アポカリプスを越えて 羽根の色
和泉茉樹
羽根の色
本当ですか、今の話は?
地球上のキャンプ、その一角で一緒に植物の焼却作業をしている相棒が言った。
相手は私より二十は年上だけど、階級は下だし、経験も少ない新兵だった。
果てしない宇宙の彼方に新天地を求めた移民船が、数百年の旅の末に地球に帰還した時、地球は激変していた。人間が行った遺伝子編集の技術が暴走した結果、環境から生態系の隅々まで全てが歪み、人間さえも巻き込まれた後に残ったのは異様な惑星だった。
この破局を地球に帰還した移民船の人間は「ゲノムハザード」と名付け、自分たちを「現人類」と呼称した。
移民船は長い旅を経たことにより、想定内とはいえ老朽化が進んでいた。地球の周回軌道に乗った後になけなしの資材で拡張を続けていたが、現人類の間ではじわじわと、地球へ降りてそこを再び住める土地とするという意識が広がり始めていた。
そんな流れの影響なのだろうが、地球に降りてキャンプを設営し、ドームを建設し、地球環境の調査と研究、改善への試行を行う地上軍の顔ぶれにも変化が起こり始めていた。
私が地球に降下した三年前は若いものが大半だったが、少しずつ平均年齢は上がっている。地球のキャンプの維持が安定したこともあるが、移民船の自治政府の方針で、人的資源の動員が決定したということも大きかった。
自治政府はもしかたら移民船のインフラに不安を感じているのかもしれないが、今はまだ自治政府の主要な機能は移民船にのみあった。
いずれにせよ、今の相棒、ダンテという一等兵はもう五十になろうかという年齢だった。性格は温厚だし粘り強いが、若い者には負けるところもある。それでも必死に食らいつくあたりが私には悪くない資質に見えた。
ダンテは私の後ろにいるので、顔は見えない。私が両手で支えている火炎放射器のホースを、彼も後ろで支えているはずだ。
『今の話は本当ですか、曹長』
「確かに見たよ。あれはクジャクの変種だったな」
マジですか、と耳元でダンテが掠れるような声で言う。地球環境の激変は、大気を現人類に有害なものに変えていた。なので屋外ではスーツを着てヘルメットをかぶる。ダンテの声も耳元で聞こえる。
『品評会は一週間後なんですよ、最高なタイミングですよ。しかもこんなキャンプのそばで』
「品評会に興味がないのよ。いまいち、判定基準もわからないしね。ちょっと、ホースをもう少し高くして」
了解、とダンテが返事をして、私は火炎放射器を振り回す。収束モードにして繁茂する植物の茎をぶった切っていく。遺伝子がおかしくなっているせいで、鎌で刈れないどころか、チェーンソーでも苦労する植物も、超高熱には耐えられない。
品評会というのは、たまにキャンプで開催される催しで、地球上の異常発達した植物や動物を採取して、それらをよくわからない基準で甲乙つけていくイベントである。審査員は全くのランダムで選ばれるので、有識者の美的価値観によって優劣がつけられるわけではない。全くの個人的価値観が結果を左右するのだった。
そんなところも私には興味がもてない理由で、参加したことはなかった。審査員に選ばれたこともない。
「しかし、ダンテさんが品評会に興味があるとは、意外ね」
『昔、園芸をやっていまして』
簡潔な言葉に、ああ、としか私は言えなかった。炎を振り回しながら、ダンテの過去を想像した。
ダンテはおそらく、それなりの年齢で冷凍睡眠状態になり移民船に乗ったのだろう。そして移民船が地球に帰還し、ここ数年のうちに目覚めたと推測できる。どうして目覚めたのかは知らないが、あるいは家族の希望だったのかもしれない。
地球に帰還してしばらくして、自治政府は若いものだけを選んで覚醒させた。どうしても人手が必要だったからだ。それから時間が流れ、自治政府の方針として冷凍睡眠のままの家族を覚醒させることで政府の支援を受けられる政策も作られた。
どこともしれない場所で目覚めるはずが、激変した地球へ戻ってきたと知ったダンテの感情はどのようなものだっただろう。彼は目覚めたことを後悔しただろうか。永遠に眠っていたかった、と思っただろうか。
『当時は遺伝子編集など夢のまた夢で、交配に苦労しました』
勝手にダンテが話し始めたので、作業を続行しながら「なるほど」と答えておく。あまり興味も湧かなかった。ダンテは珍しく話に熱が入っていた。
『百合や薔薇、牡丹などを育てましたが、思ったように育つのは稀でした。しかし今になってみれば、穏便で、いい時代でしたね』
「じゃあ、クジャクなんて忘れて、キャンプで植物でも育てたら? ああ、そうか、それは禁止か」
火炎を拡散モードにして切り倒された植物を焼き払いつつ口にした私の言葉に、そういうことです、とダンテが応じた。
キャンプとはつまり、植物の手が及ばない範囲だった。そこで植物を育てることは厳禁とされている。品評会の前には、登録された植物はキャンプのそばに置かれたコンテナで待機すると聞いたことがある。
『品評会で高評価が得られるものはカラフルなものと決まっています。植物の花などが理想ですが、私はまだキャンプの外に出る機会が少ないので採取する余裕はありません。それならクジャクを提出すれば、と思ったわけです』
私は記憶を振り返り、いつかの品評会で猫のような動物が最高賞を取ったのを思い出した。真っ白い毛の猫で、人間に懐いているようではなかったが、しかし超然としていて気品があり、確かに評価に値する存在だったかもしれない。
あの猫は野に放たれたはずだが、あの猫はどうやって見つけたのだろう。猫のことは覚えていても、品評会に登録したのが誰かは覚えていなかった。
『何色でしたか、覚えていますか?』
ダンテが深追いしてくるのにやや呆れながら、とりあえずは答えた。
「羽を広げたところじゃなかったけど、全体的には銀色っぽかった」
『曹長はクジャクというものを知らないのですか?』
「知っているわよ。記録の中のクジャクは黒というか、深い緑みたいなイメージだけど、私が見たのは銀だったの。だからクジャクの変種って言ったわけ」
『別の鳥じゃないんですか?』
「あのねぇ、私はただ草を焼くときにその鳥を見ただけで、それ以上の興味はないのよ。ほら、焼却作業が終わるよ。下がって」
了解です、とダンテが後退する気配があり、私も炎を小さくして後ろへ下がっていった。
機材を片付けているうちにキャンプの周りの緩衝地帯に広がっていた消し炭と化した植物もおおよそ鎮火したので、ダンテと二人でその後始末をした。今の地球の植物はどういう淘汰を経たのか、簡単に燃えたりしない。それでもキャンプのそばで火事が起こっても面倒なので、焼却作業の後始末は徹底されていた。
すべてが終わってキャンプの核であるドームに戻る頃には夕方になっていた。私が上官の中尉に任務の報告に行き、何の問題もなく済んだ。
食堂へ行って何か食べようとすると、入れ違いにダンテが出てくるところだった。
「曹長、お疲れ様です」
「お疲れ様。どこへ行くわけ?」
「ちょっと外へ行ってみようと思ってます」
ダンテの言葉にピンと来た。
「クジャクを探すつもり? やめた方がいいと思うけど。たまたまキャンプのそばに来ただけで、もういないと思うし」
「例の白猫を覚えていますか?」
不意な話題に「まあね」と答えてしまったが、私の表情には不機嫌が露骨に覗いただろう。それでもダンテは意見を口にした。ガッツがあることだ。
「あの白猫はキャンプのすぐそばで発見されたんです。それならクジャクもいるかもしれない」
「わかった、わかった。外でもどこでも好きに行けばいい。でも休息はちゃんと取るように。任務に支障が出るのは許さないから、そのつもりで」
了解です、と笑みを見せるとダンテは足早に通路を離れていった。
まったく、遊びに本気になられても困る。
私は気を取り直して食堂に入った。ちらっと壁を見ると品評会の手作りのポスターが貼ってあた。気が向いてそれをよく確認してみれば、本当にちょっとした賞金と賞品が出るようだった。もっとも、ダンテがそれが目当てとも思えない。
ま、勝手にやっていればいい。私は関係ないし。
今度こそ食堂の奥へ向かい、そこで料理を調達した。空いている席に向かいながら、私は欠伸を噛み殺した。
クジャクを探すより、ゆっくり眠る方が有意義なんじゃないだろうか。
◆
品評会の日は気付かぬうちにやってきた。
その日、私は補給物資を受領する任務から帰ってきたところで、キャンプに設けられた駐機場にバギーを入れようとしたら、そこには人が大勢、集まっていた。バギーが停められない。
『曹長、今日が品評会です』
私がとっさに警告ボタンを押そうとするのを助手席のカール兵長が止めた。
ああ、そうか、今日が品評会か、とその時に気付いた私だった。
『臨時の駐車スペースは向こうです。曹長、ちょっと僕、降りていいですか?』
「何言ってんの?」
『品評会ですよ。開催中に展示物を見れる人間は限定されるんです。チケット制で。知ってますよね?』
「知らない。で、あなたはチケットを持っているわけ?」
『外で任務があるものはチケットなしでも見れます。だから、曹長も見れますよ』
無言で助手席のカール兵長の肩を殴りつけておいて、私は片手でハンドルを回してバギーの向きを無理矢理に変えた。
『なんでも今回はすごいものが出るらしいですよ』
バギーを臨時の駐機スペースの狭すぎる空間になんとか進入させる頃にはカール兵長も気を取り直していた。実にタフな奴だ。こんな奴でも私の命の恩人なのだから、わからないものだ。
「オーケー、品評会に行きたいなら行くといい。私は先に戻る」
『クジャクの羽根が出るらしいですよ。そういう噂です』
バギーの機関を停止させたところで、私は思わず隣の席を見てしまった。カール兵長もこちらを見ているが、ヘルメットの中で目を丸くしている。
『え? 僕、何かまずいことでも言いましたか?』
「クジャクって、あのクジャク?」
『クジャクって、クジャク以外に何かありましたか?』
ため息を吐いてから、私は一応、酸素の残量をチェックした。まだ余裕はありそうだ。シートベルトを外しながら、身振りでカール兵長を促した。
「クジャクの羽根とやらを見てから帰るとしよう」
本当ですか! とでかい声で言ってからカール兵長が飛び出さんばかりにバギーを降りて、人だかりの方へ足早に向かっていく。私は彼のあまりの大声に耳に痛みを感じながら、牽引してきた荷物を運べと声をかけてやった。動きを止めたカール兵長が駆け戻ってくる。
二人で荷物を片付けてから、品評会に向かうことになった。
人だかりは動いていないように見えたが、実際にはゆっくりと移動している。展示された品を順繰りに見て、そのままドームへ戻っていく流れのようだ。
その列の起点に入れてもらい、そのまま私は展示物を見ることができた。
ケージに入れられた小さなネズミのような動物もいれば、真っ赤な花が咲いている小さな樹木もある。グロテスクなところでは、表面が水の上に落ちた油のように七色に色が変わる巨大ナメクジとしか言えない生物も展示されていた。
その中に、確かにクジャクの羽根があった。
銀色の羽根に、様々な色で複雑な文様が浮かび上がっている。
一枚しかないし、さほど大きなものではないがインパクトはあった。その羽根のそばにプレートがあり、そこにはこの羽根が天然のものであることを証明する文言が書かれていた。
人の流れに乗ったままドームに戻り、着替えて、上官に報告に行った。中尉は特に普段と変わらない様子で報告を受け、最後に「報告書は三日以内に」とだけ言った。
私は彼のブースを出て、いつもの流れで食堂へ移動したが、近づいただけで人が騒いでいるのが聞こえてきた。そうか、食堂でも品評会の様子がモニターで中継されているのだろう。各キャンプ対抗のスポーツ大会ほどではないが、変に盛り上がっているのは関心がない身からするとうんざりする。
食堂は後回しにするか、と思って入口の前を通り過ぎる時、それでもとちらっと食堂を見てみた。案の定、大勢があれこれと言いながらモニターを前に飲み食いしているようだ。
結局、私は一度、自分の部屋に戻って眠りこけて、日が暮れてから起き出した。さすがに空いているだろうと食堂へ行ってみると、ほとんど人気はなかった。品評会も終わっている。さすがに空腹だったので普段より多めに料理をもらい、席に着いた。
しばらく一人でゆっくりと食事をしてると、ふらっと入ってきた男性が例の品評会のポスターを剥がし始めた。
なんとなく私は立ち上がって、彼に声をかけていた。
「ちょっといいかしら」
うろんげに振り返った男性は、なんでしょうか、と丁寧に応じたが疲れているようだ。
「今日の昼間の品評会だけど、何が最高賞だった?」
その言葉を聞いた途端、パッと男性の表情が明るくなった。たぶん品評会の運営係で、私の興味に機嫌が良くなったのだろう。
「今日の最高賞は、クジャクの羽根でした」
「なるほど」
「ご覧になりましたか? あの発色と鮮やかさはダントツでした」
どうもありがとう、と礼だけを言って私は自分の席に戻って食事を再開した。
彼が去っていくのを見送った時、誰が出品したか聞いていないのに気づいた。ダンテ以外にはいないだろうと思っていたが、さて、どうだろうか。
食事が終わり、私はまた自分の部屋に戻った。
翌日は書類作りをして、その翌日にはキャンプを取り囲む植物の除去の任務だった。ブリーフィングで責任者の少尉を前に任務の内容の確認があった。私と組むのはダンテだったが、彼は以前と変わったところはない。
ブリーフィングが終わり、スーツに着替えて屋外で整列する。すぐに号令がかかり、任務が始まった。私とダンテのペアも、火炎放射器を引きずって緩衝地帯へ向かった。
「そういえば」
私は何気なさを装って質問してみた。
「品評会でクジャクの羽根が最高賞を取ったらしいけど」
『ええ』
返事があったのでちらっと振り返ると、ヘルメットの中でダンテが微笑んでいるのが見えた。
控えめなこと。
でもこれくらいの娯楽がなければ、やってられないか。
おめでとう、というでもなく、私は先へ進んだ。ダンテの方も、ありがとう、などと言ったりしない。
すぐに所定の位置に着き、火炎放射器を構えた。
「始めるよ」
了解です、と返事がある。
私はグリップを握り直し、トリガーを引いた。
鮮やかな真っ赤な炎が迸る。
確かにあのクジャクの羽根は美しかったな、と考えながら、私は植物を焼き切っていった。
でも、私にわかるのは色くらいだ。芸術性なんて、わからない。
その点ではダンテには感性があり、それは大勢が共有しているのだ。
その共有もまた、この地球での生活の支えかもしれない。
意味のないことばかり考える自分に呆れながら、私は火炎放射器の位置を調整した。
芸術が、炎の美しさくらい分かりやすければ、また違うのだけど。
(了)
アポカリプスを越えて 羽根の色 和泉茉樹 @idumimaki
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