■シーンⅢ 平怨-Heion-

 非日常の住人にも日常はある。

 世間を欺き、偽りの顔を使って、人間のふりをして過ごしている。

 二度と戻ることのない平穏だった世界を思いながら、生きている。



 白雪椿は、私立花園大学附属中学に通う中学生である。任務のないときには一般の生徒に交じって授業を受け、試験や行事をこなしている。強気の態度と荒めの口調が災いして一部のお堅い教師からやや反感を買ってはいるものの、概ね平和に過ごしていた。

 この学校では、定期考査における成績上位者は得点と共に名前が学期末まで廊下に張り出されることになっている。白雪椿の名は毎度必ず全教科上位三位以内に入っており、生徒らの注目を集めていた。だが当の本人は然程興味を示さず、教室の片隅で不機嫌そうに端末を眺めている。


「椿ちゃん、どうかしたの?」


 眉根を寄せて端末画面を見ていた椿が顔を上げると、目の前にいるはずのない人がいて、更に眉間の皺を深くさせた。


「……あんた、なんで中等部にいるんだよ」

「迷っちゃった」


 悪びれる素振りすら見せずに笑って言うこの少女は、名を梅屋敷彩陽といい、椿が通う私立花園大学附属中学の隣にある、附属高校に通っている変異種だ。梅屋敷家という優秀な医師や弁護士を多く輩出している家系の子だが、絵に描いたような秀才である二人の兄に比べて、彩陽はよく言うなら鬼才の持ち主だった。変異種としても、彼女にしかわからない感覚で戦うために、チームでの戦闘を不得手としている。


「さあや、がんばってお外出ようとおもったんだけどね、なんかね、出られないの。中学って迷路になってるの?」

「なんでだよ……」


 全身で脱力する椿の前で、彩陽は心底不思議そうにしている。以前、中学の敷地を彷徨いていたのを見咎めて声をかけたことがあり、そのときも迷ったと言っていた。


「ていうか、迷ってんのに、なんであたしんとこには普通に来るんだ」

「椿ちゃん、かき氷のにおいするからすぐわかるんだもん」


 彩陽は、《銀の靴》の『匂い』を嗅ぎ分ける感覚の持ち主だ。

 どう嗅ぎ分けているのかを彼女の独特の感性で解説されたことがあったが、椿には全く理解出来なかった。

 基本的に変異種は変異種同士、感覚で察知することが出来る。同じ室内に変異種がいることを何となく察する程度から、雑踏の中で何処の誰が変異種であるかを見抜くレベルまで、その精度は様々だ。

 当然ながら椿自身もその感覚は備わっており、彩陽の接近にも当然気付いていた。関わると面倒なので声をかけられるまで放置しようと思っていたのだが、その決意も虚しく即刻話しかけられてしまった。

 彩陽は、一度記憶した変異種の匂いならどれほど遠くにいても辿ることが出来る。

 その代わり、覚えた匂いのない場所へは何故か真っ直ぐ辿り着けないという地獄のような方向音痴であるため、こうして記憶した先がある中等部に迷い込むのが一つの日常となっていた。

 彩陽曰く、椿の《銀の靴》は、イチゴ味のかき氷に似た匂いがするらしい。白髪と赤い目を見たまま言ったのではと思ったが、そうではないという。良質な変異種ほどいい匂いがして、NOISEはだいたい腐ったような悪臭がするとも言っていた。


「はぁ……」


 溜息を吐いて端末をポケットにしまい、教室の外へと歩き出す。

 勝手知ったる、迷子の案内。椿がなにも言わずともあとをついてくる彩陽の気配を感じつつ廊下を進んで行くと、前方から学校内で最も会いたくない男性教師が歩いてきていることに気付き、椿は僅かに顔をしかめた。

 彩陽を引き連れ、目を合わせないようにしながら脇を通り抜けたときだった。


「白雪」


 名前を呼ばれ、数歩進んでから足を止めた。

 振り返れば、下卑た笑みで椿を見下ろしている男性教師と目が合った。


「今回も、全教科三位以内だったそうだな」

「はあ」


 だから何だと言わんばかりの態度に、男性教師は僅かに目を眇める。

 廊下を行き交っていた女子生徒たちは「また始まったよ」といった様子で遠巻きにやり取りを眺めていて、辺りからは、潜めた話し声も聞こえてくる。

 また、というだけあって、この教師に絡まれるのは今回が初めてではない。そして彼に理不尽な絡まれ方をするのは、どういうわけか椿だけなのだ。


「お前のような不良生徒が毎回上位に食い込んでいるなんて、皆が怪しんでいるぞ。試験監督に金か体でも払ってるんじゃないか、ってな」


 男性教師がにやりと嫌な笑みを浮かべて言うと、女子生徒が小さく「うわ……」と心底引いた声で囁いた。この女子生徒は男性教師の物言いに嫌悪感を示したのだが、発言した教師本人は椿が不正行為をしていることに拒絶反応を示したと思い、笑みを深めた。

 だが椿は僅かも傷ついた様子を見せず、寧ろ軽蔑の眼差しを向けて答える。


「今回の試験監督は学年主任と高梁先生でしたね。大山先生が先生方のことを、金や体を払えば便宜を図るような人間だと言っていたと伝えておきますね」

「なっ……! 誰がそんなことを!」


 大声で反論した大山という男性教師に、成り行きを周囲で見守っていた女子生徒のうち、派手な格好の二人組が「いま言ったじゃんね」「最低」と囁きあった。それを皮切りに、周りから軽蔑の視線と大山教諭に対する不満の言葉が上がり始める。


「あれが教師の言うことかよ……頭悪っ」

「自分が女子中学生の体を買いたいだけなんじゃね? キモすぎ」

「椿ってさあ、全国模試も上位だったじゃん。そっちも金で買ったとかいうわけ? ありえなくない?」


 自分の味方ばかりだと思い込んでいた大山は、顔を発火しそうなほどに赤く染めて周囲の女子たちに「黙れ!」と一喝すると、椿に向き直った。


「いまの反抗的な態度はしっかり報告させてもらうからな!」


 大声でそう言うと、周りに「退け!」と怒鳴り散らしながら大股で去って行った。

 結局彼は最後まで、迷い込んでいた高校の生徒には気付かないままだった。


「……なんなんだ、あれ」


 この大山教諭は、とある女性教師の産休と入れ違いで赴任してきた臨時の教師だ。赴任当初から妙に椿だけを目の敵にしてくる教師で、担任や学年主任にありもしない不良行為の報告を繰り返すことで、彼らの仕事を増やしては迷惑を振りまいていた。椿本人は全く彼の行動を意に介していない――面倒な類の馬鹿だとは思っているが、それだけだ――が、それがまた更に彼の反感を買うようで、時折いまのように無為な時間を取られるのだった。

 不良生徒が赦せないというのであれば、いくら進学校といえど実際に数人はいるというのに、其方には全く構わず椿ばかりを執拗に攻撃しているため、クラスメイトや先輩たちは概ね椿に同情的だった。

 溜息を吐いて歩き出そうとした椿の前に、廊下の隅で見守っていた女子生徒が進み出てきた。


「なんか、災難だったね……一応うちら、あとで先生にアイツが因縁付けただけって言っとくからさ」

「ああ、うん、ありがと。悪いけどあたし、コイツ送ってくから」

「梅屋敷先輩、また迷ってきたんだ? 大変だね」


 背後の彩陽を指差して言うと、彼女も顔見知りなためそれだけで察して頷き、道をあけた。椿たちが立ち去ってからも、主に派手な見目の女子生徒たちが大山の所業を悪し様に噂していた。

 最初は、椿の髪色と瞳の色についてだった。生まれつきだと言っても信じず、先の如く学年主任に告げ口をした。学年主任は、疑ってはいないが大山の気が済むならと診断書の提出を求め、椿はそれに応じた。だが、それを何故か侮辱だと捉えた彼は、事あるごとに椿に噛みついてはありもしない非を認めさせようと躍起になっているのだった。

 彼が赴任してきてまだ一週間ほどだというのに、嘘報告による被害回数は両手でも足りないほど嵩んでいる。


「悪かったな、変なとこ見せて」

「ううん、さあやはへいきー」


 校舎を出て暫く。

 授業開始の鐘が鳴って周囲から人の気配が消えたところで、いままで黙って着いてきていた彩陽が口を開いた。


「だって、さっきの先生NOISEだからさあ、おかしいのはしかたないよねえ」


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