■シーンⅢ 症賛-Syousan-

 貴方は私。私は貴方。

 表裏一体。一蓮托生。

 同じなようで真逆。真逆のようで同じ。

 貴方は私。鏡に映った私の姿。



 夜の繁華街を駆け抜けながら、椿はふと隣を走る凌に話しかけた。


「凌。先日言い渡した書き取りは終わったのか?」

「あァ? んなもん、此処来る前に終わらせたぜ。やんねェとお前うるせーだろ」


 訝りながら答えた凌に、椿は一言「そうか」とだけ返し、更に続ける。


「宜しい。約束通り、八十点以上取れなかったら晩飯はあんたが作れよ。忘れてないだろうな」

「お、おう。散々言われたし忘れてねーよ。つか、なんでお前最近やたらと俺にメシ作りさせたがんだよ! っぶね! しかも肉料理ばっかり! 腹減ってんのか!?」


 前から飛んできたポリバケツ型のゴミ箱をかわしながらも何とか答えた凌に、椿は「単にあたしが作るより美味いからだけど」と、しれっと褒めた。


「炎使いのエインセル能力者は火加減が上手いヤツが多いって聞いてあんたで試してみたんだが、本当だったんだな」

「そんな理由かよ!」

「いいだろ、美味いものが食えるなら」


 喚きながらも、凌はそれ以上の文句は言わなかった。わかりにくいが、褒められていることに変わりはないからだ。

 人の群を縫うように走りながら、椿は淡々と話しかけ続ける。


「このあと肉屋に寄りたいから、早めに済ませるぞ。ああ、そう言えば五時から卵のセールがあるとか聞いたな。スーパーにも寄って帰るか」

「その話いまじゃねェとダメか!?」

「後回しにしたら、あんた忘れそうだしな」

「クッソ……! さっさと捕まえて終わらせんぞ!」


 ――――彼らはいま、逃走するNOISEを追跡していた。

 警察のコンピューターがハッキングされ、ハッキング元を探知したところ、都内に住む中学一年生の少年に行き当たった。警察が捜査に乗り込むが、既にNOISEと化していた少年は警官に攻撃、そのまま逃走してしまった。

 SIRENに要請が来たとき、ちょうど近くにいたのが椿と凌だったため、葬儀屋案件ではないただのNOISE事件ではあるが、出動することになったのだった。

 座学の途中だったために凌は喜んだが、椿は予定を狂わされて先ほどまでもの凄く不機嫌だった。


「クッソ! さっきから何なんだよ、あの野郎!」


 飛んできた置き型の看板を屈んで避けながら、凌が叫ぶ。


「あれはポルターガイストだな。ペルクナスの異能だ」

「知ってるし、そうじゃねェよ!」


 ポルターガイストとは命の通っていないものを操り、浮かせたり投げつけたりする異能である。警官もこの異能によってコンクリートブロックを投げつけられ、数人が重傷を負っている。小柄な椿より凌のほうが的として優秀なため、先ほどから何度も身をかわす羽目になっていた。

 絶対領域を張りながら駆け回っているため、一般人は超常現象を目の当たりにすることも椿と凌の会話を聞いてしまうこともないが、通り過ぎたあとに転がった看板やゴミ箱は目にすることになる。とはいえ、「何故こんなところに?」で済むことではあるが、迷惑だということには変わりない。


「そうそう、ペルクナスのCODE特徴は覚えているか」

「ペルクナスはァ、電気使い! すげェヤツは雷落としたりも出来るっつってた! 誠一朗が!」

「あたしのいないときも話していたのか。思っていたよりちゃんと会話出来るようでなによりだ」


 葬儀屋などという新設部署に突然放り込まれたわりには、それなりに上手くやっているらしい。騒がしい凌と岩の如き静けさを持つ誠一朗では相性が悪いのではと心配していたが、そうでもなさそうだ。


「どういう意味だテメェ!」

「褒めたつもりだが」

「なら許す!」


 凌が叫んだとき、前方でNOISEの少年が細い路地裏へと駆け込んだ。繁華街で人混みに紛れる作戦は無意味だと察して、入り組んだ路地裏を隠れて逃げ回ることにしたようだ。

 それが、二人の狙いであるとも知らずに。


「問題なく終わらせられそうだな」

「このまま商店街全部使った鬼ごっこなんかやってらんねーかんな」

「この分なら、タイムセールにも間に合いそうだ」

「その心配、まだしてたのかよ!?」


 少年を追って路地裏に入り込んだ二人は相変わらず夕飯の心配をしていた。しかも話しながら走っているにも拘わらず、表情が歪むこともなければ、息が切れる様子もない。散歩と変わらないテンションで淡々と追いかけている。

 数十メートル先を逃げながら、少年は背後に迫り来る二人のあまりに暢気な会話に苛立っていた。警察官に代わって自分を追ってきているはずなのに、まるで真剣味が感じられない。もののついでの如き態度で、退屈凌ぎをしながら追ってくる。

 それが、妙に腹立たしくてならなかった。


「何でだよ……僕のことは誰も褒めてくれなかったのに……!」


 少年の脳裏には、逃亡するに至った原因となった出来事が過ぎっていた。


 ――――VR専用の匿名雑談ルーム、13ch。

 誰もがそれぞれ好きなアバターを纏って集まる、電脳上の談話室。フリーチャットルームから、グループでパスワードを決め、少人数で籠もれる個室まで様々あるこの空間で、少年はいつもの如くオンラインゲームサロンに入り浸っていた。

 其処では、現在流行しているMMORPG、ミスティック・ガーデンの情報交換や雑談が行われていた。上級職に転職する方法や強力なレイドボスの倒し方、効率よく素材を集める方法や隠しルートの見つけ方などを話し合ったり、ガチャで排出されるレアアバターを自慢したり、パーティメンバーを募集したりと銘々好きに話していたところへ、少年がログインした。


『イバラの森のレイドボス、ザコ過ぎてマジ話になんねーんだけど? ソロ余裕過ぎじゃね』


 ログインするや挨拶もなく言い放った少年に、反応する者はなかった。アバターの上に表示される吹き出しを見回しても、皆が皆、変わらず雑談を続けている。

 イバラの森のレイドボスは、レイドボスというだけあって、複数人のプレイヤーが協力して倒すことが前提のイベントボスである。それを一人で倒したと言ったのに、誰もなにも言わない。

 少年の想定では誰も彼もが羨ましがって賞賛するはずだったのに。そうでなければならないのに、賞賛どころか、嫉妬の言葉すら出てこない。もしかしたら悔しすぎて言葉も出ないのだろうか。


『あれぇ? もしかしてお前らあのザコに苦戦してるんですかぁ? どうしてもっていうなら可哀想なお前らのPT入りしてやってもいいんだけどなー』


 今度は周りに話しかける形で発言したが、やはり誰もなにも言わなかった。

 それどころか、一人また一人と、鍵付きチャットルームに入っていってしまった。最後に残ったのはソーシャルゲームの初期アバターをそのまま使っているかのような白シャツに半ズボンの雑なアバターの青年のみ。

 その青年アバターも、一時的に離席しているのかゲームにログインしているのか、棒立ち状態で少年のほうを向いたまま全く動かない。


『はぁ? 何だよアイツら。黙って逃げやがって。負け惜しみかよ、ザッコ』


 逃げたアバターに向けてそう吐き捨てたとき。初めて青年アバターが発言した。


『大したことしてねーのにイキってるからだろ。ザコって自己紹介かよ。くせえな。イキるんなら警察相手に喧嘩売るくらいのことしてからほざけよな。イバラの森ボス如きでデカい顔出来るとか普段どんだけしょぼいんだよ。お前、おつむ弱すぎて裏でリアル小学生っていわれてんだけどさ、正直小学生のほうが頭いいしまともだよな。お前と同類扱いとか、小学生に失礼だわ』


 よりにもよって雑な初期アバター如きに長文で煽られ、少年はVRゴーグルの下で歯ぎしりをした。顔中が発火したかのように熱い。目の前にいたら殴ってやるのに、VRではそれも出来ない。


『はぁ? アバターも作れねーザコがほざいてんじゃねーよ!』

『人を見かけで判断しちゃいけませんって、ママに教わらなかったのか? あ、お前頭悪そうだから親も学校も見捨ててそうだな。悪かったなイキリいじめられっ子君。保健室登校は楽しいか?』

『決めつけてんじゃねえよザコが! つーか、イキってんのはテメーのほうだろ! だったらテメーはどんな凄いことしたってんだよ! 何も出来ねーザコのくせに!』

『お前、ザコしか語彙ねーの? そんなんだからおつむ弱いって言われてるんだぜ。まあいいや。可哀想なぼっち君に、いいものやるよ』


 そう言うと、青年は少年の個人IDに鍵付きチャットルームのパスワードを送ってきた。普段ならば「教えてない相手からメッセージが届いた」という事実に警戒するところだが、散々煽られて頭に血が上っている少年は、生意気な奴からの挑戦状だと受け取り、個室に移動した。

 其処で待っていた青年は、少年ですらまだ到達していないミスティック・ガーデン第三上級職にしか装備出来ない専用衣装を纏っていた。しかもイバラの森レイドボスなどお話にもならない強力な隠しボスを何度も倒しては素材を複数集め、一から作成しないと得られない、レア中のレアだ。

 言葉をなくしている少年に、青年は拍手を送りながら言う。


『逃げずに来て偉い偉い。じゃあ、約束通りいいものをあげよう』


 そう言うと、青年は両手で銀の靴を片方、差し出した。見た目は女物のシンプルなパンプスで、装飾も目立った特徴もない。形だけなら、シンデレラが落とした硝子の靴にも似ている。


『はぁ!? 何だよこのゴミ。女モンの装備なんか寄越してバカにしてんじゃねーぞザコ』

『受け取ってもいないのにゴミだって言えるなんて、さすがイキリチワワ君。これがどういうものかも知らないくせに。あ、それとも、受け取るのが怖くてキャンキャン吼えてるのかな? 弱い犬ほどよく吠えるって言うしね』


 なにを言っても効いていない様子で煽り返す青年に、少年はムキになって吼える。


『うっせえザコ! あとで返せとかほざくんじゃねーぞ!』


 そう喚きながら、ひったくるように銀の靴を掴んだ。その瞬間、青年のアバターが一瞬ノイズを帯びて歪み、白衣を着た男性の姿に変わった。


『受け取ってくれてありがとう。私はオズ。君のような、愚かな子供を愛する善良な大人だよ』


 その言葉が聞こえたかどうかというとき、少年の耳元で、或いは頭の中で、甲高い耳鳴りに似た音が響いた。

 頭痛や目眩が起きるほどの衝撃に襲われ、一瞬意識が遠のきかける。

 罠だったかと過ぎるが、その直後頭の中に無数の英数字が流れる光景を幻視した。サイバーパンクの映像作品などで使われる電子の演出を、或いは、パソコンが壊れたときに見るブルースクリーンを、そのまま脳に叩き込まれたような感覚だった。

 そして少年は、何の意味もないような無数の英数字群を、何故かいた。


『……ッ、な……何だったんだ、いまの……』


 次に意識が戻ったときには、青年も白衣の男性も既に其処にはいなかった。だが、少年にとってそんなことはもうどうでも良かった。

 まるで、生まれ変わったような気分だ。清々しく、晴れやかで、先ほどまで感じていた苛立ちが霧散したのを感じる。

 散々煽られたことすら気にならないほどの、果てしない爽快感だ。

 青年は確か、警察に喧嘩を売るくらいのことをしてからものを言えと言っていた。以前の自分なら思いもつかなかったことだが、それも簡単に出来ると確信していた。

 サロンの談話室に出てみると、周りのどの個室に何人こもっていてどんな話をしているのかが、手に取るように見えた。


『あのゆうた、頭悪すぎだし空気読めてねえし、マジでリアル小学生?』

『やめてよ。うちの小学生の弟だってちゃんと挨拶くらい出来るんだから』

『イキリキッズが来ると空気悪くなるし、さっさと消えてくんねーかな』

『イバラの森wソロw余裕でしたwwwくっせwwwうぇww』


 まさか見られているとは思わず、サロンのメンバーは少年のことを嘲笑っていた。しかしそれもすぐに飽きて、話題は先日追加されたマップのことへと移っていく。

 此のチャットでは、誰も少年を認めない。褒めるどころか、嘲笑でさえあっという間に飽きられる。

 だったら認められるようなことをしてやればいいと、心の奥で囁く声がした。その声に従って、警察のデータベースをハッキングし、適当な犯罪者の名前と住所を匿名掲示板に晒してやった。

 全ては、羨望と賞賛をこの身に浴びるため。


『来るんじゃねえよ犯罪者!』

『テメーみてーなゴミクズと仲間だと思われたら迷惑なんだよ』

『お前マジで消えてくんね? どの面下げてインしてんだよクソが』


 数日後、サロンにログインした少年を迎えたのは、嘲笑ですらない拒絶だった。

 アバター越しにプレイヤーたちの視線が、悪意が突き刺さる。発言していることを表す吹き出しもないのに、彼らの周囲に無数の罵詈雑言が浮かんで見えた。

 ムカつく。ウザい。キモい。消えろ。失せろ。ゴミ野郎。ウジ虫。イキリキッズ。犯罪者。害悪プレイヤー。クソザコナメクジ。ネット弁慶。ゴミカス。ザコ。クズ。リア小。死ね。くたばれ。

 いくつもの悪辣な言葉が、少年の前に映し出される。

 激しい怒りに襲われ、目の前が真っ赤に染まったと思ったら、突然VRゴーグルが剥ぎ取られて現実に引き戻された。


「ざっけんなババア! なにして……」


 てっきり母親だと思って喚きながら振り返った少年の目に映っていたのは、数人の警察官だった。母親は、警官たちの奥で顔を覆って啜り泣いている。

 逮捕という単語だけ辛うじて認識出来たが、どうして警察が部屋にいるのか、何故手錠をかけられたのか、全く理解出来なかった。

 理解も納得も出来なかったから、玄関から外に引きずり出されたとき、少年は家を取り囲む塀を構成しているブロックを分解し、鬱陶しい警官共と自分を売った母親に叩きつけてやった。

 逃げる少年の背後で、止まりなさいと叫ぶ男の声がする。止まれと言われて止まるほどバカじゃないと頭の中で嘲笑い、少年は逃げ出した。

 何処かに雲隠れでもしてやり過ごそうと思っていたのに、追っ手はすぐに現れた。少年と同い年くらいの白髪女と、大きな鎖鎌を背負ったヤバそうな男。


 逃げて、逃げて、逃げて――――少年は、足を止めた。


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