第八話 穏やかな春の中庭で

前回のあらすじ

 鐘の音が授業の終わりを告げると、生徒たちはざわめきながら席を立った。ソフィアとマリーも荷物を持って教室を後にするも、ジャンヌの鋭く冷たい眼差しにはまったく気づかなかった。彼女の横顔は妬みにゆがみ、独り言のようにソフィアを「うぬぼれている」とつぶやいていた。たかが針の使い方が上手いだけで、負けるものかと憤っていたのであった。



 春の穏やかな陽光が注ぎ込む中庭に、花々の甘い香りが風に乗って漂う。そこでは、少女たちの歓声が弾むように響き渡っていた。中庭の中心にたたずむ聖カトリーヌの石像を、色鮮やかな花壇が取り囲む。チューリップ、清楚なデイジー、優美なラナンキュラスが今を盛りと咲き誇っている。


 長年の生徒たちの歩みに踏み締められ、端が丸くなめらかに磨かれた石畳の小道。無数の思い出を刻印されたその脇には、ライラックの紫やローズマリーのグリーンが優しく寄り添い、ふんわりと春の香りを漂わせる。


 中庭の南側に置かれた重厚な木目の長椅子の一つに、ソフィアとマリーが肩を寄せ合って腰掛けていた。


 背後では、シラカバの大木が悠然と枝を広げ、芽吹いたばかりの若葉が風にそよぎ、キラキラと輝く木漏れ日を落としていた。透き通るような新緑の輝きに照らされて、少女たちの髪は美しくきらめいている。


 ソフィアはパンを手に取ると、ひと口頬張る。バターのコクと小麦の芳醇な香りが口の中に広がった。


「おいしい! お家で焼いたの?」


「お母様が、市場で買ってきてくださったの」


 隣では、幼さの名残を留めるマリーの手が、レースのナプキンを丁寧に広げ、真っ赤なリンゴに歯を立てている。


 二人は顔を見合わせると、歓びに満ちた笑顔を交わす。


 周囲の女の子たちは、裁縫の授業で作ったエプロンやハンカチをうれしそうに見せ合ったり、お気に入りのヘアリボンの話で盛り上がったりしながら、弾むような笑い声を重ねる。澄んだ声が、お日様の下のひとときに花を添えていた。中庭には温かな語らいが満ちている。


 ソフィアの目の前のベンチの背に、ショルダーバッグが掛けられていた。バッグには、ルナ・カーニバルの団章があしらわれている。それは、エレナが公演で使われなくなった衣装をほどいて縫い合わせ、丹精込めて作ってくれた記念の品だ。サーカス団を象徴する月と星の紋章に見入りながら、ソフィアの心は午後に控えた練習へと踊るように弾んでいく。


「今日の午後は、パパとマジックの練習なんだ」


「いつかソフィアの練習風景を見せてほしいわ」


「ええ、ぜひ見に来て。マリーにも見てほしいの」


 満開の春の日差しに照らされて生き生きと輝く二人の笑顔。みずみずしい新緑のシラカバの葉が、さわさわと耳元でささやきかけるようだ。


「ねえマリー、良かったら今夜、サーカスの舞台裏に遊びに来ない? パパのマジックショーの練習を見学できるよ」


「本当? ぜひ行かせて!」


 二人の楽しげな会話を、少し離れたベンチから、ジャンヌが冷ややかな眼差しで見つめていた。

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