第五話 夜道の語らい

前回のあらすじ

 ソフィアはクリストフの申し出に感謝し、二人で力を合わせて舞台袖に秩序を取り戻していくのであった。



 舞台袖ぶたいそでの片付けを終えたソフィアは、クリストフ、エレナと共に、キャラバンへと戻る道を歩いていた。公演の幕は下り、片付けを終えた今、辺りは深い夜のとばりに包まれていた。


 会場を包み込んでいたのは、ガス灯の淡い光と、公演の余韻がいまだ色濃く漂う空気だった。メインテントの周りには、感動に浸る観客たちの声が響き渡っている。彼らはショーをたたえる言葉を口にしながら、夜の闇へと吸い込まれるように姿を消していった。


 テントの影にたたずむキャラバンは、この時間になると、団員たちの疲れ果てた心身を癒やす静かな住まいとなる。いくつかの窓からは、温かなランプの灯りが漏れ出し、団らんのひとときを思わせた。


 ソフィアたちの目前に広がるのは、幅約十メートルに及ぶメインストリートだ。屋台の明かりは消え、人影もまばらになったが、ほのかに漂うキャラメルの甘い香りが、祭りの名残を留めていた。その脇のサイドショーエリアでは、出番を終えた曲芸師たちが和気あいあいと語らう姿が見受けられた。彼らの表情は、充実感に満ちあふれていた。


 メインテントの出入り口のかたわらでは、団員たちが舞台装置を馬車へと積み込む作業に精を出していた。てきぱきとした動作は、連日の公演で培われた熟練の技と、団結力の証左だ。


 一方、着替え場では、舞台の興奮冷めやらぬ中、団員たちは日常の生活のリズムを取り戻しつつあった。衣装を脱ぎ捨てる音、くすくすと漏れる笑い声、我が子を褒める親の声が、夜風に乗って優しく運ばれてくる。


 三人はガス灯に照らされた小道を歩きながら、今宵の公演が残した余韻に浸っていた。満足感と明日への希望が交錯する、言葉では表現し尽くせない高揚感が彼らを包み込んでいた。


「ねえクリス、今夜のパパのマジックショーはどうだった?」


「すごかったよ!  特にあの新しいトリック。ウサギが飛び出したかと思ったら、一瞬で花が現れるやつ。あんなの見たことない!」


「私も!  花びらが舞う瞬間は、まるで本物の魔法みたいだった」


 二人は興奮のままに感想を語り合った。


「いつかは私も、ああやって人々を魅了する舞台に立ちたいの」


 ソフィアは大きな夢を口にして、少し照れくさそうに微笑んだ。


「ソフィならできるよ。努力を怠らない君の姿勢は、本物のマジシャンそのものだ」


「俺の親父から聞いた話なんだけど、一流の芸人になるには才能も必要だけど、何より諦めない心が大切なんだって。ソフィ、君にはそれがある」


「ありがとう、クリス」


 二人は笑顔で見つめ合った。


 その時、ソフィアはふと違和感を覚えた。通りの向こうで、人影が動いたような気配を感じたのだ。


「ねえ、今の見た? 誰かいたみたいなんだけど……」


 ソフィアが小声でつぶやくと、クリストフも目を細めた。


「どこだい? 見えないけど……あっ、本当だ。向こうに誰かいるよ」


 二人は足を止め、闇をじっと見つめる。静寂の中、緊張感が高まっていく。


「見知らぬ人たちね。いったい何者なのかしら?」


 エレナは、警戒心を隠さずにソフィアの手をしっかりと握る。


 街灯の影にたたずむ二人の男の姿が、夜の暗がりの中に浮かび上がっている。黒いコートに身を包み、腰に短い棒をたずさえたその男たちは、サーカス団の方角をじっと見据えていた。


 エレナは目を細め、男たちの様子を観察した。


「警官だわ。サーカス団を監視しているのかもしれない」


「うちのサーカスが何かまずいことしたのかな?」


「そんなはずないよ。私たち、悪いことなんて何もしてないもん」


「ときどきね、サーカス団を良く思わない人がいるの。私たちのことを疑う人もいるのよ。でも、あなたたちは何も悪いことはしていない。堂々としていれば大丈夫」


 エレナの言葉に、ソフィアとクリストフは小さくうなずく。元気づけられたように、二人の表情に微かな明るさが戻った。


 ソフィアたちは勇気を奮い立たせるように、再び歩み始めた。ほんの一瞬、後ろを振り返ったが、もう男たちの姿は見えない。


 しばらくすると、クリストフの母親の姿が目に入った。クリストフは母親に迎えられ、明日の再会を約束してソフィアたちと別れた。


 ソフィアとエレナは、クリストフたちの後ろ姿を見送りながら、キャラバンへと向かった。ソフィアの瞳には、友との再会を心待ちにするきらめきが宿っていた。月明かりに照らし出された小道を、寄り添いながらゆっくりと歩いていった。


「ねえママ、明日からクリスも新しい学校が始まるんだよね。どんな学校なんだろう」


「そうね。きっと新しい友達もたくさんできるわ。クリストフのことだもの、すぐになじめるはずよ」


「うん、そうだといいな。クリスには、毎日楽しく学校に通ってほしいもの」


「ソフィアも、新しい学校でいい友達を見つけられますように」


「さあ、もう少しでキャラバンよ」


 エレナの励ましの言葉を受け、ソフィアの表情に力強さが戻った。


 小道をしばらく進むと、目的地のキャラバンが見えてきた。美しい装飾が施された木製のドアが、ガス灯の淡い光の中に浮かび上がる。


 キャラバンの外観は、まるで馬車を大きくしたかのようだ。深みのある茶色の外装には、ゴールドで「ヴァンダーライト・マジック」の文字が繊細に描かれている。屋根の両サイドには2つずつ飾り窓が設けられ、窓枠には精巧な木彫りが施されている。


 エレナは丁寧にドアノブを回すと、木製のドアをゆっくりと開いた。

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