考えた研究者がいた。私もそれには概ね同意していたのだが……しかし、NOISEが最終進化である説にはどうにも同意仕切れないものを感じていたのだ」


 恍惚の表情を浮かべて演説をするる大山の目に、三人の姿は正しく映っていない。学校内で、あれほど敵意を向けていた椿の存在にも気付いていない。


「銀の靴の有効利用? 変異種と人間の共存? なんとくだらない! 実に馬鹿げている!」


 両手を広げ、大山は高らかに、謳うように声を張り上げた。


「種とは争いの中にこそ生きるのだ! 勝者のみが生を許される!! 自然の摂理に逆らう脆弱な人間のあり方こそ、世界に対する裏切りなのだ!! NOISEは種の勝者! この新種こそ種の頂点! それが証拠に、愚かしくも貴様らが屍などと呼ぶ存在は全ての生命を凌駕し、街を、世界を飲み込む力を持っている!」


 興奮した様子で捲し立てる彼の目に正気の光は僅かも残っていない。NOISEの証は、高い変異係数反応のみに非ず。自己が断片化し、理性を失い、狂気に飲まれたあり方そのものにある。彼らは人の言葉を話しているように見えても、正しく会話をすることは出来ない。

 ひたすら一方的に理想を、願望を、執着を、我欲を、捲し立て、押しつけ、擦り、ばらまき、周囲を己の狂気で塗り潰す。


「いまでこそ異食症状の後押しを必要としているが、いずれは狂気などに囚われず、全ての変異種が優良種である屍の前にひれ伏すときが来る! 私の優れた研究はその礎となるのだ!」

「……クロムハートは」


 大仰な身振りで演説している陰で、ロキはレヴナントに小声で訊ねた。

 レヴナントはポケットの端末を一瞥すると体の陰で片手の指を二本立てて見せた。


「へえ」


 二分。

 それさえ稼げば、焼き尽くしても構わないという合図だ。


「現実逃避も大概にしろよ、オッサン」


 二人が密かにやりとりしている横で、ゲルダが挑発するように吐き捨てた。演説の最中も宙の果てに投げ出されていた大山の目が、狂気を宿したままふらりとゲルダを捕える。


「アンタらご自慢のクッソ汚い生ゴミは散々焼却処分されてきてんだろうが。なにが種の勝者だ、この万年敗北者が。雑魚の遠吠えなんざ、退屈ぎて欠伸も出ないな」


 冷静な人間ならば歯牙にもかけない、見え透いた挑発だ。しかし相手は、屍研究に魂を囚われたNOISE。己の全てともいえるそれを愚弄され、顔を真っ赤に染めて怒りに身を震わせた。


「貴様ッ! 変異種などという半端者の分際で、よくも……よくもこの俺に生意気な口が聞けたものだな!!」

「ハッ、脳みそプリンかよ。あんたはその半端者に負け越してる落伍者だっつってんだろ。クソの詰まったおつむじゃ理解出来ないだろうがな」

「黙れェエエエッ! ならばその脆弱な身で我らの力を思い知るがいい!!」


 大山が、喚きながら傍らのコンソールを操作すると、屍に取り付いていたコードがブチブチと音を立てて全て外れた。その瞬間、研究所中にけたたましく警告音が鳴り響き、機械音声で脱出を促す館内放送が流れ始めた。……が、ロキが唯一の脱出口であるエレベーターを潰してしまったせいで、背後から混乱の悲鳴が聞こえてくる。

 変異係数の高いヘルメス能力者でもいれば直せたかも知れないが。どうやら此処にいる研究者の大半は未覚醒者か、覚醒していても異能を使うよりも頭脳労働に長けた人材ばかりのようで、ぐずぐずに溶けたエレベーターを直すことは出来ないようだ。


「わざわざ出口を潰してくれるとはありがたい! 貴様らもここで糧となれ!」


 大山がナイフを振りかぶると、屍の表面に小さな切り傷が出来た。そして、傷口とコードの刺さっていた小さな穴が見る間に大きく裂けたかと思えば、三人にとっては聞き飽きた、獣のような咆哮を上げた。

 小さな円形の穴に過ぎなかった挿入口は、いまや人の口唇に似た器官となり、その中から肉色の触手が伸びている。先端だけ見れば人の舌も見える醜悪な触手が室内を暴れ狂ったと思えば、傍にいた大山を捕えて天井まで振り上げた。


「あっははははは!! さあ、喰らい尽くせ! この世のなにもかもを!!」


 宣言した言葉を理解しているのか、或いは、本能に従っただけか。触手はそのまま大山を巻き取って頭から食いつき、ぐちゃりという不快な音を一つ立てて飲み込んでしまった。

 餌を得て調子づいた触手が、三人の元へと飛んできた。異食の狂気を得て、侵蝕が始まる。


「させるか」


 レヴナントが土壁を出現させて食い止める。だが、土壁を引き剥がしてバリバリと音を立てて煎餅のように咀嚼し、吸収した。やはり。有機物無機物問わず食い尽くす屍に対応するには、細胞の一片も残さず焼き尽くすしかない。


「あと一分」

「おう、火葬は任せなァ!」


 レヴナントの呟きに、ロキが威勢良く答える。

 エレベーターの下降速度と秒数から計算して、現在の深度を割り出す。現在地から地上まで届くだけの炎を練り上げるには、十分過ぎる時間だ。

 あとはそのあいだ、穢らわしい肉塊に飲まれないよう耐えるのみ。


「だが、焼き尽くす前になんとか時間を稼いでもらわねェとなァ」

「だったら、あたしがあれを止める」


 肉塊は自らを繋いでいた機械をも飲み込み、床に侵蝕し始めている。口から伸びた触手が天井に張り付き、上からも侵蝕が始まった。ボコボコと泡立ちながら、天井が肉色の組織に変異していく。

 このまま黙って此処にいれば、大山と同じ末路を辿る羽目になるだろう。


「こんな化物、プロメッションなんて出来たもんじゃないな」


 暴れ狂う肉塊を見上げながら低く吐き捨てて、ゲルダが凍気を纏う。異能の動きに気付いた肉塊が、触手をゲルダに伸ばした。


「遅い」


 だが、真っ直ぐ向かってきた触手はゲルダの眼前で凍り付き、動きを止めた。氷は室内を走り、肉色の侵蝕部分を凍てつかせていく。ホール内が極寒の冷凍庫のようになると、氷は元凶である肉塊をも絶対零度の氷に閉じ込めた。

 時すらも凍り付くゲルダの氷に閉ざされた空間では、変異種といえども、無事では済まない。ロキとレヴナントの顔色も僅かに青白くなり、息をする度に喉や肺腑まで凍り付いていくような痛みが走る。


「女王の御前だ。ひれ伏せ生ゴミ」


 ゲルダの足元から御神渡の如く亀裂が走り、そこから更に分厚い氷塊が生まれて、ホールを覆っていく。

 広かった室内は一回りも二回りも狭くなり、生き生きとしたピンク色だった肉塊は血の気が失せて薄い青紫に変色している。屍と呼ばれていても、それは生命としての魂を持たない肉塊であるという所以。数多を侵蝕する異食症状の塊は、ある意味では生物の力強さを周囲に知らしめる存在だ。

 だが屍には、本能しかない。種として、ただ自己以外のものを喰らい、ひたすらの増殖を求めることしか出来ない。過ぎたる侵蝕は他者からの反発を生む。密かに生きることも、他を侵害せずに増えることも出来ないそれは、更なる脅威に見つかる危険性を他の種より多く孕むことになる。

 大山の言う、完全なる種の勝者として君臨することが出来なかった以上、待つのは滅びのみ。

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