第四話 舞台袖を照らす光

前回のあらすじ

 エレナは、家庭を守る女性の務めを果たすよう助言するが、ソフィアは今は夢に向かって頑張ることを選んだ。彼女は練習に没頭し、真剣な眼差しで家族の理解を求める。エレナはソフィアの決意をうなずきで受け入れるのであった。



 公演が終わり、楽屋には一段落ついた空気が流れ始めていた。隣の個室からは、出演者たちが片付けの準備を始める物音が微かに聞こえてくる。


「ソフィア、片付けを手伝ってくれる?」


 エレナの声が、ソフィアを現実の世界へと呼び戻した。


「はい、今行きます!」


 ソフィアは素早く返事をした。深呼吸をして立ち上がる。もう一度、これまで練習してきた手順を頭の中で整理し、気持ちを切り替える。練習に没頭していた情熱を静め、目の前の舞台袖の片付けに向けて心を引き締めた。


 舞台袖ぶたいそでは、アナの息をのむようなアクロバットが締めくくった公演の興奮と熱気が残る、雑然とした空間だった。


 ガス灯の明かりに照らされた照明係の卓には、各場面の舞台演出の手順書が散乱し、鉛筆で書き込まれたメモが乱雑に広がっていた。壁際には、出番を待つ団員たちが座っていた木製の椅子が無造作に積み上げられ、椅子の脚が複雑に絡み合っている。


 舞台中央で使われたブランコは、舞台袖の片隅に運ばれ、その揺れがまだ完全には止まっていなかった。ブランコの周りには、アナの演技で使われたレッドとゴールドのリボンが散らばり、まるで炎の残り火のように床に広がっている。


 アナの衣装係が、慌ただしく演技に使われた小道具を集めていた。羽飾りが取り付けられた頭飾りや、きらめく飾りが散りばめられたコスチュームが、彼女の腕の中で光を放っている。


 木製のハンガーラックには、団員たちが着替えを済ませた衣装がぎっしりと並べられている。ラックの脇には、脱ぎ捨てられたコルセットや肌着、ブーツが山積みになっていた。


 舞台の幕が下りる音とともに、音楽隊の指揮者が譜面台から離れた。譜面台の上には、楽譜が開かれたままになっており、指揮者が手書きで加えたメモがページのあちこちに見受けられる。


 ソフィアは、この散らかった空間の片付けに取り掛かった。まずは、床に散らばった小道具を拾い集め、羽飾りやリボン、きらめく飾りなどを丁寧に箱の中に納めていく。次に、舞台装置の片付けだ。ロープや滑車を入念に点検し、幕や照明を所定の位置に戻していく。


 ソフィアの手際のよい動きは、普段から舞台袖で練習に励んでいることの証しだ。片付けをしながら、ソフィアは胸の中で渦巻く感情を飲み込んだ。明日からの新しい学校生活への期待と不安が入り混じる。過去の転校先で味わった孤独や偏見の記憶が、暗い影のように心をかすめる。


 そんな時、ソフィアの耳に優しい声が響いた。


「ソフィア、手伝おうか?」


 振り向くと、そこにはクリストフが立っていた。


 クリストフは、ソフィアと同じ十二歳だ。豊かなくり色の髪は、無造作に乱れ、額に掛かっている。愛らしいそばかすが特徴的な、健康的に日に焼けた頬。瞳は、澄んだこはく色で、ソフィアを優しく見つめている。


 クリストフの服装は、サーカス団の一員であることを誇らしげに示していた。鮮やかなサファイアブルーのベストに、ゴールドのボタンがきらめいている。ベストの下には、白いシャツを合わせ、袖口を肘まで軽くまくり上げている。襟元には、赤と白のボーダーのスカーフが結ばれ、まるで翼を広げたちょうのようにはためいている。


 足元は、機能性を重視した茶色のブーツ。そのブーツも、クリストフの成長に合わせて、何度となく補修された形跡がある。父親ゆずりのジャグリングボールが、ズボンのポケットから顔をのぞかせている。


 彼の瞳には、ソフィアへの友情がきらめいている。クリストフはソフィアに明るい笑顔を向ける。まるでソフィアの心の内を見透かしたかのように、クリストフは彼女の不安を察していた。


 クリストフの申し出は、ソフィアの心に温かな灯りを灯した。彼の存在は、いつだってソフィアを勇気づけてくれる。彼と一緒なら、片付けも楽しい時間になるだろう。


「ありがとう、クリストフ。あなたが一緒なら、どんな困難も乗り越えられる気がする」


 ソフィアの言葉には、友への感謝と信頼の気持ちがあふれている。


 ソフィアとクリストフは、肩を寄せ合って舞台袖に立った。ガス灯の明かりに二人の姿が照らし出される。


 共に手を取り合い、二人は舞台袖の混沌こんとんとした空間に秩序を取り戻していった。

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