第四話 古い床に差し込む朝日

前回のあらすじ

 ソフィアは学校に到着すると、上品な女学生たちの姿に圧倒され、自分が溶け込めるのか不安になった。校舎の威圧感にもひるむが、聖母マリア像の優しい眼差しと、親友エミリーとの思い出に支えられ、ソフィアは新しい環境への一歩を踏み出す決意をした。



 春の穏やかな朝日が差し込む中、ソフィアは静寂に包まれた廊下をゆっくりと歩んでいた。彼女の足音に、古い木製の床がしめやかにきしみを奏でる。サン=カトリーヌ女子初等学校は、ソフィアにとって未知なる世界であった。


 教室の扉の前でたたずみ、ソフィアはためらいながらも、勇気を振り絞るように中へと足を踏み入れた。初めての教室に一歩足を踏み入れた瞬間、生徒たちの視線が一斉にソフィアに注がれた。好奇心と疑念が入り混じる眼差しに、ソフィアはひるんでしまう。やがてざわめきが教室を包み込み、緊張感が張り詰める。


 深呼吸を一つして、ソフィアは教壇に立つ先生のもとへと歩み寄った。


「はじめまして、ソフィア・ヴァンダーライトです。サーカス団に育ち、転校が多くて……どうぞよろしくお願いします」


 先生は、40代半ばほどだろうか。ややふくよかな体型をしている。黒髪を肩までのミディアムヘアにしており、毛先を内側に丁寧に巻いている。茶色の瞳は鋭く、その眼差しは厳格さをたたえている。色白の肌には、歳月の刻印が目尻と口元に繊細に刻まれている。


 服装は質素ながらも端正だ。胸元にはカトリック信仰を表す十字架のペンダントが輝いている。口紅などの化粧品を使う様子はなく、つつましく清潔な身なりをしていた。


 先生は、冷ややかな眼差しでソフィアを見つめた。


「デュボワです。ソフィア、あなたには特別に、最前列の席を用意しました。早く着きなさい」


 その言葉に、クラスメイトたちのざわめきが一層大きくなる。孤独と疎外感が、ソフィアの心を冷たく締めつけた。


「静粛に」


 先生の言葉で、クラスメイトたちのざわめきはピタリと止まった。だが、ソフィアに向けられる眼差しは、まだ教室の随所に感じられた。


 ソフィアは一人、指定された席へと向かった。その道のりは、針のむしろの上を歩くように感じられた。


 席に着いたソフィアの目に映るのは、質素ながらも上品な人形のような装いのクラスメイトたちだった。彼女たちは、ソフィアを興味深げに観察する一方で、どこか警戒心を解かない様子だ。みな、ソフィアよりも幼くはかなげな印象を与えた。


 しかしその瞳には、不思議な大人びた鋭さが宿っている。ソフィアのことを見定めるかのように冷ややかに見下ろしていた。


 ソフィアは、どこか場違いな思いにうつむきがちになる。そんな凍てつくような空気の中で、デュボワ先生の厳しい声が、再び教室に響き渡った。


「みなさん、今日から新しい生徒が仲間入りします。サーカス団で暮らすソフィア・ヴァンダーライトさんです。前に出て、自己紹介するように」


「サーカス団」という言葉が発せられた途端、クラスメイトたちの間で、ひそひそ声が飛び交った。


「やっぱりサーカスの子だったのね……」


 金髪の女の子が、隣の子に小声で言った。その声色には、優越感がにじんでいる。


「学校は久しぶりみたい。ついていけるのかしら」


 別の女の子が応じる。彼女はソフィアを値踏みするように目を細めた。


 ささやく声の一つ一つが、ソフィアの心を冷たく突き刺すように感じられた。まるで、自分がサーカス団の一員であることを、恥じるべきことのように言っているようで。サーカス団の一員であることは、ソフィアの誇りであり、家族のきずなそのものだった。しかし、それが学校では特別視され、好奇の目にさらされる。


 ソフィアはためらいながらも、再び教壇へと向かった。不安な心を隠すように、精一杯の笑顔を浮かべる。


「はじめまして、ソフィア・ヴァンダーライトです」


「サーカス団一座、ルナ・カーニバルの一員として育ちました。今は、リールに巡業で滞在しています」


「転校が多くて、学校生活は久しぶりで緊張していますが……精一杯頑張ります。どうぞよろしくお願いします」


 ソフィアの真摯な言葉に、クラスメイトたちの表情に些細ささいな揺らぎが走った。


 しかし教室を支配する冷ややかな空気は、未だ変わることはなかった。


「ソフィアさんは、サーカス団で育ったがゆえに、学業に少し遅れをとっているかもしれません。しかし、みなさんには彼女を温かく迎え入れてあげてほしいのです」


 デュボワ先生の言葉は表向き、ソフィアへの配慮を装っていたが、どこか見下すような響きをはらんでいた。あたかも、サーカス団で育つことが、教養の欠如を意味するかのような言い回しだ。


 ソフィアは、決して涙を見せまいと瞳を輝かせていた。


 けれどその時、ソフィアは不意に、一人の女の子が自分を優しく見つめていることに気づいた。その女の子は、ソフィアに柔らかな微笑みを向けている。凍てつくような教室の空気とは対照的に、その笑顔からは心地良い温もりが伝わってきた。


 女の子はためらうように、一瞬口ごもった。しかしやがて、決意を固めたように口を開いた。


「わたし、マリー。一緒に頑張りましょう、ソフィア。今度、サーカスのお話、聞かせてくださいね」


 ソフィアの隣で微笑むマリーのくり色の髪は、朝の光を浴びてふんわりと輝いている。艶やかな髪は背中まで伸び、編み込みに結われている。


 マリーの瞳は、キャラメルのように甘く温かみのある明るい茶色をしていた。その眼差しには優しさと知性の光が満ちあふれ、まっすぐにソフィアを見つめている。


 ソフィアは、その優しさに驚きながらも、心温まる思いがした。しかし、偏見の目にさらされてきた過去が、ソフィアに警戒心を抱かせる。


「あ、ありがとう……」


 ソフィアは小さな声で答えるのが精一杯だった。とまどいがにじんだ微笑みを浮かべながら、マリーとの会話に臆病になってしまう。


 ソフィアの心の機微を察したのか、マリーは重ねて言葉をかけることはせず、温かな眼差しを送るだけだった。


 一方、ソフィアの後ろの席では、金髪の女の子が冷ややかな眼差しを向けていた。その眼差しはいぶかしげで、どこか蔑みの色を帯びている。まるでサーカス団の少女の存在そのものを疑問視するかのように。


 微妙な空気が教室に漂う中、デュボワ先生の声が再び厳かに響き渡った。


「それでは、聖書の朗読を始めます。みなさん、姿勢を正しなさい」


 ソフィアは思わず背筋を伸ばした。厳粛な雰囲気に、自然と心が引き締まる思いがした。

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