■シーンⅣ 迷災-Meisai-

「は……? いま、何て言った?」


 あまりにも唐突に、天気の話でもするような気軽さでとんでもないことを言われ、椿はつい素っ頓狂な声をあげてしまった。彩陽は背後の校舎を振り返りながら、緩い口調で続ける。


「靴隠しなんてさあやには通じないって、知らなかったんだねえ」


 靴隠し。電脳ウィルスである《銀の靴》の深い侵蝕によって自己の断片化が進み、NOISEと化した者が社会に紛れるために使う小細工の一種だ。NOISEが持つ独特の雑音を隠す道具で、形状は様々。彩陽曰く、大山はタイピンとして身につけていたらしい。

 その技術を応用した異能抑制アクセサリを、椿も自身普段から――そして、いまもしっかり身につけているのだが、例の如く彩陽には通用していない。


「なんでNOISEが学校にいるのかはわかんないんだけど、学校のあっちこっちにマーキングしてるとこがあったから、なにかしようとしてるのかも」

「……まさかアンタ、それを言いに来たのか?」


 彩陽は首を横に振り、難しい顔をして唸る。


「んーん。迷ってるとちゅうで気付いた。でもねえ」


 再び歩き出し、彩陽は少しだけ表情を暗くさせて呟く。珍しく、言葉を選んでいるようだ。


「うわさだけどねー、シンヘイヴンの人たちは屍をNOISEのしんかだー! って言って、色んなところで実験してるんだって。いまはめちゃくちゃに暴走してるだけだけど、あれを自分のすきにあやつれたら、もっとつよくなれるかもーって」

「シンヘイヴンが?」

「うん。港市のだいばくはつじけんも、シンヘイヴンの実験だったってうわさなの。さあやはね、能天使のソルジャーだけどあんまり戦えないから、そういうおはなしをあつめてるんだー」

「アイツら、本当にろくなことしないな……」


 殆どがNOISEで構成されたシンヘイヴンという組織の人間は、異能をギフトと呼び、自らを選ばれた者だと称し、変異種の社会的解放を目指して活動しているテロ組織だ。彼らは《銀の靴》の元となっている電脳生命体の少女ドロシーを現実世界に顕現させ、神として祀ることを最終目的としている。

 いま現実世界が表向き平穏を保っていられるのは、ドロシーがウェブ上に作られた彼女のための小さな箱庭、《エメラルドの城》を現実だと誤認しているお陰であり、もしも彼女の世界が仮想現実であると察知されれば、その嘆きが世界を覆い尽くし、NOISEで溢れると言われている。

 そんな迷惑な理念を持った組織が、屍の研究をしている。それだけでろくなことにならないと、嫌でも理解してしまう。


「さあやも聞いた話だから、わかんないよ?」

「あんたの嗅覚で嗅ぎつけた噂なら、そこそこ信用出来るだろ」


 あくまで、一部の管理局員、特に前線に駆り出されるソルジャーが多く所属する、能天使部隊のあいだで流れている噂に過ぎないと付け足して。けれど先に起きた港市ショッピングモール爆発事件は、シンヘイヴンのとある部署に所属している構成員によって引き起こされたものだと判明している。


「そういやその部署の基地、こないだの調査隊が行った研究所だったか」

「だねえ。管理局にバレちゃったから、あのけんきゅーじょは捨てて、いまはちがうところで続きをやってるとおもうんだけど」


 調査の結果、特定したシンヘイヴンの研究施設の場所は、鶫支部が乗り込んだあの研究所であった。捜査に乗り込んだときには既に重要資料の大半が消えていたため、証拠といえるほどのものは確保出来ていない。だが、あの場で屍が発生したことと、NOISEの進化に関する研究を行っていたことは、現場に残された僅かな資料から判明している。


「それがもし、本当だとしたら……」

「次は学校だとおもうのー」


 椿は盛大に舌打ちをし、端末を取り出した。連絡先は、神城宗司。

 先日の事件を受けて裏でシンヘイヴンが暗躍している可能性と、通っている学校に間違いなくNOISEが紛れている事実。屍化事件の発生件数の増加と、徐々に人の多い場所で発生するようになっていることを添えて至急対処を求める内容を送った。

 報告を送って数分も経たないうちに、椿の端末に通信が入った。彼の仕事の速さは相変わらずだ。椿は通話を選択して端末を耳に当てた。


『ゲルダ、いまの内容は本当ですか』

「ああ。いま、《亡国の幽姫――ゼエレ》も一緒にいる。コイツの嗅覚が感知した。実験だなんだといった胡散臭い話はあるが、その辺はともかく、NOISEが教師に紛れ込んでいるのは事実だ」

『そうですか……』


 重い沈黙が流れ、やがて機械越しに掠れた吐息がかかった。


『あの惨劇を繰り返すわけにはいきません。葬儀屋の事前出動許可を出しますので、現場判断での対処をお願いします。全責任は私が負いますから、全力で被害を最少に食い止めてください』

「わかった」


 通話を終えると、傍で心配そうな顔で見つめる彩陽と目が合った。


「椿ちゃん、お仕事?」

「ああ。全く面倒だ」


 溜息交じりにぼやく椿の白い髪を、彩陽は不器用な手つきで撫でる。鋭い目つきで睨むも全く意に介さずにこにこしながら撫でていたかと思うと、彩陽は小さく跳ねて離れ、椿に敬礼して見せた。


「がんばってね。さあやは全部ばくはつしちゃうから、屍のお手伝いは出来ないけどおーえんしてるよ」

「屍じゃなくても、あんたが学校で戦ったら更地になんだろ」

「えー」


 特殊調整を受けて作成されたエインセルとアステリアのハイブリッドである彩陽の異能構成は、濃縮爆発を主軸とした、短期決戦向けのものだ。

 《先導種――ヴァンガード》という一風変わった特別変異ウィルスに感染している彼女は、通常の変異種では持ち得ない、驚異的な異能を所持している。その先導種によって齎された能力で以て爆発力を上げ、辺り一帯を焦土と化す。

 当然体の負担も激しいため長期戦になればなるほど不利になる構成だというのに、彼女の自由奔放な性格が災いして、未だ相棒の獲得どころかチームへの所属も叶っていない。


「えーじゃねえよ」

「む……ただのNOISE処分だったらおてつだいできるから、いつでも呼んでね」


 そう言って正門に駆けていき、そして、高校とは別方向に走り去っていった。


「……大丈夫か、あれ……」


 呆れて見送ったあと、椿は葬儀屋に仕事の連絡を一斉送信した。

 現場は、私立花園大学附属中学。規模は未確認。対象は大山哲。屍化しないならばそれで良し。万一屍化が認められた場合は――――


「……これ以上、ナメた真似させるかよ」


 奥歯を噛みしめて呟き、椿は束の間の平穏が満ちる校舎に戻った。

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