■シーンⅣ 幻躁-Gensou-

「ハァ……ハァ……なんで……なんでだよ……」


 いつの間にか少年は袋小路に追い詰められていた。途中からどうも可笑しかった。知っている道とは明らかに違った上に、どれだけ走っても路地を抜けられなかった。それどころかどの角を曲がっても同じ景色に行き当たり、最終的に全く見も知らない突き当たりに出てしまったのだ。


「何故、だとさ。教えてやれ、ロキ」

「レヴナントの異能、《等身大の迷宮》だろ。自分の絶対領域の範囲内を思い通りに作り替える、えげつねえ異能だ。……アイツ、マジでヤベェな」

「全くだ。こんな隠し球を持っていたとはな」


 悠々と授業の続きをしながら追いついてきた二人を、少年は憎々しげに歯噛みして睨み付けた。

 ヘルメスの異能は、物質変換能力である。石を黄金に。林檎をアップルパイに作り替える。物の性質を破壊、或いは、分解ののちに再構築する異能であって、遊園地を動物園に造り替える異能ではない。しかし、誠一朗はヘルメス能力者と見せかけて、フレイヤの異能も所持していた。通常ハイブリッドは後発の能力が劣るのだが、その不利性もない。それゆえ、路地裏を迷宮に作り替えることが出来たのだった。

 豊穣の女神の名を冠するフレイヤは、大地や植物などを操ることが出来る異能だ。狭い範囲に小規模な地震を起こしたり、他愛ない草葉をカミソリにも勝る鋭利な刃に変えたりする。フレイヤの絶対領域は他のCODEが作る絶対領域よりも強固であることが多い。そしてその存在を、他のCODEから隠すことも出来る。

 箱庭とも呼ばれる独特の領域に迷い込んだ者は、等しく迷路のネズミと化す。

 広く絶対領域を張りながら追ってきた二人に気を取られていた少年は、彼らを撒くために飛び込んだ路地裏が、誠一朗の箱庭だと気付かなかった。


「何だよ! 僕がなにしたっていうんだ!」


 追われるようなことをしたかという問いに対する答えならば、警官を負傷させたと言える。が、椿たちにとって其処は然程重要ではない。


「知るかよ。NOISEは等しく処分する。それだけだ」

「はぁあ? ざっけんな! 知らねーよ! お前らみたいなザコがそんなこと出来るわけねーだろ! つかザコのくせにイキってんじゃねーよ! 女は男に勝てねーって知らねーのかよ!」


 叫びながら異能で傍らの室外機を浮かせようとするも、ピクリとも動かなかった。

驚愕し、室外機があったほうを見ると、其処にはただ壁があるだけで室外機どころか石ころ一つ落ちていない。

 慌てて周りを見回せば、追い詰められた路地とは違う景色になっている。


「わかってはいたが、話にならないな。相手にするのも飽きてきた。終わらせるか」

「……ッ! なんで……!」


 銀の靴に選ばれた自分は全ての存在から賞賛されるはずだった。凄いこともやってのけたし、警官だって何人も倒した。ネットでしかイキれないサロンの連中と違い、リアルの敵をも倒して見せたのに。

 何故誰も褒めてくれないのか。何故誰も認めてくれないのか。


「ギィィイイイッ! 黙れ黙れ黙れ! ザコの分際で! ふざけやがって! 殺してやる!」


 電子音にも似た甲高い悲鳴を上げると、少年は癇癪を起こして地団駄を踏んだ。

 少年の体が、怒りに応じて帯電していく。やがて、全身を覆っていた青白い電撃が両手に収束し、二本の短剣となった。ぐっと握り込み、椿を睨む。


「僕は選ばれたんだ! お前らみたいなザコとは違……」

「遅い」


 少年が踏み込み、駆け出そうとした瞬間。椿は少年の背後に立っていた。

 なにが起きたのか。見開いた目が、ふらりと下を向く。バッと胸から鮮血が溢れ、そのとき漸く『斬られたのだ』と理解した。前のめりに倒れた少年に一瞥もくれず、椿は血振るいをした。

 灰色のアスファルトに、びしゃりと紅い三日月形の軌跡が描かれる。


「なんで……僕は、選ばれ、た、のに……銀の…………オズ……」


 事切れる直前、少年が掠れた声で零した言葉に、椿は目を眇めた。


「オズ……?」


 その名前で思いつくのは、古い童話と、もう一つ。

 銀の靴の制作者であり、シンヘイヴン創設者である博士の名だ。抑も銀の靴というウィルスの名も、元はと言えばオズという単語が出てくる童話のアイテムである。

 この少年が、死の間際というときに、古い童話に思いを馳せたとは思いにくい。


「ゲルダ」

「レヴナント。助かった」


 迷宮に作り替えられていた路地裏が、まるで初めからそうであったような顔をして元に戻るのと同時に、誠一朗が姿を現した。彼は足元に転がる少年を見下ろして首を傾げ、素朴な疑問を口にする。


「彼は、いつ?」


 全く言葉足らずな誠一朗の問いを数秒反芻し、どうやら『随分異能に振り回されていたように見えたが、いつ発症し、いつNOISEになった?』と訊いているのだと椿は理解した。数年行動を共にしただけでも案外わかるものだと自らに感心しつつ、制服のポケットを探る。


「メールが来ていた。丁度いい。コイツの情報だ」


 椿が端末を取り出すと、神城から追加で情報が届いていた。テキストを開く前に、後方支援部隊、《隠――なばり》の要請を送り、現場の後始末と回収を任せる。

 情報によるとこの少年は、ほんの数日前までは性格にやや難ありではあるものの、NOISEでも変異種でもない一般人だったようだ。家にも行動範囲にも深淵接続の機材はなく、VRチャットのサロンとMMORPGに入り浸っているのみ。

 そうなると、可笑しなことがいくつかある。


「普通の家で普通に暮らしていたのが、いきなりNOISEになったっていうのか」

「ンなこと、いままであったかァ? 変異種をすっ飛ばしていきなり断片化したってことだろ?」

「しかも、深淵接続すらしていない。彼がいたのは一般に普及しているVRチャットだった」


 誠一朗と凌の会話を聞き、椿は難しい顔をして溜息を吐いた。

 これまでの常識は、銀の靴に感染すると、変異種になる。変異種の断片化が進むとNOISEと化す。後発的に銀の靴に感染するには深淵接続をしなければならない。そのはずだった。


「それに、だ。コイツが言ってたオズの名も気になる。ゲーマーなだけの一般人が、何処でその名を知った? 明らかに医学博士に興味を持つタチじゃないだろ」

「それだよなァ。オズが同じゲームをやってたってわけでもねェだろうし」


 屍化という非常事態だけでも厄介だというのに、あのオズが暗躍しているとなると事件はこの少年を止めただけでは終わる気がしない。


「はぁ……面倒事が待ってないといいんだが」


 本日何度目かも数える気になれない溜息を吐き、駆けつけた隠と入れ違いに三人は路地裏をあとにする。

 葬儀屋からの呼び出しとあって凄惨な現場を想像していた隠の隊員が、路地の奥へ怖々進んでいくのが見えたが、椿は敢えて訂正も宥めもせずに置いた。


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